20世紀|第16章 第一次世界大戦と両大戦間(1914〜1939)
この章の狙い
要点: 第一次世界大戦は、フランス社会を根本から変えた。4年余りで140万人前後の兵士が死に、北東部が戦場になった。戦前の世界には戻れないという感覚が、あらゆる分野に現れる。
そして戦後の20年は、復興と不安が同時に進む時期である。経済危機、街頭での対立、人民戦線、そして再びの戦争。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1914年8月 | 開戦。総動員 |
| 1914年9月 | マルヌの戦い。ドイツ軍の進撃が止まる |
| 1914年末〜 | 塹壕(ざんごう)戦。前線が固定される |
| 1916年 | ヴェルダンの戦い。長期の消耗戦 |
| 1917年 | 一部の部隊で戦闘拒否が起きる。ロシア革命 |
| 1918年11月11日 | 休戦 |
| 1919年 | ヴェルサイユ条約。アルザス・ロレーヌが返還される |
| 1920年代 | 復興。「狂乱の時代」と呼ばれる文化の活況 |
| 1923年 | ルール占領 |
| 1929年〜 | 世界恐慌。フランスへの波及は1931年ごろから |
| 1934年2月6日 | パリで極右団体などによる示威(じい)と衝突 |
| 1936年 | 人民戦線が政権を取る。有給休暇と週40時間労働 |
| 1938年 | ミュンヘン協定 |
| 1939年9月 | ドイツに宣戦布告(第17章へ) |
総力戦
- 📘 総力戦:軍隊だけでなく、経済・産業・国民全体を戦争に動員する形の戦争のこと。第一次世界大戦がその典型にあたる。
⚡ フランスにとっての第一次世界大戦
- 国土が戦場になった。北東部の県が破壊された。
- 動員は約800万人。戦死者は140万人前後とされる。
- 負傷者と障害を負った復員兵が大量に生まれた。
- 女性が工場と農場に入った。戦後に元へ戻される部分と、変わったままの部分がある。
- 植民地から兵士と労働者が動員された(第15章)。
塹壕戦が4年続いた。前線がほとんど動かないまま、大量の死者が出る。この経験が、戦後の文学と美術に直接現れる。
戦後 — 勝ったが、失ったもの
| 面 | 内容 |
|---|---|
| 領土 | アルザス・ロレーヌが返還された。1871年以来の主題が決着する |
| 財政 | 戦費で債務が膨らみ、通貨の価値が下がった |
| 人口 | 戦死により、世代の一部が失われた。出生率の低さが続く |
| 心情 | 「二度と繰り返さない」という感覚が強い。これが1930年代の対応に影響する |
| 賠償 | ドイツからの賠償を求めたが、支払いは滞った |
⚡ 1920年代の文化
- パリに各国の芸術家が集まった。
- 前衛の運動が広がる。既存の形式への否定が正面から掲げられた。
- 同時に、戦争の経験を書いた作品が読まれた。
- アメリカの大衆文化が入ってくる。
1930年代 — 危機と分裂
1929年に始まる世界恐慌は、フランスには1931年ごろから本格的に及んだ。
⚡ 何が起きたか
- 失業と倒産が増えた。回復は他国より遅れた。
- 政権が短期間で交替した。議会の多数が安定しない。
- 街頭の政治が力を持つ。極右の団体と、左派の組織が対立する。
- 1934年2月6日の衝突が、左派の危機感を高め、結集のきっかけになった。
- 📘 人民戦線:1936年に、社会党・急進党・共産党が協力して成立させた政権のこと。社会党のブルムが首相になった。
| 実現したこと | 内容 |
|---|---|
| 有給休暇 | 年2週間の有給の休暇が法制化された |
| 週40時間労働 | 労働時間の上限が定められた |
| 団体交渉 | 労使の協約が制度化された |
| 文化 | 余暇(よか)と文化へのアクセスが政策の対象になった |
⚠️ 人民戦線は長続きしなかった
- 経済状況は改善せず、財政も苦しかった。
- スペインの内戦への対応をめぐって内部が割れた。
- 1938年には政権が終わり、労働時間の規定も緩められた。
- それでも有給休暇は残り、社会の記憶に強く刻まれた。
戦争への道
⚡ 1930年代後半の対応
- 前の大戦の記憶が、開戦を避ける方向に働いた。
- 国境に大規模な要塞線が築かれた。防御を重視する構想にあたる。
- 1938年のミュンヘン協定で、チェコスロヴァキアの一部の割譲が認められた。当時は戦争回避として歓迎する声もあった。
- 1939年9月、ポーランド侵攻を受けて宣戦布告する。
社会の条件
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 人口 | 出生率が低く、移民が労働力として受け入れられた(ポーランド、イタリア、スペインなど) |
| 労働 | 組合の力が伸び、1936年に大規模なストライキが起きた |
| 女性 | 参政権はまだない。職業への進出は進む |
| 情報 | 新聞に加え、ラジオと映画が大きな影響力を持つ |
| 政治 | 左右の対立が街頭にまで及んだ |
文学とのつながり
⚡ この時代の作品を読むときに要る背景
- 戦争体験の記述 — 前線を書いた作品が多く読まれた。証言と文学の境目が問題になる。
- 前衛の運動 — 戦争が「理性」への信頼を壊したという文脈で語られる。既存の形式の否定が主張された。
- 『失われた時を求めて』 — 戦争を挟んで書き継がれた作品にあたる。後半には大戦下のパリが現れる。
- 政治への関与 — 1930年代、作家が政治的な立場を明示することが一般化する。ドレフュス事件で生まれた形(第14章)が、この時期に定着する。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- フランスの戦死者を第二次世界大戦のほうが多いと考える。フランスに限れば第一次のほうがはるかに多い。
- 人民戦線を共産党の政権と考える。社会党を中心とする連立にあたる。
- 有給休暇の法制化を戦後と考える。1936年である。
- ミュンヘン協定を1939年と考える。1938年にあたる。
追悼と記念
戦死者が桁違いに多かったため、戦後の記念のあり方が社会の一部になった。
| 形 | 内容 |
|---|---|
| 戦没者記念碑 | ほぼすべての市町村に建てられた。村の名簿がそのまま刻まれている |
| 11月11日 | 休戦の日が祝日になった |
| 復員兵の団体 | 大きな組織になり、政治的な発言力を持った |
| 遺族 | 大量の戦争未亡人と孤児。社会保障の課題になった |
⚡ 文学との関わり
- 前線を書いた作品が読まれ、賞を受けたものもある。
- 戦争を美化する語り方と、その拒否が並存した。
- 記念碑の碑文と、文学の言葉の違いは、それ自体が分析の対象になる。
- フランスに限れば、第一次大戦の戦死者は第二次よりはるかに多い。この点は繰り返し確認する。
1930年代の分裂を読む
⚠️ 単純な左右の対立で片づけない
- 左派の内部も割れていた。社会党と共産党の関係、スペイン内戦への対応。
- 右派も一枚岩ではない。議会主義の保守と、街頭の団体は別である。
- 平和を望む感情は、左右の両方にあった。前の大戦の記憶が共有されていた。
- 1938年の協定を歓迎した層と、批判した層が、どちらの側にもいた。
- この複雑さが、1940年以降の分岐につながる(第17章)。
⚡ 第16章の通過チェック
- 総力戦とは何かを説明できる
- フランスの動員数と戦死者数のおおよそを言える
- 戦後に残った問題を4つ言える
- 1934年2月6日の出来事と、その帰結を言える
- 人民戦線の成立年と、実現した政策を3つ言える
- 人民戦線が終わった理由を言える
- 前の大戦の記憶が1930年代の対応にどう働いたかを説明できる
次章へ
次章は第二次世界大戦である。6週間で敗れ、4年間占領され、政府自身が協力する。
そしてその体制の下で、フランス国家がユダヤ人の迫害に加担した。戦後、この事実をどう扱うかが長く問題になる。同時に抵抗運動が組織され、1944年に解放される。文学の側でも、この4年間が最大の分岐点になる。