中世|第2章 ガリアからフランク王国へ — 枠の成立
この章の狙い
要点: 「フランス」は最初から存在していたのではない。ローマの属州(ぞくしゅう)だった土地に、ゲルマン系の王国ができ、それが843年に3つに割れ、西の部分がのちのフランスになった。
この時期に決まったものが3つある。キリスト教が国の宗教になったこと、王が教会によって聖別(せいべつ)されるようになったこと、そして話し言葉がラテン語から離れ始めたことである。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 前58〜前51年 | カエサルのガリア征服。前52年にアレシアで決着 |
| 1〜4世紀 | ローマ領ガリア。都市・道路・ラテン語が広まる |
| 4世紀 | ローマ帝国でキリスト教が公認され、のち国教になる |
| 5世紀 | ゲルマン諸族の移動。西ローマ帝国が滅びる(476年) |
| 481年ごろ | クロヴィスがフランク王国の王になる |
| 496年ごろ | クロヴィスの改宗。カトリックを選ぶ |
| 732年 | トゥール・ポワティエ間の戦い。カール・マルテルがイスラム勢力を退ける |
| 751年 | ピピンが王位に就く。カロリング朝が始まる |
| 800年 | カール大帝がローマで戴冠(たいかん) |
| 842年 | ストラスブールの誓い。古フランス語の最古の記録の一つ |
| 843年 | ヴェルダン条約。帝国が3つに分割される |
| 9〜10世紀 | ノルマン人の侵入。911年にノルマンディー公領が生まれる |
| 987年 | ユーグ・カペーが王に選ばれる。カペー朝の開始 |
ローマ領ガリア
- 📘 ガリア:現在のフランス・ベルギー・スイス西部などにあたる地域の、ローマ時代の呼び名。住んでいたのはケルト系の諸部族だった。
カエサルが8年ほどで征服した。その記録である『ガリア戦記』が、この地域についての最初のまとまった記述になっている。
⚡ ローマが残したもの
- ラテン語 — 支配と行政の言語。やがて話し言葉のラテン語が変化してフランス語になる。
- 都市 — リヨン、ナルボンヌ、パリなど。街道でつながれた。
- 法と行政の枠組み — のちの王権もこれを受け継ぐ。
- キリスト教 — 4世紀以降に広まり、司教(しきょう)が都市の有力者になる。
- 📘 俗ラテン語:文章語ではない、日常で話されていたラテン語のこと。地域ごとに変化し、フランス語・イタリア語・スペイン語などに分かれていった。
フランク王国とクロヴィスの改宗
5世紀、ゲルマン系の諸族が西ローマ領内に入る。そのうちフランク族が北部を押さえ、クロヴィスが諸部族をまとめた。
⚡ クロヴィスの改宗が決定的だった理由
- 当時のゲルマン諸王の多くは、アリウス派というキリスト教の一派を信じていた。ローマ教会からは異端(いたん)とされていた。
- クロヴィスはローマ教会と同じカトリックを選んだ。
- その結果、ガリアの司教たちと、ローマに残っていた支配層の支持を得られた。
- 王権と教会が結びつくという形が、ここから千年以上続く。
- 📘 メロヴィング朝:クロヴィスの一族による王朝(5〜8世紀)。王国は相続のたびに分割され、王権は弱まっていった。
カロリング朝と帝国の分割
8世紀、実権は宮宰(きゅうさい)という役職の一族に移る。カール・マルテルが732年にイスラム勢力の北への進出を止め、その子ピピンが751年に王位そのものを取った。
⚡ 751年に起きたことの意味
- 教皇の承認を得て王位を交替した。力ではなく、宗教的な正当化を伴っている。
- 聖別の儀式が行われた。王は油を注がれることで、単なる支配者とは違う存在になる。
- この形式は、のちのフランス国王の戴冠式に受け継がれる。
- 📘 カール大帝(742ごろ-814):カロリング朝の王。800年にローマで皇帝として戴冠した。西ヨーロッパの広い範囲を一時的に統一し、学問と写本の復興を進めた。
帝国は長続きしなかった。孫の代で争いが起き、843年のヴェルダン条約で3つに分割される。
| 分割 | のちの姿 |
|---|---|
| 西フランク | のちのフランス |
| 中フランク | イタリア北部からロレーヌにかけての帯状の地域。のちに分解する |
| 東フランク | のちのドイツ |
⚠️ ヴェルダン条約で「フランスができた」と単純に言わない
- 分割されたのは支配権であって、国民でも国境でもない。
- 「フランス」という名と枠が実体を持つのは、もっと後の時代にあたる。
- ただし、西と東が別々の歴史をたどり始める分岐点としては重要である。
言語が分かれ始める
842年のストラスブールの誓いは、カール大帝の孫たちが同盟を結んだときの文書である。互いの兵に分かるよう、一方は古フランス語、もう一方は古高ドイツ語で読み上げられた。
⚡ この記録が重要な理由
- 話し言葉がもうラテン語ではなくなっていたことの証拠になる。
- 古フランス語で書かれた最古級の記録にあたる。
- 言語の分化と、政治の分割が同じ時期に起きている。
813年には、教会の会議で「説教は俗語で行うように」と決められている。ラテン語では民衆に通じなくなっていたということである。
社会の条件
この時期のガリア・フランクに生きた人は、次の条件の下にいた。
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 生活 | ほぼ全員が農業。都市は縮小し、人口も減った |
| 支配 | 王の力は弱く、地方の有力者が実際に土地を支配していた |
| 宗教 | カトリックが唯一の枠組み。修道院が学問と写本を担う |
| 文字 | 読み書きができるのは聖職者がほとんど。書かれるのはラテン語 |
| 安全 | 9世紀以降、ノルマン人の侵入が繰り返される |
書かれたものが少ないのは、書ける人が少なかったからである。この時代の文学として残っているものは、ほとんどがラテン語で、教会に関わるものにあたる。
文学とのつながり
⚡ この時代が作品に現れるところ
- 『ロランの歌』の背景は、カール大帝のスペイン遠征(778年)にある。ただし作品が書かれるのは11〜12世紀で、300年以上あとになる。
- つまり『ロランの歌』は、歴史の記録ではなく、後の時代がつくった過去の像にあたる。
- 異教徒との戦いという枠組みは、作品が書かれた時期の十字軍の意識を反映している(第3章)。
- フランス語で書かれた文学が現れるのは、話し言葉がラテン語から離れたあとである。この章の言語の話が、そのまま文学の前提になる。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- クロヴィスとカール大帝を同じ王朝と考える。クロヴィスはメロヴィング朝、カール大帝はカロリング朝にあたる。
- 800年の戴冠を「フランス王」の戴冠と考える。カール大帝は皇帝であり、支配範囲はのちのフランスより広い。
- 『ロランの歌』を778年の記録と考える。成立は11〜12世紀である。
- ガリア=フランスと考える。ガリアはローマ時代の地域名にあたる。
残ったものを見る
この時代のものは、いまも目に見える形で残っている。作品を読むときの手がかりになる。
| 残っているもの | 由来 |
|---|---|
| 地名 | ローマ時代の都市名が変化したもの、ゲルマン系の人名に由来するもの |
| 道 | ローマの街道の一部が、後の街道と重なっている |
| 教会の建物 | 初期の教会の跡地に、後の時代の聖堂が建てられた例が多い |
| 語彙 | フランス語の基本語彙の大半はラテン語由来。ゲルマン系の語も一定数入っている |
⚡ 言語に残った層
- ケルト系 — ごく少数。地名と一部の語に残る。
- ラテン語 — 圧倒的多数。話し言葉のラテン語が変化してフランス語になった。
- ゲルマン系 — 戦争・色・身体に関わる語などに入っている。
- この3つの層が重なっているのが、フランス語の語彙の基本構造にあたる。詳しくはフランス語の教材の語源の章で扱う。
「フランス」という呼び名
⚠️ 名前と実体を分けて考える
- 「フランク人の土地」を意味する語が、地域の名として使われるようになった。
- 西フランク王国の王が「フランス王」と呼ばれるようになるのは、もっと後にあたる。
- カペー朝の初期でも、支配できた範囲はごく狭い(第3章)。
- したがって、この時代について「フランスが〜した」と書くときは注意が要る。「西フランク王国が」「王が」と書き分けるほうが正確である。
⚡ 第2章の通過チェック
- カエサルのガリア征服の時期と、その記録の名を言える
- ローマがガリアに残したものを4つ言える
- クロヴィスの改宗がなぜ決定的だったかを説明できる
- メロヴィング朝とカロリング朝の交替が751年に起きたことと、その正当化の形を言える
- 843年のヴェルダン条約の3分割と、そのうちどれがフランスになるかを言える
- ストラスブールの誓いが言語史上なぜ重要かを言える
- 『ロランの歌』の題材と成立時期のずれを説明できる
次章へ
次章はカペー朝と封建社会である。987年から1328年まで、弱い王が少しずつ力をつけていく340年間を扱う。
この時期に、三つの身分・封建的な主従関係・都市の成立・大学の誕生という、中世社会の骨格ができあがる。そして十字軍が始まり、『ロランの歌』や騎士道物語が書かれるのもこの時代にあたる。