19世紀|第12章 1848年革命と第二帝政(1848〜1870)
この章の狙い
要点: 1848年の数か月に、19世紀の政治の核心が凝縮している。2月に共和政ができ、男性普通選挙が実現し、その4か月後に同じ共和政が労働者の蜂起を武力で鎮圧した。
そして12月、その選挙で圧勝したのはナポレオンの甥(おい)だった。3年後にクーデタを起こし、皇帝になる。普通選挙が権威的な体制を生んだという事実が、その後長く議論の的になる。
年表
| 年月 | 出来事 |
|---|---|
| 1848年2月 | 二月革命。ルイ・フィリップが亡命。第二共和政 |
| 1848年3月 | 男性普通選挙が定められる。有権者が一挙に900万人規模へ |
| 1848年4月 | 憲法制定議会の選挙。穏健共和派と保守派が多数を占める |
| 1848年6月 | 六月蜂起。パリの労働者の蜂起が武力で鎮圧される |
| 1848年12月 | ルイ・ナポレオンが大統領に当選 |
| 1851年12月2日 | クーデタ |
| 1852年12月 | 第二帝政。ナポレオン3世 |
| 1853〜1870年 | パリ大改造(オスマンによる) |
| 1855年・1867年 | パリ万国博覧会 |
| 1860年 | イギリスとの通商条約。自由貿易へ転換 |
| 1860年代 | 自由帝政。議会の権限と報道の自由が段階的に緩む |
| 1870年7月 | 普仏戦争が始まる(第13章へ) |
1848年 — 4か月で反転する
⚡ 二月から六月まで
- 2月 — 選挙法改正を求める集会が禁じられ、衝突からパリが蜂起。王は亡命し、共和政が宣言された。
- 3月 — 男性普通選挙が定められた。有権者は約25万人から900万人規模へ跳ね上がる。
- 同時期 — 失業対策として国立作業場が設けられ、パリに大量の失業者が集まった。
- 4月 — 選挙の結果、農村票が保守に流れ、穏健共和派と保守派が多数になった。
- 6月 — 作業場の閉鎖が決まると労働者が蜂起し、軍によって鎮圧された。数千人が死亡したとされる。
⚠️ この4か月の意味
- 普通選挙が、必ずしも社会的な改革を生まなかった。農村の有権者が多数を占めたためである。
- 共和派の中で、「政治的な共和政」と「社会的な共和政」が決裂した。
- 六月の記憶が、以後の労働運動と共和政の関係に長く影を落とす。
- 文学でもこの経験が繰り返し扱われる。
1848年12月の大統領選挙で、ルイ・ナポレオンが圧勝した。名前の力、秩序への期待、農村での人気が理由として挙げられる。
クーデタと第二帝政
1851年12月2日、大統領がクーデタを起こした。議会を解散し、抵抗を弾圧し、国民投票で承認を得た。1年後に皇帝になる。
⚡ 第二帝政の性格
- 権威的だが、選挙は行われた。普通選挙を維持しながら、候補者を政府が推す仕組みで結果を操作した。
- 経済の発展を正当性の柱にした。鉄道・銀行・都市改造・万博。
- 1860年代に自由化する。議会の権限が増え、報道の規制も緩んだ。
- 対外戦争で威信を保とうとした。それが最後に破綻する(第13章)。
パリ大改造
- 📘 パリ大改造:1853年以降、セーヌ県知事オスマンの下で行われた大規模な都市改造のこと。直線の大通り、上下水道、公園、新しい建築の規則が導入された。
| 目的 | 内容 |
|---|---|
| 衛生 | 上下水道の整備。伝染病への対策 |
| 交通 | 鉄道駅と市内を結ぶ大通り |
| 治安 | 狭い路地が減り、市街戦のバリケードが築きにくくなった |
| 経済 | 建設事業そのものが雇用と投機を生んだ |
⚠️ 代償
- 中心部の住民が立ち退かされ、家賃の安い周縁部へ移った。
- 街区(がいく)の記憶が失われたとして、同時代から批判があった。
- 「古いパリの消滅」という主題が、この時期の詩と回想に繰り返し現れる。
経済と社会
⚡ 第二帝政期に進んだこと
- 鉄道網の完成に近づく。地方と首都が結ばれ、市場が全国化した。
- 銀行と信用の拡大。投資と投機が広がる。
- 百貨店の登場。新しい消費と広告の形が現れた。
- 農村の変化。鉄道で農産物の市場が広がり、都市への人の移動も増える。
| 一方で | |
|---|---|
| 労働 | 長時間労働と低賃金。1864年に団結の禁止が緩められる |
| 住宅 | 都市の住環境は改善しない層が多い |
| 教育 | 初等教育は普及途上。義務化はまだ先(第14章) |
統制と文学
⚡ 第二帝政の検閲
- 新聞は許可制で、警告と停止の権限が政府にあった。
- 書物と演劇も規制の対象にあたる。
- 1857年、同じ年に小説と詩が公序良俗を理由に起訴された。小説は無罪、詩集は有罪になった。
- 1860年代に規制が緩む。出版の条件は体制の性格とともに変わる。
文学とのつながり
⚡ この時代の作品を読むときに要る背景
- 『ボヴァリー夫人』(1857年)— 第二帝政の初期。同年の裁判は、体制の道徳的な統制の一部として見ることができる。
- 『悪の華』(1857年)— 同じ年に有罪。都市の改造で変わっていくパリが、詩の主題として現れる。
- 写実主義と自然主義 — 鉄道・銀行・百貨店・都市改造という新しい素材が、小説に入ってくる。
- 1848年の記憶 — 六月の鎮圧は、19世紀後半の作家の政治的な立場を分ける経験にあたる。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- 二月革命で普通選挙が実現し、そのまま社会改革が進んだと考える。4か月後に六月蜂起が鎮圧される。
- ナポレオン3世をナポレオンの子と考える。甥(おい)にあたる。
- クーデタを1852年と考える。1851年12月2日で、帝政は翌年である。
- 第二帝政をずっと同じ性格と考える。1860年代に自由化が進む。
鉄道が変えたもの
第二帝政期に、鉄道網がほぼ完成した。社会の感覚が変わる。
| 変化 | 内容 |
|---|---|
| 時間 | 地域ごとの時刻がそろえられる。時刻表が生活に入る |
| 距離 | 地方と首都が数時間で結ばれる。「遠い」の意味が変わる |
| 市場 | 農産物と工業製品が全国で流通する。地域の価格差が縮む |
| 移動 | 出稼ぎと移住が容易になる。都市への人口集中が進む |
| 風景 | 車窓から見る風景という新しい視覚の経験が生まれた |
⚡ 文学への現れ方
- 駅と車内が、小説の場面として登場するようになる。
- 速度と時間の感覚が、描写の対象になる。
- 鉄道会社と株式が、金と投機の主題と結びつく。
- 19世紀後半の小説に鉄道が出てきたら、この背景を押さえて読む。
万国博覧会
⚡ 1855年と1867年のパリ万博
- 産業と植民地の産物を並べて見せる場にあたる。
- 国際的な威信を示す手段として組織された。
- 数百万人規模の来場者があった。大衆が新しいものを見る機会になる。
- 1889年の万博ではエッフェル塔が建てられた(第14章)。
- 展示という形式そのものが、後に分析の対象になる(第15章の表象)。
⚡ 第12章の通過チェック
- 1848年の2月・3月・4月・6月に何が起きたかを言える
- 男性普通選挙の実現で有権者がどれほど増えたかを言える
- 六月蜂起の意味を、共和派の分裂という面から説明できる
- クーデタの年月日と、帝政の開始年を言える
- パリ大改造の4つの目的と、その代償を言える
- 第二帝政期に進んだ経済の変化を4つ言える
- 1857年に起きた2つの裁判と、その結果の違いを言える
次章へ
次章は普仏戦争とパリ・コミューンである。わずか2年に満たない期間に、帝政が消え、パリが包囲され、そして市民が自治政府を作り、1週間で殲滅(せんめつ)される。
アルザスとロレーヌが失われ、その回復が半世紀にわたって国民的な主題になる。19世紀後半の作品を読むには、この2年を押さえておく必要がある。