19世紀|第11章 復古王政と七月王政(1815〜1848)
この章の狙い
要点: この33年間の要点は、「1789年以前には戻れない」ということが、2度確認されたことにある。
ブルボン家が戻ったが、憲章(けんしょう)を受け入れざるをえなかった。それでも過去に戻ろうとした王は、3日間の市街戦で追われた。代わりに立った王も、選挙権を広げることを拒み、18年後に同じように倒れる。
そして産業と鉄道が始まり、都市に新しい貧困が現れる。19世紀の小説が書く社会は、ここで形になる。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1814年 | ルイ18世が即位し、憲章を発布する |
| 1815年 | 百日天下のあと、王政が確定する。白色テロ |
| 1824年 | シャルル10世が即位 |
| 1825年 | 亡命貴族への賠償法。聖職者への優遇が進む |
| 1830年7月 | 七月革命(栄光の3日間)。シャルル10世が退位 |
| 1830年8月 | ルイ・フィリップが即位。七月王政が始まる |
| 1831年・1834年 | リヨンの絹織物工の蜂起(ほうき) |
| 1830年代 | 鉄道の建設が始まる |
| 1835年 | 検閲の強化。風刺(ふうし)画への規制 |
| 1840年代 | 産業の拡大と、労働者の困窮が同時に進む |
| 1846〜1847年 | 凶作と経済危機 |
| 1848年2月 | 二月革命(第12章へ) |
復古王政 — 戻れなかった王政
- 📘 憲章:1814年にルイ18世が発布した基本法のこと。王が国民に「与える」形をとりながら、法の下の平等・信教の自由・二院制の議会を認めた。
⚡ 憲章が認めたことと、認めなかったこと
- 認めた — 革命期の土地の売買は取り消さない。身分制は復活させない。民法典は維持する。
- 認めなかった — 主権が国民にあるとは書かない。王が「与えた」形にした。
- 選挙権は極めて狭い。高額納税者だけで、有権者は10万人前後にとどまった。
- つまり、革命の社会的な成果は認め、政治的な原理は認めなかった。
シャルル10世は、より過去に近づけようとした。亡命貴族への賠償、聖職者の影響力の強化、報道の規制。1830年7月、議会を解散し選挙結果を無効にしようとしたところで、パリが蜂起した。
⚡ 七月革命(1830年7月27〜29日)
- 3日間の市街戦で、王は退位した。
- 共和政にはならなかった。議会の自由主義者たちが、オルレアン家のルイ・フィリップを王に据えた。
- 「国王」ではなく「フランス国民の王」と称した。主権の所在をめぐる形式的な変更にあたる。
- 戦ったのは民衆、得たのは有産市民という構図が、以後繰り返し語られる。
七月王政 — 富める者が治める
ルイ・フィリップの体制は、金融と産業の有産市民に支えられていた。
| 特徴 | 内容 |
|---|---|
| 選挙権 | 納税額による制限。有権者は増えたが、それでも人口の1%に満たない |
| 政策 | 秩序と経済成長。「豊かになりなさい」という言葉が象徴として語られる |
| 反対派 | 共和派・王党派(正統派)・社会主義者・ボナパルト派が並存 |
| 弾圧 | 1834年以降、結社と出版への規制が強まる |
⚠️ なぜ倒れたか
- 選挙権の拡大を拒み続けた。改革を求める運動が広がる。
- 1846〜1847年の凶作と経済危機。食料価格が高騰し、失業が増えた。
- 腐敗(ふはい)への批判。議員と官職をめぐる不正が問題になった。
- 1848年2月、集会の禁止をきっかけにパリで衝突が起き、王は亡命した。
産業と都市
⚡ 19世紀前半に始まったこと
- 鉄道。1830年代に建設が始まり、40年代に路線網が広がる。移動と時間の感覚が変わる。
- 繊維と鉄鋼。工場が集まる地域ができる。北部と東部、そしてリヨン。
- 都市への流入。パリの人口が急増する。住居と衛生が追いつかない。
- 新しい貧困。農村の貧困とは違い、賃金と景気に左右される貧困が現れた。
- 📘 労働者:この時期に新しい社会集団として意識されるようになった層。工場や作業場で賃金を得て働く人々を指す。1831年と1834年のリヨンの蜂起は、その最初期の大きな行動として記憶されている。
⚡ 社会への関心が生まれる
- 貧困の実態調査が行われ、報告書が出版された。
- 社会主義と呼ばれる思想が現れる。中身は04の領域で扱う。
- 文学もこの主題に向かう。貧困・都市・労働が、書く対象になった。
出版と読者の変化
| 変化 | 内容 |
|---|---|
| 新聞の低価格化 | 1836年以降、広告収入で価格を下げる新聞が現れる |
| 新聞連載小説 | 小説が新聞に連載される形式が確立する。部数を伸ばす手段になった |
| 読者の拡大 | 都市の中間層が読者に加わる |
| 検閲 | 1830年代半ばから再び強まる |
⚡ 連載という条件が作品を変える
- 毎回、続きを読ませる必要がある。章の終わりに山場を置く形が定着した。
- 長く続ける圧力がかかる。分量が膨らむ。
- 19世紀の長編小説の形は、この経済的な条件と切り離せない。
文学とのつながり
⚡ この時代の作品を読むときに要る背景
- 『赤と黒』(1830年刊)— 作中は復古王政期。軍で出世する道が閉ざされ、聖職が上昇の手段になるという条件が主題を作っている。
- 『ゴリオ爺さん』(1835年刊)— 作中は1819年。金が身分に代わって人を序列づける社会が描かれる。
- 『レ・ミゼラブル』(1862年刊)— 作中は1815〜1832年。1832年の暴動は、七月王政下の共和派の蜂起にあたる。革命の記憶が人物の立場を決めている。
- ロマン主義の演劇が、古典主義の規則との対立として論じられたのもこの時期にあたる。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- 七月革命で共和政になったと考える。王が交替しただけである。
- 『レ・ミゼラブル』の暴動を1789年や1830年と考える。1832年の蜂起にあたる。
- 七月王政の選挙権が広かったと考える。人口の1%にも満たない。
- 憲章を憲法と同じものと考える。王が与えた形をとっており、主権が国民にあるとは書かれていない。
1830年と1848年を比べる
2つの革命は、経過が似ていて結果が違う。並べると特徴が見える。
| 面 | 1830年 | 1848年 |
|---|---|---|
| きっかけ | 王令による議会の無視と報道規制 | 集会の禁止と経済危機 |
| 期間 | 3日間 | 数日 |
| 結果 | 王朝の交替。王政は残る | 共和政。男性普通選挙 |
| 選挙権 | 少し広がるが、なお極めて狭い | 一挙に900万人規模へ(第12章) |
| その後 | 18年続く | 4か月後に六月蜂起、3年後にクーデタ |
← 横に動かして読めます →
⚡ 共通する構図
- 戦ったのは都市の民衆、結果を得たのは別の層という構図が、両方に現れる。
- この構図が、19世紀の政治の記憶を作る。
- 文学でも繰り返し扱われる主題にあたる。
復古王政期の検閲
⚠️ 書く条件が変わり続けた
- 憲章は報道の自由を認めていたが、実際には規制が繰り返された。
- 1830年の七月革命の直接の引き金の一つが、報道規制の強化だった。
- 七月王政でも、1835年以降に規制が強まる。風刺画は事前検閲の対象になった。
- したがって、この時期の作品は「何が書けたか」を確かめてから読む。
- 演劇はとくに規制が厳しい。上演には許可が要った。
⚡ 第11章の通過チェック
- 憲章が認めたことと認めなかったことを、それぞれ言える
- 七月革命の年月と、その結果を言える
- 「戦ったのは民衆、得たのは有産市民」という構図を説明できる
- 七月王政が倒れた理由を4つ言える
- 19世紀前半に始まった産業と都市の変化を4つ言える
- リヨンの蜂起の年を言える
- 新聞連載という条件が小説の形をどう変えたかを言える
次章へ
次章は1848年革命と第二帝政である。男性普通選挙が実現し、その4か月後に労働者が武力で鎮圧される。
そしてその選挙で選ばれた大統領が、3年後にクーデタを起こして皇帝になる。パリが大改造され、産業と鉄道が伸び、写実主義の小説が書かれるのはこの体制の下にあたる。