近世|第6章 絶対王政の確立 — アンリ4世からルイ14世へ
この章の狙い
要点: 内戦で崩れた王権が、100年かけて「絶対王政」と呼ばれる形になる。その中身は、貴族から独立した官僚・常備軍・恒常的な税・そして王を中心に据えた文化の4つである。
ただし「絶対」は「何でもできる」という意味ではない。王は法と慣習に縛られており、実際には地方の抵抗や財政の限界に常に直面していた。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1598年 | ナントの王令。アンリ4世が国内を立て直す |
| 1610年 | アンリ4世が暗殺される。ルイ13世が幼くして即位 |
| 1624〜1642年 | リシュリューが宰相(さいしょう)として実権を握る |
| 1635年 | アカデミー・フランセーズの設立 |
| 1635年 | 三十年戦争に本格的に参戦する |
| 1643年 | ルイ13世が死去。ルイ14世が4歳で即位。マザランが実権を握る |
| 1648〜1653年 | フロンドの乱 |
| 1648年 | ウェストファリア条約。三十年戦争が終わる |
| 1661年 | マザランが死去。ルイ14世の親政が始まる |
| 1661〜1683年 | コルベールの財政・産業政策 |
| 1682年 | 宮廷がヴェルサイユに移る |
| 1685年 | ナントの王令の取り消し |
| 1701〜1714年 | スペイン継承戦争 |
| 1715年 | ルイ14世が死去(在位72年) |
内戦のあとの立て直し
アンリ4世は、宗教戦争を終わらせた王として記憶されている。財政を立て直し、農業と道路を整備した。1610年の暗殺は、宗教的な対立がまだ収まっていなかったことを示している。
リシュリューは、ルイ13世の下で20年近く実権を握った。
⚡ リシュリューが進めた3つ
- 1. 貴族の自立を抑える。私闘の禁止、城砦(じょうさい)の破却。
- 2. プロテスタントの政治的・軍事的な特権を削る。信仰は認めるが、拠点は取り上げた。
- 3. 対外的にはハプスブルク家に対抗する。カトリック国でありながら、プロテスタント側と組んだ。国家の利害を宗教より優先した例として挙げられる。
- 📘 アカデミー・フランセーズ:1635年にリシュリューが公認した学術団体。フランス語の規範を定め、辞書を編むことを任務とした。言語の統一が、国家の事業として扱われたことを示している。
フロンドの乱
- 📘 フロンドの乱:1648年から1653年にかけて起きた、高等法院と大貴族による反乱のこと。増税と中央集権への反発が背景にあった。
⚡ なぜ重要か
- 王がパリを離れて逃げる事態になった。幼いルイ14世はこれを経験している。
- 反乱側がまとまらず、失敗に終わった。
- 結果として、貴族の政治的な抵抗はここで終わる。以後、貴族は宮廷での地位を争う方向に向かう。
- ルイ14世がパリを嫌い、のちにヴェルサイユへ移る動機の一つとして語られる。
- 📘 高等法院:王令を登録し、地方で法として通用させる役割を持った裁判機関のこと。登録を拒むことで王に抵抗できた。議会ではないが、王権を制約する数少ない機関にあたる。
ルイ14世の親政
1661年、マザランの死後、ルイ14世は宰相を置かないと宣言した。以後54年間、自ら統治する。
| 手段 | 内容 |
|---|---|
| 地方長官 | 王が任命し、いつでも解任できる官僚。地方の実務を握る |
| 宮廷 | 大貴族をヴェルサイユに集め、儀礼(ぎれい)の序列で競わせた |
| 財政と産業 | コルベールが主導。輸出を増やし輸入を減らす方向。王立の工場、道路と港の整備 |
| 軍 | 常備軍を大幅に拡大。指揮官の任命を王が握る |
| 文化 | アカデミーを整備し、芸術家と作家に年金を与えた |
⚡ 文化が統治の一部だった
- 王を讃える建築・絵画・音楽・演劇が組織的に作られた。
- 作家は保護者(パトロン)を必要とした。年金や職を得るには、宮廷や有力者との関係が要る。
- 上演も出版も許可制にあたる。書く内容は、この条件の下で決まっていた。
- 17世紀の文学を「宮廷から独立した表現」として読まないのは、この理由による。
ナントの王令の取り消し
1685年、ルイ14世はナントの王令を取り消した。プロテスタントの礼拝は禁じられ、教会は破壊された。
⚠️ その結果
- 20万人前後が国外へ逃れたとされる。多くが職人・商人・専門職だった。
- 逃れた先はオランダ・イングランド・ドイツ・スイスなど。受け入れ国の産業に貢献した。
- フランスにとっては人的な損失であり、後の時代に批判の対象になる。
- 啓蒙の時代に、寛容を論じるときの具体例として繰り返し参照される(第8章)。
「絶対王政」の限界
⚠️ 「絶対」を誤解しない
- 法の上に立つという意味ではない。王は基本法と慣習に縛られていると考えられていた。
- 地方には固有の特権と制度が残っていた。税の仕組みも地域ごとに違う。
- 財政は常に苦しかった。戦争のたびに借金が増える。
- 官職を売って収入を得ていた。買った側は世襲でき、王はその人を解任しにくくなる。
- 📘 売官(ばいかん):国家が官職を売り、買った者がその職と収入を得る仕組みのこと。短期の財源になるが、長期的には行政を硬直させた。
社会の条件
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 身分 | 三身分がそのまま法的な区分として生きている |
| 課税 | 聖職者と貴族は主要な直接税を免除されていた。負担は第三身分に集中する |
| 農村 | 大多数は農民。凶作と飢饉(ききん)が周期的に起きる |
| 都市 | パリは大きく成長する。印刷・劇場・サロンが集まる |
| 統制 | 出版は許可制。上演も検閲を受ける |
文学とのつながり
⚡ 17世紀前半から後半へ
- アカデミー・フランセーズの成立が、「正しいフランス語」という規範を作った。古典主義の言語観の土台にあたる。
- フロンドの乱の記憶が、モラリストたちの人間観に影を落としている。人の動機を疑う視線は、この混乱を見た世代のものにあたる。
- ヴェルサイユの宮廷が、悲劇と喜劇の上演の場になる。観客が誰かを知らないと、作品の狙いが分からない。
- 保護者と検閲という条件が、書ける主題を限定していた。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- リシュリューを国王と考える。宰相であり、王はルイ13世にあたる。
- フロンドの乱を民衆蜂起と考える。高等法院と大貴族による反乱である。
- ヴェルサイユへの移転を1661年と考える。親政の開始が1661年、移転は1682年にあたる。
- ナントの王令の取り消しを、宗教戦争の一部と考える。87年後の別の出来事である。
財政という弱点
絶対王政の限界は、財政に最もはっきり現れる。
| 収入の手段 | 問題 |
|---|---|
| 直接税 | 特権身分が免除。負担が第三身分に集中する |
| 間接税 | 塩・飲料などへの課税。地域ごとに税率が違う |
| 売官 | 短期の現金は入るが、買った者を解任できなくなる |
| 借入 | 戦争のたびに膨らむ。利払いが固定費になる |
⚡ なぜ改革できなかったか
- 特権を削ると、支配の基盤である身分秩序が揺らぐ。
- 高等法院が王令の登録を拒むことで抵抗できた。
- 地域ごとの取り決めを一律に変えられない。
- この行き詰まりが、1789年まで解けないまま持ち越される(第8章)。
宮廷と地方の距離
⚠️ ヴェルサイユの像に引きずられない
- 宮廷にいたのは、貴族のなかでもごく一部にあたる。
- 地方には、王を見たこともない貴族と、王の名しか知らない農民がいた。
- 地方長官が中央の意思を伝えたが、地元の有力者との交渉なしには実行できなかった。
- 「中央集権」は方向であって、達成された状態ではない。
- この距離感が、18世紀の地方の反発と、革命期の地域差の背景になる。
⚡ 第6章の通過チェック
- リシュリューが進めた3つを言える
- アカデミー・フランセーズの設立年と任務を言える
- フロンドの乱が何であり、どんな帰結をもたらしたかを言える
- 高等法院がどのように王権を制約できたかを言える
- ルイ14世の統治の手段を5つ言える
- 1685年の取り消しと、その帰結を言える
- 「絶対王政」の限界を4つ言える
次章へ
次章は17世紀の社会である。制度の話から、そこに生きた人の条件へ移る。
身分の中身、貴族の種類、パリという都市、サロンと読者、そして民衆の生活。古典主義の作品が誰に向けて書かれ、誰が読んでいたのかを押さえる。