19世紀|第13章 フローベール『ボヴァリー夫人』— 読書が作る欲望
この章の狙い
要点: この作品の主題は、「小説を読んで作られた欲望が、現実と衝突する」ことである。エマは修道院で恋愛小説を読み、そこに書かれていたような人生を送るはずだと信じて大人になる。
そして技術的な核心は自由間接話法(じゆうかんせつわほう)にある。エマの心の声が、地の文の中に溶けている。「彼女は思った」が省かれるので、それが本人の思いなのか、語り手の皮肉なのかが決めきれない。この揺らぎを見つけることが、この作品を読んだということになる。
作家 — 生涯と位置
- 📘 ギュスターヴ・フローベール(Gustave Flaubert, 1821-1880):文体に極端な労力を注いだ作家。1つの文を何日も推敲(すいこう)した。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1821年 | ルーアンに生まれる。父は病院の外科部長 |
| 1844年 | 発作を起こし、法律の勉強をやめて故郷で執筆に専念する |
| 1849〜1851年 | オリエント旅行 |
| 1851〜1856年 | 『ボヴァリー夫人』の執筆に5年近くを費やす |
| 1857年 | 刊行。起訴され、無罪 |
| 1862年 | 『サランボー』 |
| 1869年 | 『感情教育』 |
| 1877年 | 『三つの物語』 |
| 1880年 | 死去。『ブヴァールとペキュシェ』は未完 |
書簡が大量に残っている。執筆中の苦しみ、文体への考え、恋人への手紙。作家の制作過程を追える数少ない例として、研究の対象になっている。
作品の成り立ち
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 副題 | 「地方風俗」 |
| 執筆 | 5年近く。1日に数行しか進まない日もあった |
| 発表 | 1856年に雑誌連載、翌年に単行本 |
| 裁判 | 1857年、公序良俗を害するとして起訴され、無罪 |
同じ年にボードレール『悪の華』も起訴されている(そちらは有罪)。小説と詩が同じ年に裁かれたことになる。
裁判は結果として宣伝になった。無罪判決の後、単行本は大きく売れた。
あらすじ
結末まで書いてある。
シャルル・ボヴァリーは、平凡で不器用な田舎医者である。年上の妻に死なれたのち、農家の娘エマと結婚する。
エマは修道院で育ち、恋愛小説と宗教画に囲まれて過ごした。結婚生活が、そこで思い描いたものとまるで違うことに、すぐ気づく。シャルルは優しいが、話すことは平凡で、野心もない。
侯爵邸の舞踏会に招かれ、上流社会の一夜を経験する。それが彼女の不満を決定的にする。
夫婦はヨンヴィルという町へ移る。エマは若い書記レオンに惹かれるが、彼はパリへ去る。次に、地主ロドルフが現れる。彼は経験豊かな遊び人で、農業共進会の日にエマを口説き落とす。式典の演説と、二人の会話が交互に置かれるこの場面は、この作品で最も有名な箇所の1つである。
エマは駆け落ちを願うが、ロドルフは前日に手紙一通で関係を断つ。エマは重い病に倒れる。
回復後、ルーアンでレオンと再会し、関係が始まる。逢瀬のために嘘を重ね、商人ルルーから金を借り、贅沢な買い物を続ける。借金は膨らみ、証書に署名し、やがて差し押さえの通知が来る。
エマは金を借りようとして、あらゆる相手を訪ねる。レオンは逃げ、ロドルフは断り、公証人は関係を迫る。誰も助けない。
彼女は薬剤師の店から砒素(ひそ)を持ち出し、飲む。死は苦しく、長い。
シャルルは真相を後から知る。それでも妻を責めず、衰弱して死ぬ。残された娘ベルトは、親戚に引き取られたのち、紡績工場へ働きに出される。
最後の一行は、薬剤師オメーが勲章を受けたことを告げる。
登場人物
| 人物 | 位置 |
|---|---|
| エマ・ボヴァリー | 農家の娘。読書によって作られた期待を生きようとする |
| シャルル・ボヴァリー | 田舎医者。平凡で、鈍く、誠実 |
| ロドルフ・ブーランジェ | 地主。計算ずくで近づき、手紙一通で去る |
| レオン・デュピュイ | 書記。最初は臆病、後に凡庸な男になる |
| オメー | 薬剤師。進歩と科学を信じる饒舌(じょうぜつ)な人物 |
| ルルー | 商人。信用貸しでエマを追い込む |
⚡ オメーの位置
- 作品の最後の一行が、オメーの勲章で終わる。
- エマは死に、シャルルは死に、娘は工場へ送られる。生き残って報われるのは、この俗物だけである。
- この結末をどう読むかが、作品の姿勢をめぐる論点になる。
主題とモチーフ
⚡ この作品の4つの主題
- 読書が作る欲望 — エマの期待は、小説から来ている。現実がそれに応えないという構造が最初から仕組まれている。
- 凡庸さ — 夫、恋人、町、会話。すべてが平凡であることが、繰り返し示される。
- 金と身体 — 借金が破滅の直接の原因になる。死の描写は、美化されずに苦しく長い。
- 語りの距離 — 語り手はエマを笑っているのか、憐れんでいるのか。決められないように書かれている。
| モチーフ | 働き |
|---|---|
| 窓 | エマはしばしば窓辺にいる。内と外、現実と願望の境目 |
| 靴・服・布 | 具体的な物の描写。欲望が物に取り憑く |
| 農業共進会 | 演説と口説きの並置。言葉の空虚さが二重に示される |
文体と形式
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 構成 | 3部。トスト → ヨンヴィル → ルーアン |
| 冒頭 | 「私たち」という語り手で始まり、すぐ消える。この語り手は二度と戻らない |
| 語り | 三人称。作者の意見が述べられない |
| 技法 | 自由間接話法が全編にわたって使われる |
- 📘 自由間接話法:登場人物の言葉や思考を、引用符も「〜と思った」も付けずに地の文に組み込む書き方。誰の声なのかが揺らぐ。
- 📘 非人称性:作者が作品の中で意見を述べないこと。「作者は神のように、どこにでもいて、どこにも見えない」という書き方をフローベールは目指した。
冒頭の「私たち」は謎として残る。誰なのかが説明されず、途中で消える。語りの枠組みそのものが不安定であることを示す仕掛けとして論じられてきた。
原文を読む
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 難度 | 中程度。文は明晰だが、含みが多い |
| 分量 | 中程度の長編 |
| 最初に読む場面 | 農業共進会の場面。2つの声の交互配置が、原文でこそ分かる |
| 自由間接話法を確かめる | エマが結婚生活に失望する箇所。誰の声かを一文ずつ判定してみる |
| 進め方 | 訳で全体を読んでから、数場面を原文で精読する |
この作品は「読む」より「見る」ほうが近い。一文ごとに、誰の視点か・誰の語彙かを判定しながら進む。速く読むと技法が見えない。
解釈の分かれ目
| 論点 | 読みA | 読みB |
|---|---|---|
| エマへの態度 | 批判的。愚かな夢想の帰結として描かれている | 共感的。社会が女性に与えた選択肢の乏しさが背景にある |
| 自由間接話法 | 皮肉の道具 | 共感の道具でもある。判定できないこと自体が効果 |
| オメーの勲章 | 社会への痛烈な皮肉 | 単なる事実の報告。語り手は何も評価していない |
| 非人称性 | 実際に達成されている | 選択と配置に作者の判断が現れているので、完全な非人称はありえない |
| 裁判の意味 | 表現の自由をめぐる事件 | 当時の読者が何に反応したかを示す資料 |
← 横に動かして読めます →
エマへの態度が中心の論点である。同じ箇所を、皮肉としても共感としても読める。それが自由間接話法の効果そのものにあたる。
レポートの切り口
⚡ 問いの立て方の例
- 1つの段落を選び、一文ずつ「誰の声か」を判定する。判定できない文がどれだけあるかを数える。
- 農業共進会の場面の配置を分析する。演説と会話の切り替えの頻度と、切り替わる位置。
- エマが読んだ本について書かれた箇所を集める。何を読み、そこから何を期待したか。
- オメーの発話を全て拾う。科学と進歩の語彙が、どんな場面で使われるか。
- 冒頭の「私たち」は何か。この語り手が消えるまでの範囲と、その効果。
1番目がこの作品の中心的な分析である。数えられる形にできるので、論証として成立させやすい。
邦訳と参考文献
| 種類 | 内容 |
|---|---|
| 邦訳 | 複数ある。自由間接話法の訳し方が訳者ごとに違うので、比較すると技法が見える |
| 原文 | 全文が公開されている |
| 資料 | フローベールの書簡。執筆中の考えが読める一次資料 |
| 事典 | 『フランス文学小事典(増補版)』の該当項目 |
⚠️ この作品で混同しやすい形
- 裁判で有罪になったと考える。無罪である。有罪になったのは同年の『悪の華』。
- 非人称性を「感情がない」と考える。作者が判断を述べないだけで、書かれた世界は強い含みを持つ。
- エマを単純に愚かな人物と読む。そう読める箇所と、そう読めない箇所の両方がある。
- 自由間接話法を、ただの心理描写と考える。引用符と伝達動詞がないことが要点である。
⚡ 第13章の通過チェック
- フローベールの経歴と、書簡が資料として重要な理由を言える
- 副題・執筆期間・裁判の結果を言える
- 筋を、結婚・舞踏会・ロドルフ・レオン・借金・死・結末の順で言える
- 主要人物6人の位置と、オメーの結末の意味を言える
- 自由間接話法と非人称性を説明できる
- 冒頭の「私たち」の特異さを言える
- エマへの態度をめぐる2つの読みを言える
次章へ
次章はボードレール『悪の華』である。同じ1857年に起訴された作品で、こちらは有罪になった。
そして形式が変わる。詩集である。筋も人物もない。ただし全体が1つの構成を持っており、部立てを追うと1つの運動が見えてくる。「上昇しようとして落ちる」という運動が、詩集全体を貫いている。