革命の時代|第9章 フランス革命(1789〜1799)
この章の狙い
要点: 革命は1つの出来事ではなく、10年間の連続した過程である。王政が倒れ、共和政ができ、王が処刑され、恐怖政治が来て、それも倒れ、最後に軍人が権力を握る。
節目ごとに、争点が変わっている。最初は税と身分、次に王の扱い、次に戦争、そして誰が主権を握るか。この移り変わりを追うことが、この章の目的にあたる。
年表
| 年月 | 出来事 |
|---|---|
| 1789年5月 | 三部会が開かれる(175年ぶり) |
| 1789年6月17日 | 第三身分が国民議会を名乗る |
| 1789年6月20日 | 球戯場(きゅうぎじょう)の誓い。憲法制定まで解散しないと誓う |
| 1789年7月14日 | バスティーユ襲撃 |
| 1789年7〜8月 | 大恐怖(だいきょうふ)。農村で不安が広がる |
| 1789年8月4日 | 封建的特権の廃止 |
| 1789年8月26日 | 人権宣言 |
| 1789年10月 | 女性たちがヴェルサイユへ行進。王家がパリへ移される |
| 1790年7月 | 聖職者民事基本法。聖職者に宣誓を求める |
| 1791年6月 | ヴァレンヌ事件。王一家の逃亡が失敗する |
| 1791年9月 | 憲法が成立。立憲君主政が始まる |
| 1792年4月 | オーストリアに宣戦。戦争が始まる |
| 1792年8月10日 | 王権が停止される |
| 1792年9月 | 九月虐殺。21日に王政廃止、共和政が宣言される |
| 1793年1月21日 | ルイ16世が処刑される |
| 1793年3月〜 | ヴァンデの反乱。内戦が始まる |
| 1793〜1794年 | 恐怖政治 |
| 1794年7月27日 | テルミドールの反動。ロベスピエールが失脚する |
| 1795年 | 総裁政府が発足 |
| 1799年11月9日 | ブリュメール18日のクーデタ。ナポレオンが権力を握る |
1789年 — 身分制の崩壊
三部会は、採決の方法で最初からもめた(第8章)。第三身分は身分別ではなく全員一緒に集まることを要求し、拒まれると自ら国民議会を名乗った。
⚡ 1789年の3つの決定的な出来事
- 7月14日 バスティーユ襲撃 — 軍が動員されるという不安の中で、武器を求めた民衆が要塞(ようさい)を襲った。政治的な象徴として決定的になる。
- 8月4日 封建的特権の廃止 — 貴族と聖職者の特権が、一夜の議決で撤廃された。身分制の法的な終わりにあたる。
- 8月26日 人権宣言 — 人は自由かつ権利において平等に生まれるとし、主権は国民にあると定めた。
- 📘 人権宣言:1789年8月に採択された宣言。自由・所有・安全・圧政への抵抗を権利として掲げ、法の下の平等を定めた。ただしこの時点では、選挙権は納税額で制限されていた。
⚠️ 人権宣言の範囲
- 女性には政治的権利が与えられなかった。同時代にこれを批判した文書が書かれている。
- 奴隷制はただちに廃止されなかった(第15章)。植民地での廃止は1794年、その後1802年に復活する。
- 「普遍的な原理を掲げながら、適用範囲が限られていた」という緊張が、以後の歴史を通じて争点になり続ける。
1790〜1792年 — 宗教と戦争で割れる
⚡ 立憲君主政が続かなかった3つの理由
- 1. 宗教 — 聖職者民事基本法が、聖職者に国家への宣誓を求めた。多くが拒み、カトリック内部が二分された。地方の反発が強まる。
- 2. 王の逃亡 — 1791年6月、王一家が国外へ逃れようとして途中で捕らえられた。王への信頼が失われる。
- 3. 戦争 — 1792年4月に開戦。敗色が濃くなると、王が敵と通じているという疑いが強まった。
1792年8月10日、パリの民衆と義勇兵が宮殿を襲い、王権が停止された。9月には王政が廃止され、共和政が宣言される。
1793〜1794年 — 恐怖政治
1793年1月、ルイ16世が処刑された。外国との戦争が拡大し、国内でも内戦が起きる。
| 危機 | 内容 |
|---|---|
| 対外戦争 | ヨーロッパ諸国との戦い。国境が破られる危険があった |
| ヴァンデの反乱 | 西部で起きた大規模な反乱。徴兵と宗教政策への反発 |
| 食料 | 物価の高騰。都市の民衆が価格統制を要求した |
- 📘 恐怖政治:1793年から1794年にかけて、革命政府が非常措置として反対派を処罰した体制のこと。革命裁判所による迅速な裁判と処刑、容疑者の拘禁が制度化された。
⚠️ 恐怖政治をどう説明するかは、研究者によって割れる
- 戦争と内戦への非常対応として説明する立場。
- 革命の論理そのものに含まれていたとする立場。
- 民衆の圧力に議会が押された結果とする立場。
- どれか1つを唯一の説明として書かない。「〜という説明がある」と示す。
1794年7月27日、ロベスピエールが議会で追いつめられ、翌日処刑された。恐怖政治は終わる。
1795〜1799年 — 総裁政府
新しい憲法の下で、5人の総裁による政府が発足した。しかし安定しない。
⚡ 総裁政府が不安定だった理由
- 王党派と急進派の両方から攻撃された。選挙のたびに議会の構成が揺れる。
- 財政が破綻状態にあった。紙幣の価値が暴落していた。
- 軍に依存した。対外戦争が続き、将軍の政治的な発言力が高まった。
- 1799年11月、ブリュメール18日のクーデタで倒される。
革命が残したもの
⚡ 1789年以前に戻らなかったこと
- 身分制の廃止。法の下の平等が原則になった。
- 教会財産の国有化と売却。土地の所有関係が変わった。
- 行政区画の再編。県が置かれ、地方の旧来の枠が消えた。
- 度量衡(どりょうこう)の統一。メートル法の基礎がこの時期に置かれた。
- 国民という枠組み。主権が国民にあるという考え方が定着する。
⚠️ 一方で戻ったもの・残った問題
- 選挙権は狭いままだった。男性普通選挙が実現するのは1848年(第12章)。
- 奴隷制は1802年に復活する(第15章)。
- 革命の評価は、19世紀を通じて政治的な対立の軸になる。
文学とのつながり
⚡ 革命と文学の関わり
- 検閲の一時的な消滅と、その後の再統制。1789年以降、新聞と小冊子が爆発的に増えた。
- 後の作品が繰り返し扱う題材になる。19世紀の小説と歴史叙述は、革命をどう位置づけるかで立場が分かれる。
- 『レ・ミゼラブル』の背景は革命そのものではないが、革命の記憶が人物の立場を決めている(第11章)。
- 革命期そのものに書かれた文学作品は多くない。政治文書と演説が言葉の中心にあった時期にあたる。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- バスティーユ襲撃で王政が倒れたと考える。王政の廃止は1792年9月にあたる。
- 人権宣言で全員に選挙権が与えられたと考える。納税額による制限があった。
- 恐怖政治とナポレオンを連続させる。あいだに総裁政府の5年間がある。
- 1793年の処刑を革命の始まりと考える。開始は1789年である。
革命が作った象徴
革命は、目に見える形でも社会を作り替えようとした。
| 象徴 | 内容 |
|---|---|
| 革命暦 | 1793年に採用。月の名を自然に由来するものに改め、週を10日にした |
| 度量衡 | メートル法の基礎が置かれる |
| 呼称 | 「市民」という呼びかけが身分による敬称に代わる |
| 祝祭 | 大規模な野外の式典が組織された |
| 標語 | 自由・平等・友愛が、後に共和国の標語として定着する |
⚡ 革命暦を知っておく理由
- 「テルミドール」「ブリュメール」は、この暦の月の名にあたる。事件の呼び名として今も使われる。
- 1806年に廃止される(第10章)。
- 史料の日付が革命暦で書かれていることがある。換算表を使う。
用語をどう選ぶか
⚠️ 革命の語り方は政治的である
- 同じ出来事に、複数の呼び名がある。「九月虐殺」「恐怖政治」といった語は、それ自体が評価を含む。
- 19世紀を通じて、革命の評価が政治的な立場を分ける軸になった(第11章以降)。
- レポートで扱うときは、使う語がどの立場のものかを意識する。
- 「〜と呼ばれる」「〜と評価されてきた」という書き方で、評価と記述を分けられる。
⚡ 第9章の通過チェック
- 1789年の3つの決定的な出来事を、月日とともに言える
- 人権宣言が定めたことと、適用されなかった範囲を言える
- 立憲君主政が続かなかった3つの理由を言える
- 王政廃止と共和政宣言の年月を言える
- 恐怖政治の説明が研究者によって割れることを説明できる
- 総裁政府が不安定だった理由を4つ言える
- 革命が後戻りしなかった事柄を5つ言える
次章へ
次章はナポレオンの時代である。共和政から生まれた将軍が、皇帝になる。
そして民法典が作られる。革命が掲げた原則の一部が、法典という形で固定され、その後200年にわたってフランスの社会の枠組みになる。同時に、ヨーロッパ全体を巻き込む戦争が15年続く。