20世紀|第18章 戦後の再建と脱植民地化(1945〜1962)
この章の狙い
要点: 戦後の17年間、フランスは同時に2つのことを経験した。国内では経済の急成長と社会保障の整備、国外では植民地での長い戦争である。
そしてアルジェリア戦争が、第四共和政そのものを倒した。1958年に第五共和政が生まれ、1962年に戦争が終わる。この過程が、現在のフランスの政治制度と社会構成を決めている。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1946年 | 第四共和政の憲法。社会保障制度が本格化 |
| 1946年 | インドシナ戦争が始まる |
| 1947年〜 | 復興援助を受け入れる。東西対立の中に置かれる |
| 1951年 | 欧州石炭鉄鋼共同体 |
| 1954年5月 | ディエンビエンフーで敗北 |
| 1954年7月 | インドシナからの撤退が決まる |
| 1954年11月 | アルジェリア戦争が始まる |
| 1956年 | モロッコとチュニジアが独立 |
| 1957年 | ローマ条約。欧州経済共同体 |
| 1958年5月 | アルジェで軍が動き、政権が崩れる |
| 1958年10月 | 第五共和政の憲法 |
| 1960年 | サハラ以南の多くの植民地が独立 |
| 1962年3月 | エヴィアン協定。アルジェリアが独立 |
復興と成長
- 📘 栄光の30年:1945年ごろから1975年ごろまでの、フランスの高度経済成長期を指す呼び名。生活水準が大きく上がった時期にあたる。
⚡ 何が変わったか
- 産業の近代化。計画に基づく投資と、基幹産業の国有化。
- 社会保障。医療・年金・家族手当の制度が整備された。
- 人口の増加。戦後に出生率が上がる。戦前からの人口の停滞が反転した。
- 都市化。農村から都市への移動が加速する。大規模な集合住宅が郊外に建てられた。
- 消費。家電・自動車・テレビが普及する。
| 労働力 | 内容 |
|---|---|
| 移民の受け入れ | 成長を支えるため、南欧、そして北アフリカから労働者が来た |
| 位置づけ | 当初は一時的な滞在と考えられていた |
| 帰結 | 家族の呼び寄せが進み、定住が進む。現在の社会構成の起点にあたる(第20章) |
第四共和政の弱さ
⚠️ なぜ不安定だったか
- 議会の権限が強く、内閣が短命だった。12年で20を超える内閣が交替した。
- 多数派が安定して作れなかった。
- 植民地の問題で意見が割れ、決断ができなかった。
- 軍と政府の関係が緊張した。
インドシナとアルジェリア
インドシナ戦争(1946〜1954)は、独立を求める勢力との8年間の戦いだった。1954年のディエンビエンフーでの敗北が決着をつけた。
同じ1954年11月、アルジェリアで武装闘争が始まる。
⚡ アルジェリア戦争が特別だった理由
- アルジェリアは法的に本国の一部として扱われていた(第15章)。「植民地戦争」ではなく「国内の治安」の問題とされた。
- 多数のヨーロッパ系住民が現地に暮らしていた。独立は彼らの生活を根本から変える。
- 徴集兵が投入された。多くの若者が現地に送られた。
- 拷問(ごうもん)が組織的に行われたことが、当時から告発された。フランス国内で大きな論争になる。
- 国内でも事件が起きた。移民労働者への弾圧を含め、本国の社会が戦争と地続きになった。
⚠️ 呼び方の問題
- フランスでは長く「アルジェリアの出来事」と呼ばれ、「戦争」という語が公式に使われるようになったのは1999年である。
- 名づけ方そのものが論点になる。レポートで扱うときは、この経緯に触れておく。
1958年 — 体制の交替
1958年5月、アルジェで軍と入植者の一部が行動を起こし、本国の政府が対応できなくなった。議会はド・ゴールに事態の収拾を委ね、新しい憲法が作られた。
⚡ 第五共和政の特徴
- 大統領の権限が大きい。首相の任命、議会の解散、非常事態の権限。
- 1962年の国民投票で、大統領を直接選挙で選ぶことが決まる。
- 議会の権限は第四共和政より抑えられている。
- この制度が現在まで続く(第19・20章)。
1962年3月のエヴィアン協定で、アルジェリアの独立が決まった。
| その後 | 内容 |
|---|---|
| 引き揚げ | 現地のヨーロッパ系住民の大半が本国へ移った。約80万人規模とされる |
| アルジェリア側の協力者 | フランス側で働いた人々の多くが取り残され、渡航できた者も厳しい扱いを受けた |
| 記憶 | 双方に深い傷が残り、長く公的に語られなかった |
社会の条件
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 生活 | 急速に豊かになった。ただし住宅は不足し、郊外に団地が建設された |
| 教育 | 進学率が上がる。大学生が急増する(第19章の前提) |
| 女性 | 参政権を得たが、法的な不平等が残る。既婚女性の権利が制限されていた |
| 移民 | 労働力として受け入れられ、社会的な統合の課題は先送りされた |
| 対外 | ヨーロッパ統合が始まる。同時に独自の外交路線を模索する |
文学とのつながり
⚡ この時期の文学の条件
- 実存主義 — 戦後の数年、文学と哲学が政治的な関与と結びつく。
- アルジェリア戦争と作家 — 拷問への抗議、徴兵の拒否をめぐる声明に多くの作家が関わった。知識人の役割(第14章)が、ここで再び前面に出る。
- フランス語圏の文学の登場 — 独立の過程で、旧植民地の作家がフランス語で書いた作品が読まれるようになる。
- ヌーヴォーロマン — 1950年代に、筋と人物を中心とする小説の約束を疑う試みが現れる。
- 『異邦人』の読み直し — アルジェリアの独立後、この作品の植民地的な構造が論じられるようになる(第15章)。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- 第五共和政の成立を1962年と考える。憲法は1958年、大統領の直接選挙が1962年にあたる。
- アルジェリアの独立を1958年と考える。1962年である。
- インドシナ戦争とアルジェリア戦争を同時期と考える。インドシナが1946〜1954年、アルジェリアが1954〜1962年で、入れ替わる形になる。
- 移民の受け入れを1970年代からと考える。戦後の成長期にすでに始まっている。
郊外の団地はどう作られたか
現在よく語られる「郊外」の問題は、この時期の住宅政策に始まる。
| 時期 | 内容 |
|---|---|
| 戦後 | 深刻な住宅不足。戦災と人口増、そして農村からの流入 |
| 1950年代 | 大規模な集合住宅の建設が始まる |
| 1960年代 | 建設が加速。引き揚げ者と移民労働者の受け皿にもなった |
| 1970年代以降 | 産業の衰退と失業。中間層が転出し、低所得層が残る |
| 現在 | 社会的な困難と結びつけて語られる(第20章) |
⚡ 押さえる点
- 当初は近代的な住環境として歓迎された。水道と暖房のある住居だった。
- 問題は建物そのものより、その後の雇用と交通と教育にあるという指摘が多い。
- 「郊外」という語の含みは、この歴史の結果として生じた(第20章)。
記憶が語られるまでの時間
⚠️ アルジェリア戦争は長く語られなかった
- 恩赦の法律により、多くのことが法的に問われないまま処理された。
- 徴集兵として送られた世代が、経験を語らないことが多かった。
- 引き揚げ者と、現地協力者の記憶も、公的には扱われにくかった。
- 1990年代以降、研究と証言と作品が増える。
- 1999年に「戦争」という語が公式になった。名づけが遅れたこと自体が、この主題の性格を示している。
⚡ 第18章の通過チェック
- 栄光の30年に何が変わったかを5つ言える
- 第四共和政が不安定だった理由を4つ言える
- インドシナ戦争とアルジェリア戦争の期間をそれぞれ言える
- アルジェリア戦争が特別だった理由を4つ言える
- 「戦争」という呼び方が公式になった年を言える
- 第五共和政の特徴を4つ言える
- 独立後の引き揚げと、その規模を言える
次章へ
次章は第五共和政と1968年5月である。学生の運動から始まり、全国のストライキに広がり、数週間で社会の空気が変わる。
そして1970年代、成長が止まり、女性の権利をめぐる法律が相次いで成立する。現在のフランス社会の輪郭は、この時期にほぼできあがる。