20世紀|第17章 第二次世界大戦 — 敗北・占領・解放(1939〜1945)
この章の狙い
要点: この4年間は、フランス史のなかで最も扱いが難しい時期である。6週間で敗れ、政府自身が占領国と協力し、その体制の下でユダヤ人の迫害に加担した。
同時に抵抗運動が組織され、1944年に解放される。戦後、この時期をどう語るかが長く争われてきた。文学の側でも、書いた人がどう振る舞ったかが問われ続けている。
年表
| 年月 | 出来事 |
|---|---|
| 1939年9月 | 宣戦布告。戦闘は起きない状態が続く |
| 1940年5〜6月 | ドイツ軍の攻勢。戦線が崩壊し、大量の避難民が南へ動く |
| 1940年6月18日 | ロンドンからの呼びかけ(放送) |
| 1940年6月22日 | 休戦協定 |
| 1940年7月10日 | 議会が全権を委ねる。ヴィシーに政府が置かれる |
| 1940年10月 | ユダヤ人の地位に関する法令 |
| 1942年7月 | パリでの大規模な一斉検挙 |
| 1942年11月 | 南部の自由地域もドイツ軍に占領される |
| 1943年 | 強制労働への徴用。抵抗運動に人が集まる |
| 1943年5月 | 抵抗運動の全国組織が結成される |
| 1944年6月6日 | 連合軍のノルマンディー上陸 |
| 1944年8月 | パリ解放 |
| 1944年 | 女性の参政権が定められる(投票は1945年) |
| 1945年5月 | ドイツの降伏 |
1940年の敗北
1939年9月の宣戦布告から翌年5月まで、西部戦線ではほとんど戦闘が起きなかった。
⚡ なぜ6週間で敗れたか
- ドイツ軍が要塞線を迂回(うかい)し、突破口を作った。
- 機甲部隊と航空機の運用で差があった。
- 通信と指揮が混乱し、部隊の再編ができなかった。
- 大量の避難民が道路を埋め、軍の移動を妨げた。
- 政治的にも動揺が大きく、戦争継続の意思がまとまらなかった。
6月22日に休戦協定が結ばれた。国土は北部の占領地域と南部の自由地域に分けられ、多数の捕虜がドイツに留め置かれた。
ヴィシー政府
1940年7月10日、議会が元帥(げんすい)に全権を委ねた。共和政の制度が停止され、「フランス国」を名乗る体制が始まる。
- 📘 ヴィシー政府:1940年から1944年まで、フランス中部の町ヴィシーに置かれた政府のこと。共和政の標語を「労働・家族・祖国」に置き換えた。
⚡ この体制がしたこと
- 議会と選挙を停止した。共和政の制度を否定する方向へ進んだ。
- 独自の政策を進めた。この体制は、占領国に強いられただけでなく、自らの構想を持っていた。
- 1940年10月、ユダヤ人の地位に関する法令を、ドイツ側の要求によらず自ら制定した。職業と権利が制限された。
- 1942年以降、一斉検挙と移送に行政と警察が関与した。約7万5千人がフランスから移送され、生還者はごく少数だった。
⚠️ 戦後の扱いの変化
- 戦後しばらくは、「ヴィシーは正統な政府ではなく、フランス国民は抵抗した」という語り方が優勢だった。
- 1970年代以降の研究が、行政と警察の関与の広さを明らかにした。
- 1995年、大統領がフランス国家の責任を公式に認めた。
- レポートで扱うときは、「いつの時点の語り方か」を意識する。
抵抗運動
⚡ 抵抗の広がり方
- 1940年の時点では、ごく少数だった。
- 1942年以降に増える。南部の占領、そして1943年の強制労働への徴用が大きな契機になった。徴用を逃れた若者が山間部の部隊に加わった。
- 立場はさまざまだった。共産党系、軍人系、キリスト教系、地域ごとの独立した集団。
- 1943年に全国組織がまとめられた。その中心人物は同年に逮捕され、命を落とす。
- 国外では自由フランスの部隊が編成され、植民地からの兵も加わった(第15章)。
印刷と出版も抵抗の一部だった。地下出版の詩や小説が流通し、書くこと自体が政治的な行為になった。
解放とその後始末
1944年6月の上陸、8月のパリ解放を経て、臨時政府が成立した。
| 課題 | 内容 |
|---|---|
| 粛清(しゅくせい) | 協力者の処罰。裁判によるものと、法の外で行われたものの両方があった |
| 制度 | 共和政の再建。1946年に第四共和政の憲法 |
| 女性参政権 | 1944年に定められ、1945年の選挙で初めて投票が行われた |
| 社会保障 | 抵抗運動の綱領に基づき、戦後に制度が整備される |
| 経済 | 基幹産業の国有化 |
⚠️ 粛清をめぐる論点
- 作家と記者が裁かれた。書いたことの責任がどこまで問われるかが争われた。
- 処罰の範囲と基準は一様でなかった。
- この経験が、文学者の政治的責任という主題を戦後の議論の中心に置いた。
社会の条件
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 食料 | 配給制。慢性的な不足と闇市(やみいち) |
| 移動 | 地域間の移動が制限された |
| 情報 | 占領当局とヴィシーの検閲。地下出版と外国からの放送が対抗手段 |
| 労働 | 強制労働への徴用。多くの若者が国外へ送られた |
| 迫害 | ユダヤ人、ロマ、政治犯、抵抗運動参加者への迫害と移送 |
文学とのつながり
⚡ この時期が文学に残したもの
- 『異邦人』は1942年、占領下のパリで刊行された。検閲を通って出版されている。
- 地下出版 — 抵抗運動に関わる詩と小説が、非合法に印刷され流通した。
- 戦後の責任の問題 — 占領下でどう振る舞ったかが、作家の評価に直結した。
- 実存主義と不条理 — 戦後に広く読まれた背景には、この4年間の経験がある。
- 証言の文学 — 収容所からの生還者による記録が、戦後に書かれる。証言と文学の関係が問われる。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- ヴィシー政府を単なる傀儡(かいらい)と考える。独自の政策を持っていた面がある。
- 1940年10月の法令をドイツの要求と考える。フランス側が自ら制定したものにあたる。
- フランス全土が1940年から占領されていたと考える。南部の占領は1942年11月である。
- 女性が1945年に参政権を得たと考える。定められたのは1944年、最初の投票が1945年にあたる。
証言と史料
この時期を扱うときは、史料の性格に注意が要る。
| 史料 | 注意 |
|---|---|
| 公文書 | ヴィシー側の文書は残っているが、廃棄されたものもある |
| 裁判記録 | 戦後の裁判の記録。証言者が自分を守る動機を持つ |
| 回想録 | 戦後に書かれたものは、その時点の評価が入っている |
| 収容所からの証言 | 生還者による記録。書かれた時期によって受け止められ方が違った |
| 地下出版物 | 当時の文書。流通の範囲は限られていた |
⚡ 書かれた時期を見る
- 1945〜60年代の記述は、抵抗を強調する枠組みが強い。
- 1970年代以降の研究が、協力の広がりを扱うようになった。
- 1990年代以降、公的な責任の承認が進む。
- 同じ事実についての記述でも、いつ書かれたかで力点が違う。必ず刊行年を確かめる。
文学者の責任という主題
⚠️ 扱いに注意が要る主題
- 占領下で何を書き、どこに発表したかが、戦後の評価を分けた。
- 裁かれた作家がいる一方、判断が難しい例も多い。
- 「沈黙」も選択だったという議論がある。
- レポートで個人の行動を評価する場合は、確定した事実だけを根拠にする。推測で断定しない。
- この問題は、文学と政治の関係を考える出発点として、いまも参照される。
⚡ 第17章の通過チェック
- 1940年の敗北の理由を4つ言える
- ヴィシー政府がいつ成立し、何を停止したかを言える
- 1940年10月の法令の性格を説明できる
- 抵抗運動が広がった契機を2つ言える
- 解放後の課題を4つ言える
- 女性参政権が定められた年と、最初の投票の年を言える
- この時期の語られ方が戦後に変化したことを説明できる
次章へ
次章は戦後の再建と脱植民地化である。経済が急速に成長する一方で、植民地での戦争が続く。
インドシナ、そしてアルジェリア。この戦争が第四共和政を倒し、第五共和政を生む。フランス語圏の文学が現在の形になるのも、この過程を通してである。