19世紀|第15章 植民地帝国 — 外に広がったフランス
この章の狙い
要点: この章だけは、時代区分をまたぐ。16世紀に始まり、19世紀に拡大し、20世紀に解体する事柄を、まとめて扱ったほうが分かりやすいからである。
フランス文学を学ぶうえで、この章は避けて通れない。『異邦人』の舞台がアルジェリアであること、フランス語で書く作家が世界中にいること、そして現在のフランス社会の構成。すべてこの歴史の帰結にあたる。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 16〜18世紀 | 第一の植民地帝国。カナダ、カリブ海、インドの拠点、セネガル |
| 17〜18世紀 | カリブ海の砂糖植民地と奴隷貿易 |
| 1685年 | 黒人法典。奴隷の法的地位を定める |
| 1763年 | 七年戦争の講和。カナダとインドの拠点を失う |
| 1791年〜 | サン・ドマングでの蜂起 |
| 1794年 | 国民公会が奴隷制を廃止する |
| 1802年 | 奴隷制が復活する |
| 1804年 | ハイチの独立 |
| 1830年 | アルジェへの侵攻。第二の植民地帝国の始まり |
| 1848年 | 奴隷制が最終的に廃止される |
| 1847年 | アルジェリアでの大規模な抵抗が終わる |
| 1881年 | チュニジアを保護領にする |
| 1880年代 | 急速な拡大。西アフリカ、インドシナ |
| 1887年 | インドシナ連邦の成立 |
| 1896年 | マダガスカルを併合 |
| 1898年 | ファショダでイギリスと対峙(たいじ) |
| 1912年 | モロッコを保護領にする |
| 1931年 | パリで国際植民地博覧会 |
| 1946〜1962年 | 脱植民地化(第18章) |
第一の帝国と奴隷制
16世紀から18世紀にかけて、フランスはカナダ、カリブ海の島々、インドの拠点、アフリカ西岸に進出した。
⚡ カリブ海の砂糖植民地
- サン・ドマング(現在のハイチ)は、18世紀に世界有数の砂糖・コーヒーの産地になった。
- その生産は、アフリカから連行された人々の奴隷労働に依存していた。
- 三角貿易 — ヨーロッパの製品をアフリカへ、アフリカから人をアメリカへ、アメリカの産品をヨーロッパへ運ぶ。
- ナント、ボルドー、ラ・ロシェルなどの港が、この貿易で栄えた。
⚠️ 18世紀の繁栄の一部は、この仕組みの上にあった
- 第8章で見た「大西洋貿易の伸び」は、この内容を含んでいる。
- 啓蒙の時代の批判は、奴隷制にも及んだ。しかし廃止には至らなかった。
- 1794年の廃止は、サン・ドマングの蜂起という現地の行動が先にあったことを踏まえて理解する。
- 1802年に復活し、最終的な廃止は1848年にあたる。
第二の帝国 — アルジェリアから
1830年のアルジェ侵攻が転換点になる。七月革命の直前で、国内の不満をそらす目的も指摘される。
⚡ アルジェリアが特別だった理由
- 征服に長い年月がかかった。大規模な抵抗が1847年まで続いた。
- 入植(にゅうしょく)が行われた。フランスやヨーロッパ各地からの移住者が土地を取得した。
- 行政上、本国の一部として扱われる県が置かれた。他の植民地とは法的な地位が違う。
- 多数を占める現地の住民は、フランス国籍を持ちながら市民としての権利を制限された。
- この構造が、20世紀の戦争の背景になる(第18章)。
1880年代の急拡大
第三共和政の下で、帝国は一気に広がった。
| 地域 | 内容 |
|---|---|
| 北アフリカ | チュニジア(1881)、モロッコ(1912) |
| 西アフリカ・中央アフリカ | 内陸へ進出し、広大な領域を支配下に置く |
| インドシナ | ベトナム・カンボジア・ラオスを連邦として編成 |
| インド洋 | マダガスカル |
| 太平洋 | 諸島の領有 |
⚡ 拡大を支えた説明
- 経済 — 原料の供給地と市場。ただし実際の収支は地域によって大きく違った。
- 威信 — 普仏戦争の敗北の後、大国としての地位を示す手段とされた。
- 戦略 — 港と航路の確保。
- 「文明化の使命」 — 教育や医療をもたらすという言い方で正当化された。当時から批判もあった。
⚠️ 正当化の言葉をそのまま繰り返さない
- 「文明化の使命」は当時の言い方であり、評価ではない。引くときは、そう明示する。
- 支配される側の記録と視点は、長く扱われてこなかった。近年の研究はここに重点を置く。
- レポートで扱うときは、どの立場からの記述かを常に示す。
植民地と本国の関係
⚡ 本国の社会に何が入ってきたか
- 物と言葉 — 植民地産の食品、地名、語彙。
- 人 — 兵士としての動員。両大戦で植民地から多くの兵が動員された(第16・17章)。
- 展示 — 博覧会で植民地が「展示」された。1931年の国際植民地博覧会には数千万人が訪れたとされる。
- 表象(ひょうしょう) — 小説・広告・絵はがき・映画に、繰り返し現れた。
- 📘 表象:あるものが、言葉や絵によってどのように描き出されるかということ。描かれ方そのものが分析の対象になる。
文学とのつながり
⚡ この章がないと読めない作品
- 『異邦人』 — 舞台は植民地アルジェリア。殺される男に名前がなく「アラブ人」としか呼ばれないことが、現在の主要な論点になっている。この構造は本章の内容と直結する。
- フランス語圏の文学 — カリブ海、西アフリカ、マグレブ、インドシナ、ケベック。フランス語で書く作家が世界中にいるのは、この歴史の帰結にあたる。
- 19世紀のオリエンタリズム — 東方や北アフリカを主題にした詩と小説が多く書かれた。描き方そのものが分析の対象になる。
- 脱植民地化以後の書き直し — 旧植民地の作家が、フランス語の正典(せいてん)を書き直す作品を発表してきた。
⚠️ この章で混同しやすい形
- フランスの植民地帝国が19世紀に始まったと考える。16世紀からの第一の帝国がある。
- 奴隷制の廃止を1794年で完結と考える。1802年に復活し、1848年に最終的に廃止された。
- アルジェリアを他の植民地と同じ地位と考える。本国の一部として県が置かれ、法的な扱いが違った。
- 植民地の住民が本国の市民と同じ権利を持っていたと考える。多数の住民は権利を制限されていた。
用語をどう選ぶか
この主題では、使う語そのものが立場を含む。
| 避けたい語 | 代わりに |
|---|---|
| 「未開」「文明化」 | 当時の言い方として引用符つきで示すか、「支配側はこう呼んだ」と書く |
| 「進出」 | 「侵攻」「征服」「支配」など、具体的な行為を書く |
| 「本国の恩恵」 | 具体的な制度と、その適用範囲を書く |
| 「独立運動の暴力」 | 双方の行為を同じ基準で記述する |
⚡ レポートで扱うときの原則
- 誰の視点からの記述かを明示する。
- 数字と法令で書く。「制限された」ではなく「どの法により、誰の何が制限されたか」。
- 旧植民地側の研究と証言を読む。日本語でも翻訳が出ている。
- 評価より先に、事実の記述を固める。
いまの社会につながるところ
⚡ 現在との接続
- フランス社会には、旧植民地に出自を持つ人々が多く暮らしている(第18・20章)。
- フランス語が世界各地で使われているのは、この歴史の帰結にあたる。
- 記憶をめぐる法律が2000年代に制定された(第20章)。
- 文学の側でも、正典を書き直す作品が発表され続けている。
- この章は、過去の話であると同時に、現在の話でもある。
⚡ 第15章の通過チェック
- 第一の帝国と第二の帝国の時期と、主な地域を言える
- 三角貿易の仕組みと、それで栄えた港を言える
- 奴隷制の廃止・復活・再廃止の3つの年を言える
- 1830年のアルジェ侵攻と、アルジェリアの法的地位の特殊性を言える
- 1880年代の拡大を支えた4つの説明を言える
- 「文明化の使命」を引用するときの注意を言える
- この章の内容が『異邦人』の論点とどう関わるかを説明できる
次章へ
次章は第一次世界大戦と両大戦間である。4年で140万人前後の兵士が死に、社会が根本から変わる。
戦後は、復興と不安の20年になる。経済危機、街頭での対立、そして人民戦線。その先に1940年の敗北が来る。