近世|第8章 18世紀の王国 — 繁栄と行き詰まり
この章の狙い
要点: 18世紀のフランスは、豊かになりながら、同時に行き詰まっていった。人口は増え、貿易は伸び、書物は広がった。しかし財政は戦争のたびに悪化し、身分制は現実と合わなくなっていった。
そして世論という新しい力が生まれる。書物・新聞・カフェ・サロンを通じて、政府の外側に意見が形成される場ができた。これが革命の前提になる。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1715年 | ルイ14世が死去。摂政(せっしょう)期が始まる(〜1723) |
| 1720年 | ローの制度が破綻。紙幣と株式の投機が崩れる |
| 1723〜1774年 | ルイ15世の治世 |
| 1740〜1748年 | オーストリア継承戦争 |
| 1751〜1772年 | 『百科全書』の刊行(本文編は1751〜65年) |
| 1756〜1763年 | 七年戦争。カナダとインドでの拠点を失う |
| 1774年 | ルイ16世が即位 |
| 1778〜1783年 | アメリカ独立戦争に参戦。財政が決定的に悪化する |
| 1774〜1787年 | テュルゴー、ネッケル、カロンヌが財政改革を試み、いずれも挫折 |
| 1787〜1788年 | 高等法院と貴族が改革に抵抗する |
| 1788年8月 | 三部会の招集が決まる(1614年以来) |
| 1789年5月 | 三部会が開かれる(第9章へ) |
経済と社会の変化
⚡ 18世紀に伸びたもの
- 人口 — 世紀を通じて2000万人台から2800万人前後へ増えたとされる。
- 大西洋貿易 — 港町が栄えた。砂糖・コーヒーなどの植民地産品と、奴隷貿易が関わっている(第15章)。
- 消費 — 都市で衣類・書物・コーヒーなどの消費が広がる。
- 識字 — 地域差はあるが、読み書きできる人の割合が上がった。
同時に、農村の状況は改善していない。人口が増えたぶん、土地の分割が進み、一人あたりの取り分が減った。凶作の年には食料の価格が跳ね上がる。
財政という時限装置
フランスの財政問題は、単なる浪費(ろうひ)ではない。構造の問題である。
⚠️ なぜ税が足りなかったか
- 特権身分が主要な直接税を免除されていた。最も豊かな層から取れない。
- 地域ごとに税制が違い、免除も多かった。統一した課税ができない。
- 徴税を請負人に委ねていた。中間で取り分が消える。
- 借金の利払いが膨らんでいた。アメリカ独立戦争への参戦が決定打になる。
改革案は繰り返し出された。特権身分にも課税しようとする案である。そのたびに高等法院と貴族が反対し、王は撤回した。
⚡ 1787〜1788年に起きたこと
- 王は特権身分の会議を開いて同意を得ようとしたが、拒まれた。
- 高等法院は「新税を認められるのは三部会だけだ」と主張した。
- 結果として、王は三部会の招集に追い込まれた。
- つまり革命の直接の引き金を引いたのは、まず特権身分の抵抗だった。
世論という新しい力
- 📘 世論:新聞・書物・カフェ・サロンなどを通じて形づくられる、政府の外側にある意見のまとまりのこと。18世紀に力を持ち始めた。
| 場 | 働き |
|---|---|
| サロン | 貴族・文人・学者が交わる。思想が社交の話題になる |
| カフェ | 都市の中間層が新聞を読み、議論する |
| 書物と小冊子 | 禁書(きんしょ)が国外で印刷され、密輸された |
| アカデミー | 地方都市にも作られ、懸賞論文(けんしょうろんぶん)が議論を広げた |
| 裁判の記録 | 弁論趣意書が印刷され、世論に訴える手段になった |
⚡ 検閲があっても広がった理由
- 国外での印刷。スイスやオランダで刷り、国境を越えて持ち込まれた。
- 匿名(とくめい)と偽の刊行地。摘発を避ける工夫が定着していた。
- 取り締まりが徹底しなかった。当局の側にも黙認する動きがあった。
- 禁じられること自体が宣伝になった。
啓蒙と政治
思想の中身は04の領域で扱う。ここでは政治との関わりだけを押さえる。
⚡ 18世紀の批判が向かった先
- 特権 — 生まれによって扱いが変わることへの疑い。
- 宗教的な不寛容 — ナントの王令の取り消し(第6章)が具体例として繰り返し参照される。
- 恣意的(しいてき)な逮捕 — 王の命令で裁判なしに投獄できる仕組みへの批判。
- 検閲 — 出版の自由を求める議論。
⚠️ 啓蒙思想が革命を起こしたと単純化しない
- 思想家の多くは王政そのものの廃止を主張していない。
- 革命の直接の原因は、財政の破綻・凶作・特権身分の抵抗にあたる。
- ただし、批判の言葉と枠組みを用意したことは確かである。
- 「原因」と「言語を与えたこと」を区別して書く。
1788〜1789年の危機
| 要因 | 内容 |
|---|---|
| 財政 | 国庫が枯渇し、借り換えもできなくなった |
| 凶作 | 1788年の不作。1789年春にパンの価格が最高水準に達する |
| 政治 | 三部会の招集が決まり、「どう構成するか」が争点になる |
| 陳情 | 全国から陳情書(ちんじょうしょ)が集められた。当時の不満が分かる史料にあたる |
⚡ 三部会の構成が最大の争点だった
- 従来は3つの身分が別々に集まり、身分ごとに1票だった。この形なら第三身分は必ず2対1で負ける。
- 第三身分は、代表の数を倍にすることと、全員が一緒に集まって一人1票で採決することを求めた。
- 代表の倍増は認められたが、採決の方法は決まらないまま開会した。
- この未決着が、開会直後の対立になる(第9章)。
社会の条件
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 身分 | 法的には17世紀と同じ。しかし現実との差が広がった |
| 経済 | 都市と港は繁栄。農村は人口増で圧迫される |
| 出版 | 検閲は続くが、実際には多くの書物が流通した |
| 読者 | 読者層が広がる。女性の読者も増えた |
| 期待 | 改革はできるという感覚が広まっていた |
文学とのつながり
⚡ 18世紀の作品を読むときに要る背景
- 書簡体小説 — 手紙が実際に社交と情報の手段だった時代にあたる。『ペルシア人の手紙』『危険な関係』。
- 哲学的な物語 — 検閲を避けつつ議論を届ける形式として機能した。『カンディード』。
- 自伝 — 個人の内面を書くことが、新しい主題として現れる。『告白』。
- 禁書と匿名 — 作家は摘発の可能性を計算して書いていた。刊行地の偽装は珍しくない。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- ルイ15世とルイ16世を取り違える。七年戦争はルイ15世、アメリカ独立戦争参戦と革命はルイ16世にあたる。
- 三部会の招集を王の自発的な決断と考える。財政の行き詰まりと特権身分の抵抗に追い込まれた結果である。
- 1614年から1789年まで三部会が制度として消えていたと考える。招集されなかっただけで、制度としては残っていた。
- 啓蒙思想=共和主義と考える。そうではない。
地方の多様性
「フランス」と一括りにできない状態が、18世紀末まで続いていた。
| 面 | 実際 |
|---|---|
| 言語 | 地域言語が広く話されていた。フランス語を話せない住民が多数いた地域もある |
| 度量衡 | 地域ごとに単位が違う。同じ名前でも量が違うことがあった |
| 税 | 地域ごとの取り決めと免除 |
| 法 | 北は慣習法、南はローマ法の影響が強い。地方ごとに慣習法典があった |
| 関税 | 国内にも関税の壁があった |
⚡ 革命がここを変える
- 県の設置により、旧来の地方の枠が消える(第9章)。
- 度量衡の統一が進む。
- 国内関税の撤廃。
- 法の統一は民法典で達成される(第10章)。
- 言語の統一は、学校を通じて19世紀後半に進む(第14章)。
1789年の陳情書
- 📘 陳情書(ちんじょうしょ):三部会にあたり、各地の各身分が作成した要望の文書のこと。当時の不満が何であったかを知るための、まとまった史料にあたる。
⚡ 何が書かれていたか
- 税の不公平への不満が広く見られる。
- 領主の権利や特権への批判。
- 一方で、王政そのものの廃止を求めるものはほとんどない。
- つまり1789年初めの時点では、改革が期待されていた。共和政は想定されていない。
⚡ 第8章の通過チェック
- 18世紀に伸びたものを4つ言える
- 税が足りなかった構造上の理由を4つ言える
- 1787〜1788年に王が三部会の招集に追い込まれた経緯を言える
- 世論を形づくった場を4つ言える
- 検閲があっても書物が広がった理由を4つ言える
- 啓蒙思想と革命の関係を、原因と言語に分けて説明できる
- 三部会の構成をめぐる争点を、票の数え方の面から言える
次章へ
次章はフランス革命である。10年間で、王政が倒れ、共和政ができ、王が処刑され、恐怖政治が来て、それも倒れる。
年表を追うだけでは意味が取れない。何が争われていたのか、誰が誰と対立していたのかを、順を追って押さえる。