20世紀|第19章 不条理の演劇 — ベケットとイヨネスコ
この章の狙い
要点: この章だけは、1作ではなく3作を扱う。単独では短く、互いに比べたときに最もよく見える種類の作品だからである。
3作に共通するのは、演劇の約束事を壊している点である。筋がない。人物に過去がない。会話が噛み合わない。それでも舞台として成立する——成立してしまうこと自体が、この一群の主張になっている。
⚠️ この章では本文を引用していない
- ベケットとイヨネスコの著作は著作権が存続している。内容の記述で扱う。
- 戯曲は上演されてこそ完成する。映像でも構わないので、必ず観ること。読むだけでは半分しか分からない。
3作の位置
| 作品 | 作者 | 初演 | 扱う場所 |
|---|---|---|---|
| 『禿(はげ)の女歌手』 | ウジェーヌ・イヨネスコ | 1950年 | 言葉の崩壊 |
| 『ゴドーを待ちながら』 | サミュエル・ベケット | 1953年 | 待つことと時間 |
| 『犀(さい)』 | ウジェーヌ・イヨネスコ | 1959年 | 全体主義と同調 |
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- 📘 不条理演劇:1950年代のパリで上演された、筋・人物・言葉の通常の約束を壊した演劇の総称。後から与えられた呼び名であり、作家たちが名乗ったものではない。
作家 — 2人の位置
サミュエル・ベケット(1906-1989)
アイルランド出身。ダブリンで学び、パリに移り住み、フランス語で書いた。後に自作を自ら英訳している。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1906年 | ダブリン近郊に生まれる |
| 1930年代 | パリでジョイスと交わる |
| 1940年代 | フランスで抵抗運動に加わる。南仏に逃れる |
| 1940年代後半 | フランス語で書き始める。「貧しく書くため」と後に説明した |
| 1953年 | 『ゴドーを待ちながら』初演 |
| 1969年 | ノーベル文学賞 |
「フランス語で書けばフランス文学か」という問いの、最も明確な事例である。この問いは、フランス語圏の文学を扱う領域で正面から論じられる。
ウジェーヌ・イヨネスコ(1909-1994)
ルーマニア生まれ。幼少期をフランスで過ごし、のちにフランスへ移住してフランス語で書いた。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1909年 | ルーマニアに生まれる |
| 1938年以降 | フランスに定住 |
| 1950年 | 『禿の女歌手』初演 |
| 1959年 | 『犀』 |
| 1970年 | アカデミー・フランセーズ会員 |
ルーマニアで全体主義の台頭を目撃している。この経験が『犀』に直接結びついている。
各作品の内容
『禿の女歌手』(1950年)
イギリスの中流家庭の居間。スミス夫妻が、当たり前のことを確認し合う会話を延々と続ける。
訪ねてきたマーティン夫妻は、長い会話の末に、自分たちが夫婦であると「発見」する。同じ家に住み、同じ寝室で眠っていることを、論理的な推論によって突き止める。
やがて言葉は次第に崩れていく。格言のような文が意味をなさなくなり、単語の羅列になり、音の応酬になる。最後は最初の場面に戻り、同じ会話がやり直される。
題名の「禿の女歌手」は、一度も登場しない。台詞の中に一度だけ、脈絡なく現れるだけである。
⚡ 成り立ちが特異である
- 英会話の教本の例文から作られた。「天井は上にあります」「床は下にあります」といった文が、そのまま台詞になっている。
- 教本を読んでいて、そこに書かれた「当たり前の真理」の奇妙さに気づいたのが出発点だという。
- 言葉が通じることの不確かさが、教材という素材によって示されている。
『ゴドーを待ちながら』(1953年)
田舎道。木が一本。エストラゴンとヴラジーミルという2人の男が、ゴドーという人物を待っている。
待ちながら、彼らは意味のない会話をし、靴を脱ぎ、帽子を交換し、首を吊ろうかと話す。通りかかったポッツォとラッキーという主従と関わる。ラッキーは紐でつながれ、命じられると意味の崩れた長い言葉を発する。
少年が来て、「ゴドーさんは今日は来ない、明日来る」と告げる。
第2幕でも、ほぼ同じことが繰り返される。木に葉が数枚付き、ポッツォは盲目になり、ラッキーは口がきけなくなっている。時間は経っているが、状況は変わらない。少年が再び来て、同じことを告げる。
最後に「行こう」と言いながら、二人は動かない。
「何も起こらない、二度」という有名な評がある。同じことが2度起こることで、「何も起こらない」が構造として示される。
『犀』(1959年)
フランスの小さな町。ある日、犀(さい)が町を走り抜ける。人々は驚き、議論する。
やがて町の人間が次々に犀に変身しはじめる。最初は否定し、次に議論し、やがて「犀にも犀なりの理由がある」と言い出し、そして自分も変わっていく。
主人公ベランジェは、平凡で、酒を飲み、要領の悪い男である。同僚も、上司も、友人も、恋人までもが犀になっていく。理屈をつけて、あるいは魅力を感じて。
最後に、ベランジェ一人が人間として残る。彼は自分が人間であることを守ると宣言する。なぜ彼だけが残ったのかは、説明されない。
全体主義の寓話(ぐうわ)として読まれてきた。イヨネスコがルーマニアで見た、知識人たちが次々に体制へ順応していく光景が背景にある。
主題とモチーフ
⚡ 3作に共通する4つの主題
- 言葉の空転 — 会話が情報を伝えない。話しているのに通じない。
- 反復 — 同じことが繰り返される。進行しない時間。
- 待つこと・変わること — 何かを待ち続ける/周囲が変わっていく。どちらも個人には制御できない。
- 説明の欠如 — ゴドーが誰か、なぜ犀になるか、なぜベランジェだけが残るか。説明されない。
| モチーフ | 働き |
|---|---|
| 木(『ゴドー』) | 唯一の舞台装置。第2幕で葉が付く。時間の経過を示す最小の記号 |
| 帽子・靴 | 身体の周りの物。扱いが所作(しょさ)として繰り返される |
| 犀の音 | 舞台外の轟音(ごうおん)。見えないものが迫ってくる |
形式
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 筋 | ない、あるいは反復する |
| 人物 | 過去も内面も語られない。役割だけがある |
| 台詞 | 短い応酬、あるいは意味の崩れた長広舌(ちょうこうぜつ) |
| ト書き | 非常に重要。沈黙、間、動作が細かく指定される |
⚡ ト書きを読む
- ベケットの戯曲では、沈黙と間が台詞と同じ重みを持つ。
- 「間」がどこに、何回置かれているかを数えると、リズムが設計されていることが分かる。
- 戯曲を読むときは、ト書きを飛ばさない。そこに演出の指示がある。
原文を読む
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 難度 | 低い。会話が中心で、文が短い |
| 分量 | 短い。いずれも原文で通読できる |
| 注意 | 平易だが、含みが多い。読めることと分かることは別 |
| 進め方 | 上演の映像を観てから原文を読む |
| 授業での扱い | 表象文化の授業で扱われる |
戯曲は原文の入口として最適である。台詞は話し言葉に近く、地の文がない。初級を終えた段階で読める。
解釈の分かれ目
| 論点 | 読みA | 読みB |
|---|---|---|
| ゴドーとは何か | 神、救済、あるいは意味 | 問いを立てること自体が誤り。特定してはいけない |
| 『犀』の寓話 | 全体主義の批判として明確 | 寓話として読むと単純化される。変身の魅力も描かれている |
| ベランジェの抵抗 | 人間性の擁護 | 理由が示されない。偶然残っただけかもしれない |
| 「不条理演劇」という括り | 有効な整理 | 後付けの分類であり、3人の方法はかなり違う |
| 言葉の崩壊 | 意味の不可能性の証明 | 崩壊そのものが新しい意味を生んでいる |
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ゴドーの正体をめぐる問いは、ベケット自身が答えを拒んだ。「知っていたら書いていた」という趣旨の発言が伝えられている。特定しようとする読みは、作品の構造に反するという立場が有力である。
レポートの切り口
⚡ 問いの立て方の例
- 『ゴドー』の第1幕と第2幕を対照表にする。何が同じで何が違うか。差分だけを取り出すと、時間の扱いが見える。
- ト書きの「間」を数える。どの場面に集中しているか。沈黙の分布が何を作っているか。
- 『犀』で、変身を正当化する台詞を集める。誰がどんな論法を使うか。同調の論理を分類する。
- 『禿の女歌手』の台詞を、教本的な文とそれ以外に分類する。どの時点から崩壊が始まるか。
- 3作の「説明されないこと」を並べる。説明の欠如が、それぞれどう機能しているか。
戯曲は分量が限られているため、全数調査ができる。「間」を数える、反復を数える——数えられる形にしやすいのが、この種の作品の利点になる。
邦訳と参考文献
| 種類 | 内容 |
|---|---|
| 邦訳 | いずれも文庫や戯曲集に収録されている |
| 原文 | 入手容易。戯曲は薄い本で手に入る |
| 映像 | 上演の記録が複数ある。演出によって印象が大きく変わる |
| 併読 | ベケットの小説(『モロイ』ほか)。戯曲と同じ主題が別の形で現れる |
⚠️ この章で混同しやすい形
- 「不条理演劇」を作家たちが名乗ったと考える。後から与えられた呼び名である。
- ベケットをフランス人と考える。アイルランド出身で、フランス語で書いた。
- ゴドーの正体を特定しようとする。作者自身が答えを拒んでいる。
- 戯曲を読むだけで済ませる。上演を前提とした形式であり、ト書きと沈黙が本質的な要素にあたる。
⚡ 第19章の通過チェック
- 3作の作者・初演年を言える
- ベケットとイヨネスコの出自と、フランス語で書いたことの意味を言える
- 『禿の女歌手』の成り立ちを言える
- 『ゴドー』の2幕の構造と、その効果を言える
- 『犀』の筋と、背景にある経験を言える
- 3作に共通する4つの主題を言える
- ゴドーの正体をめぐる立場を説明できる
次章へ
最後の章はモディアノ『暗いブティック通り』である。1978年の作品で、現在も存命の作家による。
不条理の演劇が説明を拒んだのに対し、モディアノは説明を求めて探し続ける。記憶を失った男が、自分が誰だったのかを調べていく。だが調べても確定しない。探偵小説の形式を借りながら、答えの出ない探索が続く。