革命の時代|第10章 ナポレオンの時代(1799〜1815)
この章の狙い
要点: ナポレオンの15年は、革命の終わりであり、同時に革命の一部を固定した時期である。
平等(法の下での)は残し、自由(政治的な)は削った。民法典・行政の中央集権・教育の制度・宗教との協約。この時期に作られた枠組みの多くが、その後も生き続ける。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1799年11月 | ブリュメール18日のクーデタ。統領政府が発足 |
| 1801年 | 政教協約(コンコルダ)。教皇と和解する |
| 1802年 | 終身統領になる。植民地で奴隷制が復活する |
| 1804年3月 | 民法典が公布される |
| 1804年12月 | 皇帝として戴冠。第一帝政が始まる |
| 1805年 | アウステルリッツの戦いに勝つ。海ではトラファルガーで敗れる |
| 1806年 | 大陸封鎖令 |
| 1808年〜 | スペインでの戦争が泥沼化する |
| 1812年 | ロシア遠征が失敗。軍が壊滅的な打撃を受ける |
| 1814年4月 | 退位。エルバ島へ |
| 1815年3〜6月 | 百日天下。6月18日にワーテルローで敗れる |
| 1815年 | セントヘレナ島へ流される(1821年に死去) |
権力の集中
クーデタの後、ナポレオンは短期間で権力を集中させた。
⚡ どのように正当化されたか
- 国民投票が繰り返し使われた。形式的には国民の承認を得ている。
- 秩序の回復が掲げられた。10年の混乱に疲れた層の支持を集めた。
- 革命の成果は守ると約束した。身分制には戻らない、教会財産の売却は取り消さない。
- 軍事的な勝利が、支配の正当性を支え続けた。だから負け始めると一気に崩れる。
| 削られたもの | 内容 |
|---|---|
| 言論 | 新聞の数が激減した。検閲が強化される |
| 議会 | 権限が大幅に縮小された |
| 選挙 | 実質的な選択の余地が小さくなった |
| 警察 | 政治警察が整備された |
民法典
- 📘 民法典:1804年に公布された、私人どうしの関係(所有・契約・家族・相続)を定めた法典のこと。のちにナポレオン法典とも呼ばれる。
⚡ 民法典が定めた原則
- 法の下の平等。身分によって扱いを変えない。
- 所有権の絶対性。革命期の土地の売買を追認する意味を持つ。
- 契約の自由。
- 世俗の民事婚と離婚(離婚は後に一度廃止される)。
⚠️ 同時に固定されたもの
- 家族の中では、夫と父の権限が強かった。既婚女性の法的な能力は大きく制限された。
- この規定が改められていくのは20世紀後半にあたる(第19・20章)。
- したがって「平等の法典」と一言で書かない。どの範囲での平等かを明示する。
民法典は各国に影響を与えた。占領地で施行され、その後も参照され続けた。
国家の枠組みを作る
| 分野 | 作られたもの |
|---|---|
| 行政 | 県知事が中央から任命される。強い中央集権 |
| 財政 | 中央銀行が設立され、通貨が安定する |
| 教育 | リセ(中等教育機関)と全国的な教育制度の骨格 |
| 宗教 | 政教協約。カトリックが「大多数の宗教」と認められ、聖職者に国が俸給を払う |
| 法 | 民法典に続き、商法・刑法などが整備される |
⚡ 政教協約の意味
- 革命期の教会との断絶を修復した。
- ただし教会財産の売却は取り消さない。買った人々の権利を守った。
- 聖職者は国から給与を受け、国家の管理下に入る。
- この体制が1905年の政教分離まで続く(第14章)。
戦争と没落
1805年以降、大陸での戦いには勝ち続けた。しかし決定的な問題が3つあった。
⚡ なぜ崩れたか
- 海で勝てなかった。イギリスを屈服させられない。
- 大陸封鎖令が逆効果だった。イギリスとの貿易を禁じたが、大陸側の経済も打撃を受け、離反を招いた。
- スペインとロシアで消耗した。占領地では反ナポレオンの民族的な抵抗が起きた。
- 勝利による正当化が崩れると、支持も崩れた。
1814年に退位し、翌年に一度戻るが、ワーテルローで最終的に敗れる。
社会の条件
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 徴兵 | 大量の徴兵が続いた。農村では働き手が取られる |
| 経済 | 封鎖で港町が打撃を受ける。内陸の産業は保護された |
| 身分 | 身分制は戻らない。代わりに帝政の新しい貴族が作られた |
| 教会 | 協約により復活。ただし国家の管理下 |
| 統制 | 言論の自由は大きく後退した |
文学とのつながり
⚡ この時代が作品に残したもの
- 『赤と黒』の主人公は、ナポレオンに憧れる世代にあたる。軍で身を立てる道が、王政復古で閉ざされたという条件が、物語の出発点になる。
- 「ナポレオンの記憶」は19世紀を通じて政治的な力を持ち続けた。第二帝政の成立にも作用する(第12章)。
- 検閲の強化により、この時期のフランス文学は活動が限られた。むしろ亡命者や国外での活動が目立つ。
- 民法典の家族規定は、19世紀の小説に出てくる結婚・持参金・相続・離婚の扱いを決めている。『ボヴァリー夫人』の借金と財産の話も、この枠の中にある。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- ナポレオン2世が皇帝になったと考える。即位していない。第二帝政の皇帝はナポレオン3世にあたる。
- 民法典を1804年12月の帝政開始後と考える。公布は同年3月で、帝政より前である。
- 政教協約でカトリックが国教になったと考える。「大多数の宗教」と位置づけられた形にあたる。
- ワーテルローを1814年と考える。1815年6月18日である。
徴兵という経験
ナポレオン期の最大の社会的な負担は、徴兵だった。
| 面 | 内容 |
|---|---|
| 規模 | 十数年で百万人を超える規模が動員されたとされる |
| 農村 | 働き手が取られる。収穫に影響が出る |
| 逃亡 | 徴兵を逃れる者が多く、憲兵が追った |
| 代人 | 金を払って代わりの者を立てる制度があった。富裕層は免れやすい |
| 帰還 | 生還した兵が、各地で経験を語った。「大陸軍の記憶」が形成される |
⚡ 文学との関わり
- 19世紀の小説には、ナポレオン期の元兵士がしばしば登場する。
- 『赤と黒』の主人公が軍に憧れるのは、この記憶が生きていたからにあたる。
- 英雄の物語と、農村の負担という現実の両方が同じ時代にある。
帝政期の文化政策
⚠️ 統制の実態
- 新聞の数は大幅に減らされた。残った新聞も内容を管理された。
- 劇場の数も制限された。上演できる作品の種類が指定された。
- 一方で、公共の建築と美術には大きな投資が行われた。
- 記念建造物・絵画・記章。権力の可視化が組織的に進められた。
- 文学の側は活動が限られ、この時期の作品は多くない(第10章)。
⚡ 第10章の通過チェック
- 権力の集中がどう正当化されたかを4つ言える
- ナポレオン期に削られたものを4つ言える
- 民法典の原則を4つ言い、同時に固定された制限を説明できる
- 政教協約の内容と、それが続いた期間を言える
- 没落の理由を4つ言える
- この時期の徴兵と経済の条件を言える
- 民法典が19世紀の小説の何を規定しているかを説明できる
次章へ
次章は復古王政と七月王政である。ブルボン家が戻ってくるが、1789年以前には戻れない。
そして1830年、3日間の市街戦で王朝が交替する。産業と鉄道が始まり、都市に労働者が集まり、新しい種類の貧困が現れる。ロマン主義と写実主義の作品が書かれるのは、この社会の中にあたる。