中世|第4章 百年戦争と危機の14〜15世紀
この章の狙い
要点: 14世紀から15世紀にかけて、人口が3分の1以上減り、王国の北半分が敵の手に落ち、王が2人いる状態にまでなった。
それでも最後にフランスが残り、戦争が終わったとき、王権は戦争前より強くなっていた。常備軍と恒常的な税という、近世の国家の骨格がこの過程で生まれたからである。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1328年 | カペー朝の直系が絶え、ヴァロワ朝が始まる |
| 1337年 | 百年戦争が始まる |
| 1346年 | クレシーの戦い。フランス軍が大敗する |
| 1347〜1352年 | 黒死病(こくしびょう)。人口が激減する |
| 1356年 | ポワティエの戦い。国王ジャン2世が捕虜になる |
| 1358年 | ジャックリーの乱。北フランスの農民一揆 |
| 1415年 | アジャンクールの戦い。フランス貴族が大量に戦死する |
| 1420年 | トロワ条約。イングランド王がフランス王位の継承者とされる |
| 1429年 | ジャンヌ・ダルクがオルレアンを解放。シャルル7世がランスで戴冠 |
| 1431年 | ジャンヌ・ダルクが処刑される |
| 1438年 | ブールジュの国事詔書(しょうしょ)。フランス教会の自立を定める |
| 1453年 | 戦争が事実上終わる。イングランドはカレーだけを残す |
| 1461〜1483年 | ルイ11世。ブルゴーニュを崩し、王権を固める |
| 1494年 | イタリア戦争が始まる(第5章へ) |
なぜ戦争になったか
- 📘 百年戦争:1337年から1453年まで、フランス王家とイングランド王家のあいだで断続的に続いた戦争のこと。実際には休戦を挟みながらの116年間にあたる。
⚡ 原因は1つではない
- 王位継承 — カペー朝が絶えたとき、イングランド王も母方を通じて継承権を主張した。表向きの理由。
- 土地 — イングランド王は大陸に領地を持っており、フランス王の家臣でもあった。この二重の立場が争いの種になる。
- 経済 — フランドル地方の毛織物産業をめぐる利害。イングランドの羊毛の輸出先にあたる。
- どれが主因かは、研究者によって重点が違う。1つに決めつけない。
三つの敗北と、社会の崩れ
クレシー・ポワティエ・アジャンクール。フランスは大きな会戦で3度敗れた。
⚡ 敗因として指摘されること
- 騎士の突撃が、弓兵と地形に対して有効でなくなっていた。
- 貴族の指揮系統がまとまらなかった。封建的な軍は、主君ごとの寄せ集めにあたる。
- この敗北が、貴族の軍事的な役割そのものへの信頼を揺るがした。
黒死病はさらに大きかった。1347年以降の数年で、ヨーロッパの人口の3分の1前後が失われたとされる。
| 影響 | 内容 |
|---|---|
| 労働力 | 働き手が減り、賃金が上がった。領主の取り分が減る |
| 土地 | 耕作されない土地が増える |
| 秩序 | 既存の説明が通じなくなる。宗教的な不安が高まる |
| 表現 | 死を主題にした図像と文学が広がる |
1358年のジャックリーの乱は、戦争の負担と混乱の中で起きた農民の蜂起(ほうき)である。短期間で鎮圧されたが、以後この語は農民一揆の代名詞になる。
ジャンヌ・ダルクと戦局の転換
1420年のトロワ条約で、イングランド王がフランス王位を継ぐことが定められた。フランス王太子シャルルは南に追いやられ、王位の正統性そのものが疑われていた。
⚡ 1429年に起きたこと
- ジャンヌ・ダルクが軍に加わり、オルレアンの包囲を解いた。
- その後、シャルル7世をランスまで導き、そこで戴冠させた。
- ランスでの戴冠は、正統な王であることの証明として決定的な意味を持っていた(第2章の聖別)。
- 1430年に捕らえられ、翌年に異端として処刑された。
⚠️ ジャンヌ・ダルクを扱うときの注意
- 彼女が単独で戦争を終わらせたのではない。戦局の転換には、財政の立て直しや同盟の変化も関わっている。
- 後の時代が繰り返し作り直してきた人物にあたる。19世紀以降、共和派と王党派、カトリックと世俗派が、それぞれ違う像を作った。
- 文学作品で扱われるときは、「どの時代のジャンヌ像か」を見る。
戦争が残したもの
戦争を続けるには、金と兵が要る。そのために作られた仕組みが、戦後も残った。
⚡ 近世国家の骨格が生まれる
- 常備軍 — 戦争のたびに集めるのではなく、常に維持される軍が置かれた。
- 恒常的な税 — 三部会の同意なしに徴収できる直接税が定着する。財政の自立にあたる。
- 官僚 — 徴税と裁判を担う人員が増える。
- 国王への一体感 — 「外敵と戦った王」という像が、地域を越えた結びつきを作った。
1438年のブールジュの国事詔書は、フランス教会の人事と財政について、教皇ではなく国王が影響力を持つ方向を定めた。王権と教会の関係が、フランス独自の形に向かう始まりにあたる。
ルイ11世は、最後の大領主だったブルゴーニュ公家を崩し、王領をさらに広げた。用心深く、交渉と謀略(ぼうりゃく)を好んだ王として描かれる。
社会の条件
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 人口 | 14世紀半ばに激減し、回復に100年以上かかった |
| 農村 | 荒廃した土地が多い。一方で賃金は上がり、農民の地位がわずかに改善した面もある |
| 都市 | 戦火と疫病(えきびょう)で打撃を受けたが、行政と交易の拠点として残る |
| 治安 | 傭兵(ようへい)の集団が略奪して回った。休戦期がとくに危険だった |
| 信仰 | 死と救いへの関心が高まる。巡礼(じゅんれい)と施し(ほどこし)が増える |
文学とのつながり
⚡ この時代の文学に現れるもの
- 死の主題 — 疫病と戦争が日常だった時期の表現にあたる。
- 不安定な生 — 定住も安全も保証されない条件が、作品の背景に入る。
- 俗語(ぞくご)の散文が増える — 年代記(ねんだいき)が書かれ、韻文以外の書き方が広がる。
- 写本文化の最後の時期 — 15世紀後半に印刷術が入り、次の時代の条件が変わる(第5章)。
フランス文学史では、この時期は「中世の終わり」として扱われる。武勲詩や騎士道物語の型が力を失い、新しい枠組みがまだない、移行の期間にあたる。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- 百年戦争が116年間ずっと戦われていたと考える。休戦を挟んだ断続的な戦争にあたる。
- 黒死病を戦争の結果と考える。別々の原因で、たまたま同じ時期に重なった。
- 1453年に条約が結ばれて終わったと考える。講和条約はなく、事実上の終結である。
- ジャックリーの乱を大規模な革命と考える。短期間で鎮圧された地域的な蜂起にあたる。
記憶としての百年戦争
この戦争は、後の時代に繰り返し語り直されてきた。
| 時期 | どう語られたか |
|---|---|
| 15〜16世紀 | 王権の正統性を示す物語として |
| 19世紀 | 国民の歴史として。学校で教えられる |
| 第三共和政期 | ジャンヌ・ダルクをめぐって、共和派とカトリック・王党派が争った(第14章) |
| 20世紀 | 占領期に、双方が自分の側の象徴として用いた |
⚡ なぜこれが重要か
- 同じ人物や事件が、時代ごとに違う意味を与えられる。
- 文学作品でその人物が出てくるとき、「どの時代のどの像か」を見る。
- これは歴史の分析であると同時に、表象(ひょうしょう)の分析にあたる。
中世が終わるということ
⚠️ 「中世の終わり」を一点で区切らない
- 1453年、1492年、1500年など、区切り方はいくつもある。この教材は共通規約に従い1500年で区切る。
- 実際には、変化は分野ごとに違う速さで進んだ。印刷術は15世紀半ば、王権の集中は15世紀後半、宗教の分裂は16世紀にあたる。
- 区分は「地図の縮尺」であって、実在する境目ではない(第1章)。
- レポートでは、「どの区分に従うか」を最初に書いておくと安全である。
⚡ 第4章の通過チェック
- 百年戦争の期間と、原因として挙げられる3つを言える
- 3つの大敗と、敗因として指摘されることを言える
- 黒死病が社会に与えた影響を4つ言える
- 1429年のジャンヌ・ダルクの働きと、ランス戴冠の意味を言える
- ジャンヌ・ダルク像が後世に作り直されてきたことを説明できる
- 戦争が残した近世国家の骨格を4つ言える
- ブールジュの国事詔書が何を定めたかを言える
次章へ
次章は16世紀 — ルネサンスと宗教戦争である。印刷術・イタリアからの影響・宗教改革という3つが同時に来る。
そして後半には、同じ国の中でカトリックとプロテスタントが40年近く殺し合う。サン・バルテルミの虐殺(ぎゃくさつ)とナントの王令。寛容(かんよう)という考え方が、この惨事(さんじ)の後に生まれてくる。