17世紀|第4章 ラシーヌ『フェードル』— 望まない情念
この章の狙い
要点: この作品では、主人公が望んでいないことが起きる。フェードルは義理の息子を愛したくない。愛さないよう全力で抵抗する。それでも愛してしまい、そのために全員が滅びる。
だから読みどころは行動ではなく言葉にある。舞台の上で事件は起きない(礼節の規則)。起きるのは、言ってはならないことが口から出てしまう瞬間だけである。どこで、誰の前で、何が漏れるか。それを追うと構造が見える。
作家 — 生涯と位置
- 📘 ジャン・ラシーヌ(Jean Racine, 1639-1699):古典主義悲劇を完成させた劇作家。幼くして両親を失い、ポール=ロワイヤルで教育を受けた。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1639年 | 生まれる。3歳で孤児になる |
| 1650年代 | ポール=ロワイヤルで教育を受ける。ギリシア語とラテン語を修める |
| 1667年 | 『アンドロマック』で成功 |
| 1669〜1674年 | 『ブリタニキュス』『ベレニス』『バジャゼ』『ミトリダート』 |
| 1677年 | 『フェードル』。この後、劇作から遠ざかる |
| 1689年・1691年 | 王妃の学校のために『エステル』『アタリー』を書く |
- 📘 ジャンセニスム:人間の自由意志を厳しく制限し、神の恩寵(おんちょう)がなければ人は救われないとする宗教的立場。ポール=ロワイヤルがその拠点だった。
この背景が『フェードル』の人物造形に影を落としている、という読みが古くからある。自分の意志では罪から逃れられない人物が、恩寵を得られないまま滅びるからである。ただし作品を教義に還元する読み方には批判もあるので、レポートでは扱いに注意が要る。
作品の成り立ち
素材はギリシア悲劇である。エウリピデス『ヒッポリュトス』とセネカ『パエドラ』が下敷きになっている。
| 変更点 | 内容 |
|---|---|
| アリシーの創出 | イポリットに恋人を与えた。古代の原作にはいない人物 |
| 告白の相手 | 神ではなく、乳母(うば)と本人に向かって語られる |
| 死の順序 | フェードルが最後に、真実を告げてから死ぬ |
アリシーを加えたことで、イポリットは「愛を知らない青年」ではなくなる。フェードルの愛は、単に拒まれるのではなく、別の女性のために拒まれる。嫉妬(しっと)という新たな動機が加わる。
初演のとき、同じ題材の別作品が同時期に上演され、興行的な妨害があったとされる。この一件の後、ラシーヌは長く劇作から離れる。
あらすじ
結末まで書いてある。
アテナイ。フェードルは、夫テゼの息子イポリットへの愛に苦しみ、死のうとしている。乳母エノーヌに問い詰められ、ついに愛を告白する。
そこへテゼの死の知らせが届く。夫が死んだのなら罪ではない——エノーヌにそう説かれ、フェードルはイポリットに愛を打ち明ける。イポリットは驚愕(きょうがく)して退く。彼にはすでにアリシーという恋人がいる。
ところがテゼは生きて帰ってくる。追い詰められたエノーヌは、フェードルを守るためにイポリットが王妃に言い寄ったと讒言(ざんげん)する。証拠として、イポリットの剣が示される。
テゼは息子を呪い、海神ネプチューンに復讐を願う。イポリットは弁明せず(アリシーへの愛を語れば父を怒らせると考える)、追放されて去る。
海辺で、怪物が現れてイポリットの馬を暴走させ、彼は死ぬ。この場面は舞台では見せられず、傅役(もりやく)テラメーヌの長い報告として語られる。
エノーヌは身を投げ、フェードルは毒を飲んでテゼの前に現れ、イポリットの無実を告げて死ぬ。テゼは、息子の恋人アリシーを娘として迎えると宣言して幕が下りる。
登場人物
| 人物 | 位置 |
|---|---|
| フェードル | テゼの妻。クレタ王ミノスの娘。義理の息子を愛してしまう |
| イポリット | テゼの前妻(アマゾンの女王)の子。アリシーを愛している |
| テゼ | アテナイ王。死んだと伝えられ、生きて帰る |
| アリシー | テゼの敵の血筋の王女。ラシーヌが創った人物 |
| エノーヌ | フェードルの乳母。讒言を実行し、身を投げる |
| テラメーヌ | イポリットの傅役。最後の報告を語る |
主題とモチーフ
⚡ この作品の4つの主題
- 意志では抗(あらが)えない情念 — フェードルは望んで愛したのではない。「ヴィーナスが、まるごとその獲物に取りついている」という一句がその状態を言い表す。
- 血の呪い — フェードルはミノスとパシパエの娘である。母は牛に恋した。血筋そのものが不吉さを背負っている。
- 見られること — フェードルは太陽神の子孫でもある。日の光が自分を照らしていることに耐えられない、という感覚が繰り返し語られる。
- 言葉が事態を作る — 告白が破局を招き、讒言が死を招く。行為ではなく発話が筋を進める。
| モチーフ | 働き |
|---|---|
| 光と闇 | 太陽の子孫であることと、隠れたい欲求の対立 |
| 迷宮 | クレタの迷宮。出口のない情念の比喩として機能する |
| 怪物 | 父テゼは怪物を退治する英雄。息子は怪物に殺される |
文体と形式
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 形式 | 5幕、アレクサンドラン(12音節) |
| 規則 | 三単一を守る。1つの場所、1日以内、1つの筋 |
| 語彙 | きわめて限られている。日常語も具体的な事物もほとんど出ない |
| 舞台上の出来事 | ない。死はすべて報告として語られる |
- 📘 報告の場面:舞台で見せられない出来事を、登場人物が語って伝える場面。テラメーヌの報告は、フランス古典悲劇で最も有名な例である。
限られた語彙で最大の効果を出すのがラシーヌの言語である。「炎」「血」「日」といった少数の語が、比喩と現実の両方の意味で繰り返される。語の反復を数えることが、そのまま分析になる。
原文を読む
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 難度 | 中程度から高い。語彙は少ないが、語順が現代と違い、比喩が凝縮している |
| 標準的な進め方 | 訳で全体を読み、指定された場面を原文で精読する |
| 最初に読む場面 | 第1幕第3場(フェードルがエノーヌに告白する場面) |
| 韻文の読み方 | 12音節を数え、6音節目の句切れを意識する(フランス語の教材の詩法の節を参照) |
戯曲なので、原文の分量は長編小説よりはるかに少ない。1場面なら数十行で、初級を終えた段階でも注釈つきなら読める。古典悲劇は、原文に入る最初の対象として現実的である。
解釈の分かれ目
この作品は、20世紀の批評をめぐる大論争の舞台になったという点でも重要である。
⚡ 新旧批評論争(1960年代)
- バルトが『ラシーヌ論』(1963年)で、精神分析や構造の観点から読んだ。
- ピカールがこれを、根拠のない読みだとして批判した。
- 争点は、作品を歴史的・文献学的に読むべきか、それとも別の枠組みで読んでよいか。
- この論争は、文学理論の領域で本格的に扱う。ここでは、同じ作品が枠組みによって別様に読めるという事実を押さえる。
| 論点 | 読みA | 読みB |
|---|---|---|
| フェードルの罪 | 恩寵を欠いた人間の姿。ジャンセニスムの反映 | 教義に還元せず、情念の悲劇として読む |
| エノーヌの役割 | フェードルの分身。言えないことを代わりに実行する | 単なる筋を動かす装置 |
| アリシーの追加 | イポリットを人間化し、嫉妬の動機を作る | 古典悲劇の純度を下げたという批判もあった |
| 結末 | フェードルの告白による秩序の回復 | 回復していない。死者は戻らない |
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レポートの切り口
⚡ 問いの立て方の例
- 「見られること」への恐れは、どの語で表現されているか。光・日・目に関する語を全て拾い、誰の台詞に集中しているかを数える。
- フェードルは何度、死にたいと言うか。その位置と、周囲の反応の変化を追う。
- エノーヌの発話を全て抜き出す。彼女がフェードルの何を代弁し、どこから逸脱するか。
- テラメーヌの報告はなぜ長いのか。舞台で見せられないことを語る場面が、これほどの分量を持つ効果。
- アリシーを削除したら、作品はどう変わるか。この人物が担っている機能を、場面ごとに検証する。
古典悲劇は語彙が限られているぶん、語の数え上げが分析として成立しやすい。「この語が何回、誰の口から出るか」から始めるのが、最も安全な入口になる。
邦訳と参考文献
| 種類 | 内容 |
|---|---|
| 邦訳 | 岩波文庫などに収録。韻文を散文で訳したものと、韻律を意識した訳がある |
| 原文 | 注釈つきの学習用版が入手しやすい |
| 上演 | 映像で観るのが有効。台詞の速度と句切れが体感できる |
| 研究 | バルト『ラシーヌ論』とその論争は、理論を扱う領域の必読文献になる |
⚠️ この作品で混同しやすい形
- フェードルが積極的に誘惑したと考える。彼女は抵抗し、死のうとし、追い詰められて告白する。
- 讒言をフェードルがしたと考える。実行したのはエノーヌである。ただし止めなかった責任は残る。
- アリシーを原作にいた人物と考える。ラシーヌが創った人物である。
- ジャンセニスムで全部を説明する。そう読む立場はあるが、教義への還元には批判がある。
⚡ 第4章の通過チェック
- ラシーヌの生涯の節目を4つと、教育の背景を言える
- 古代の原作からの変更点を3つ言える
- 筋を、告白・帰還・讒言・死の順で言える
- 主要人物6人の位置を言える
- 4つの主題を言え、代表的な一句を挙げられる
- テラメーヌの報告が何のための場面かを説明できる
- 新旧批評論争の争点を言える
次章へ
次章はモリエール『タルチュフ』である。同じ17世紀、同じ王のもとで書かれ、同じくアレクサンドランで書かれている。だが喜劇である。
そして、上演が禁止された。悲劇のフェードルは王の宮廷で上演され、喜劇のタルチュフは5年間封じられた。何を舞台に上げてよいかという境界が、どこにあったのかが見えてくる。