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CHAPTER 14 19世紀 読む目安 約5分 / ⚡暗記ボックス 7

19世紀|第14章 第三共和政 — 定着と亀裂(1871〜1914)

この章の狙い

要点: 王党派が多数を占める議会から始まった共和政が、40年かけて定着した。そして今日のフランスの枠組みの多くが、この時期に作られる。

無償・義務・世俗の初等教育、労働組合の合法化、政教分離。同時に、ドレフュス事件が社会を二分し、知識人という言葉と役割がここで生まれる。

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年表

出来事
1875年 共和国の枠組みを定める諸法律が成立(1票差で通ったとされる条項がある)
1879年 「ラ・マルセイエーズ」が国歌に定められる
1880年 7月14日が国の祝日になる。コミューン参加者への恩赦(おんしゃ)
1881〜1882年 フェリー法。初等教育を無償・義務・世俗とする
1884年 労働組合が合法化される。離婚が再び認められる
1889年 ブーランジェ将軍をめぐる危機。パリ万博とエッフェル塔
1892年 パナマ疑獄(ぎごく)
1894年 ドレフュス大尉が有罪判決を受ける
1898年1月 「私は弾劾(だんがい)する」が新聞に掲載される
1901年 結社法。団体の設立が自由になる
1905年 政教分離法
1906年 ドレフュスの無罪が確定
1914年 第一次世界大戦(第16章へ)

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共和政が定着するまで

⊳ この節の問題を解く(2問・1枚)

1875年から1880年代へ

  • 1875年の諸法律は、王党派と共和派の妥協の産物にあたる。「共和国」という語をめぐって激しく争われた。
  • 1877年の危機で、大統領が議会に譲る形になり、議会優位の慣行が固まった。
  • 1879年から1880年にかけて、共和派が主導権を握る。国歌と祝日が定められ、共和政の象徴が整備された。
  • 恩赦によりコミューンの参加者が帰還した。内戦の傷を制度的に処理する試みにあたる。
定着させた手段 内容
学校 共和政の価値を教える場として整備された
兵役 全国から集まった若者が同じ経験をする
鉄道と道路 地方と首都が結ばれ、地域の孤立が減る
象徴 国歌・祝日・記念碑・共和国の擬人像

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学校の世俗化

⊳ この節の問題を解く(1問・1枚)

  • 📘 フェリー法:1881年と1882年の法律。初等教育を無償にし、6歳から13歳までを義務とし、公立学校から宗教教育を外した。

なぜ重要か

  • 識字率が大きく上がる。読者層が広がり、新聞と書物の市場が拡大した。
  • フランス語が全国に広まる。地域言語の使用は学校で抑えられた。言語の統一が政策として進む。
  • カトリック教会との対立が深まった。教育をめぐる争いが、政教分離へつながる。
  • 共和政の価値を教える場として設計されていた。

⚠️ 同時に見ておくこと

  • 地域言語の話者にとっては、抑圧の経験でもあった。
  • 中等教育は依然として有料で、進学できる層は限られていた。
  • 女子の中等教育は1880年に制度化されたが、内容は男子と違っていた。

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ドレフュス事件

⊳ この節の問題を解く(2問・2枚)

  • 📘 ドレフュス事件:1894年、ユダヤ系のフランス軍大尉がスパイ容疑で有罪とされ、のちに冤罪(えんざい)と判明した事件。1906年に無罪が確定するまで、フランス社会を二分した。

争点は何だったか

  • 表向きは一人の軍人の有罪・無罪。
  • 実際には、軍と司法の権威を優先するか、個人の権利と真実を優先するかが争われた。
  • 反ユダヤ主義が公然と表面化した。新聞と街頭で組織的に広がる。
  • 家族や友人のあいだで意見が割れ、社会全体が二分された。

1898年1月の公開状

  • 作家が新聞の一面で、大統領に宛てて告発の公開状を発表した。
  • これをきっかけに、学者・作家・芸術家が署名して介入した。
  • ここから「知識人」という語が、公共の問題に発言する専門家を指す言葉として定着する。
  • 文学者が政治に関与する形の一つの原型になった。

事件の帰結として、共和派の側が結束し、軍と教会の影響力を抑える方向の政策が進んだ。

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政教分離

⊳ この節の問題を解く(1問・1枚)

  • 📘 政教分離法:1905年の法律。国家はいかなる宗教も公認せず、給与も支払わないと定めた。1801年の協約体制(第10章)が終わる。

内容と含意

  • 国家は宗教から中立になる。同時に信教の自由と礼拝の自由を保障する。
  • 教会の建物は国と自治体の所有になり、宗教団体が使用する形になった。
  • 成立の過程では激しい衝突があった。財産の目録作成をめぐって各地で対立が起きた。
  • この原則が、現在に至るまでフランスの公共空間の基本になる(第20章)。

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社会と経済

⊳ この節の問題を解く(1問)

分野 状況
産業 電気・化学・自動車など新しい分野が伸びる。ただしドイツやイギリスに比べ工業化は緩やか
人口 出生率が低く、人口の伸びが鈍い。この時期の国民的な不安の一つ
労働 組合が合法化され、ストライキが増える。1906年に週1日の休日が法制化
都市 パリを中心に文化産業が集中する
女性 参政権はない。教育と職業の機会は少しずつ広がる

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文学とのつながり

この時代の作品を読むときに要る背景

  • 識字率の上昇と新聞 — 読者が大きく広がり、文学の市場が変わる。
  • ドレフュス事件『失われた時を求めて』では、この事件が人物の立場と社交界の関係を組み替える要素として使われる。
  • 知識人という役割 — 作家が公共の問題に発言する形が、この時期に確立した。
  • 象徴主義と世紀末 — 産業社会と共和政の合理主義への反発という文脈で語られることがある。
  • 政教分離 — 宗教と社会の関係が変わることが、作品の背景にも反映される。

⚠️ この時代で混同しやすい形

  • 第三共和政の始まりを1875年と考える。共和政の宣言は1870年9月4日にあたる。
  • フェリー法で中等教育まで無償になったと考える。初等教育についての法律である。
  • ドレフュス事件を1898年の出来事と考える。1894年の判決から1906年の無罪確定までの12年間にわたる。
  • 政教分離法が信仰を禁じたと考える。国家の中立を定めたものであり、信教の自由は保障されている。

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日刊紙の時代

識字率の上昇と技術の進歩で、新聞が巨大な影響力を持った。

内容
部数 有力紙は100万部規模に達したとされる
価格 1部が安く、都市の勤労者でも買えた
内容 政治・事件・連載小説・広告
政治 政治的な立場が明確な新聞が並び立った
影響 ドレフュス事件は、新聞の紙面で戦われた

文学との関わり

  • 連載小説が引き続き重要な発表の形だった(第11章)。
  • 作家が新聞に寄稿することが一般的になる。
  • 1898年の公開状も新聞の一面に載った。媒体があって初めて成り立つ介入にあたる。
  • 文芸批評も新聞と雑誌で行われた。評価の場が公共のものになる。

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世紀転換期の不安

⊳ この節の問題を解く(1問)

⚠️ 「ベル・エポック」という呼び方に注意

  • 後から振り返って付けられた呼び名であり、当時の人がそう感じていたわけではない。
  • 同じ時期に、社会的な緊張は高かった。ストライキ、反ユダヤ主義、政治的な暴力。
  • 人口の停滞と、ドイツへの警戒が繰り返し語られていた。
  • 文学でも、退廃(たいはい)や不安を主題にした作品が書かれている。
  • 「良き時代」という枠で読むと、作品の緊張感を取り逃がす。

第14章の通過チェック

  • 共和政を定着させた手段を4つ言える
  • 国歌と祝日が定められた年を言える
  • フェリー法の3つの原則と、その帰結を言える
  • ドレフュス事件の期間と、争点の中身を説明できる
  • 「知識人」という語が定着した経緯を言える
  • 1905年の政教分離法が定めたことを言える
  • この時期のフランスの人口の特徴を言える

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次章へ

次章は植民地帝国である。複数の時代にまたがるので、まとめて1章にしてある。

1830年のアルジェリア侵攻から、1880年代の急拡大、そして20世紀の解体まで。『異邦人』の舞台がなぜアルジェリアなのか、フランス語圏の文学がなぜ存在するのかは、この章の内容がなければ答えられない。

読了の記録はこの端末の中だけに残ります。

📗 読み終えたら、この章の問題で理解を確かめましょう。

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