🧭全体地図📘作品と作家
15 / 20
CHAPTER 15 19世紀 読む目安 約5分 / ⚡暗記ボックス 3

19世紀|第15章 モーパッサン『脂肪の塊』— 偽善の構造

この章の狙い

要点: この作品は短い。一台の馬車と、一軒の宿。それだけで舞台が完結する。登場人物は10人。出来事は、道中の足止めと、その解決だけである。

にもかかわらず、階級と偽善(ぎぜん)の構造が完全に描かれている。短編がどう機能するかを見るのに、これ以上の教材はない。原文が短く、講読の定番でもあるので、この教材で扱う20作品の中で最も現実的に原文で読める作品にあたる。

▲ この章の内容へ

作家 — 生涯と位置

⊳ この節の問題を解く(1問)

  • 📘 ギ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant, 1850-1893):短編の名手。300篇を超える短編と、6篇の長編を残した。
出来事
1850年 ノルマンディーに生まれる
1870年 普仏戦争に従軍。この経験が作品の背景になる
1870年代 役人として働きながら、フローベールの指導を受ける
1880年 『脂肪の塊』。この一作で評価が決まる
1883年 『女の一生』
1885年 『ベラミ』
1893年 梅毒による精神の悪化のすえ、42歳で死去

フローベールは母の友人だった。弟子として、文章を厳しく直された。「凡庸な語を避け、対象を言い当てる語を探せ」という教えが、モーパッサンの文体に残っている。

▲ この章の内容へ

作品の成り立ち

⊳ この節の問題を解く(1問・1枚)

項目 内容
発表 1880年、自然主義の作家たちが出した短編集に収録
背景 普仏戦争(1870〜1871年)。ルーアンがプロイセン軍に占領された時期
反響 フローベールが絶賛したと伝えられる
位置 この一作でモーパッサンの名が確立した

短編集の中で最も高く評価された。同じ集にはゾラも寄稿しているが、後世に残ったのはこの一作である。

▲ この章の内容へ

あらすじ

⊳ この節の問題を解く(2問)

結末まで書いてある。

プロイセン軍に占領されたルーアンから、10人が一台の馬車で脱出しようとする。

乗り合わせたのは、葡萄酒商のロワゾー夫妻、工場主のカレ=ラマドン夫妻、ユベール・ド・ブレヴィル伯爵夫妻という3組の夫婦。それに修道女2人と、共和派の男コルニュデ。そして娼婦(しょうふ)のエリザベート・ルーセ——太っているため「脂肪の塊」と呼ばれている。

出発は早朝。雪の中、馬車は遅々として進まない。誰も食料を持っていない。やがて空腹が限界に達したとき、エリザベートだけが籠いっぱいの食料を持っていたことが分かる。

彼女は全員に分け与える。それまで彼女を蔑(さげす)んで口もきかなかった人々は、態度を変える。伯爵夫人までが親しげに話しかける。食事のあいだ、馬車の中は和やかになる。

宿場町トートで、プロイセン軍の将校に足止めされる。理由は説明されない。数日後、将校がエリザベートを求めていることが明らかになる。彼女は愛国心から拒む。

最初、同乗者たちは彼女を支持する。しかし足止めが続くと、態度が変わる。歴史上の女性を引き合いに出し、修道女までが遠回しに説く。全員が、彼女に応じるよう説得しはじめる。

エリザベートは折れる。一夜が明け、馬車は出発を許される。

そして誰も彼女に口をきかない。再び蔑まれ、無視される。今度は彼女だけが食料を持っておらず、他の全員が食べている。誰も分け与えない。

彼女は泣く。コルニュデが口笛で革命歌を吹くなか、馬車は進んでいく。

▲ この章の内容へ

登場人物

⊳ この節の問題を解く(1問・1枚)

人物 位置
エリザベート・ルーセ 娼婦。唯一、他人に与える人物
ロワゾー夫妻 葡萄酒商。最も露骨に打算的
カレ=ラマドン夫妻 工場主。上品を装いながら同じことをする
ブレヴィル伯爵夫妻 貴族。説得を主導する。最も洗練された偽善
修道女2人 宗教の側から説得に加わる
コルニュデ 共和派。口では革命を語るが、何もしない

社会の縮図としての馬車

  • 商人・産業家・貴族・宗教・共和派が全部そろっている。
  • それぞれの階層が、別の言葉づかいで、同じことをする。
  • 誰も暴力を使わない。説得だけで事は運ぶ。

▲ この章の内容へ

主題とモチーフ

⊳ この節の問題を解く(1枚)

この作品の4つの主題

  • 偽善 — 道徳を語る者ほど、それを利用する。修道女の参加が、その頂点にあたる。
  • 階級 — 蔑む側と蔑まれる側。必要が生じたときだけ壁が消え、済むと元に戻る。
  • 愛国心の使われ方 — エリザベートの拒否は愛国心による。説得する側は、その愛国心を利用して折らせる。
  • 与えることの一方通行 — 彼女は2度食料を分け、2度とも報われない。構造が反復によって示される。
モチーフ 働き
食事 2回ある。最初は彼女が与え、最後は誰も与えない。同じ形式の反復が結末を作る
閉ざされた時間。動けない状況が人を露わにする
革命歌 コルニュデの口笛。言葉だけの理想の空虚さ

▲ この章の内容へ

文体と形式

⊳ この節の問題を解く(1問・1枚)

要素 内容
分量 短編。数十ページ
語り 三人称。淡々と、評価を加えずに述べる
構成 対称形。2つの食事の場面が枠を作る
人物紹介 冒頭で各人の職業と財産の来歴が簡潔に示される

評価を述べないという点で、フローベールの非人称性を受け継いでいる。語り手は誰も責めない。読者が判断するしかないように書かれている。

構成の対称性が、この作品の技術の核心である。同じ「馬車の中の食事」が2度あり、役割が反転している。この反復だけで、主題が完全に伝わる。

▲ この章の内容へ

原文を読む

⊳ この節の問題を解く(1問)

項目 内容
難度 低め。文が短く、語彙も限られている
分量 短い。原文で通読できる
最初に読む場面 冒頭の人物紹介。各人の来歴が数行ずつで示される
見どころ 2つの食事の場面を並べて読む
授業での扱い 講読の定番教材

この作品は、原文で通読する最初の19世紀の散文として最適である。短く、文が明晰で、しかも文学的に一級である。訳を読まずに、いきなり原文から入っても成立する数少ない作品にあたる。

▲ この章の内容へ

解釈の分かれ目

⊳ この節の問題を解く(1問)

論点 読みA 読みB
エリザベートの造形 唯一の道徳的な人物 理想化されすぎているという批判もある
愛国心 彼女の拒否は真正な愛国心 職業と結びついた立場の表明でもあり、単純ではない
コルニュデ 無力な理想主義への皮肉 唯一、説得に加わらなかった人物として評価する読みもある
語り手の中立 徹底している 人物の描写に評価が滲(にじ)んでいる(「脂肪の塊」という呼称そのものが例)
結末 完璧な皮肉 図式的すぎるという評価もある

← 横に動かして読めます →

コルニュデの評価が分かれる。彼は説得に加わらなかったが、助けもしなかった。行動しない理想主義をどう見るかが問われる。

▲ この章の内容へ

レポートの切り口

⊳ この節の問題を解く(1問・1枚)

問いの立て方の例

  • 2つの食事の場面を対比する。語彙・文の長さ・誰が誰に話しかけるかを表にする。短編なので全数調査ができる。
  • エリザベートの呼ばれ方を集める。「脂肪の塊」「彼女」「マドモワゼル」。呼称の変化が態度の変化と対応しているか。
  • 説得の台詞を話者ごとに分類する。商人・貴族・修道女が、それぞれどんな論法を使うか。
  • 語り手の評価が滲む箇所を探す。中立を装いながら、形容詞の選択に判断が現れていないか。
  • 冒頭の人物紹介の順序。誰から紹介され、どこに何行割かれているか。

この作品は分量が短いため、レポートで全数調査ができる数少ない対象である。「数えられる」ことが、論証の強さに直結する。

▲ この章の内容へ

邦訳と参考文献

種類 内容
邦訳 文庫に収録。短編集の形で入手できる
原文 全文が公開されている。学習用の注釈つき版もある
関連 同じ短編集に収録された他の作家の作品。自然主義の集団としての姿勢が分かる
事典 『フランス文学小事典(増補版)』の該当項目

⚠️ この作品で混同しやすい形

  • 長編の一部と考える。独立した短編である。
  • 戦争小説と考える。戦争は状況であって、主題は社会の偽善にある。
  • 修道女を巻き込まれただけの人物と考える。説得に加わっている。
  • 語り手を完全に中立と考える。呼称や形容詞に評価が滲む箇所がある。

第15章の通過チェック

  • モーパッサンの経歴と、フローベールとの関係を言える
  • 発表の場と、その一作で評価が決まったことを言える
  • 筋を、出発・食事・足止め・説得・出発・無視の順で言える
  • 乗客の構成を、階層ごとに言える
  • 4つの主題を言え、2つの食事の対称性を説明できる
  • 語りの姿勢と、それがフローベールから受け継いだものを言える
  • コルニュデの評価が分かれる理由を言える

▲ この章の内容へ

次章へ

次章はプルースト『失われた時を求めて』である。この教材で最も長い作品になる。

『脂肪の塊』が数十ページで完結するのに対し、こちらは全7篇、日本語訳で十数冊短編の技術と、長編の極北。この2つを並べて読むと、分量そのものが方法であることが分かる。プルーストの長さには、長さでなければ書けないものがある。

読了の記録はこの端末の中だけに残ります。

📗 読み終えたら、この章の問題で理解を確かめましょう。

この章の問題を解く ▶
🧭全体地図へ戻る