中世|第2章 『ロランの歌』— 忠誠と名誉の過剰
この章の狙い
要点: この作品には作者がいない。少なくとも、近代的な意味では。写本(しゃほん)ごとに本文が違い、声に出して語られ、聞き手の反応によって形を変えてきた。「作品」という概念そのものが、いまと違うところから始まる。
読みどころは1つに絞れる。ロランはなぜ角笛(つのぶえ)を吹かなかったのか。この問いに答えようとすると、封建的な忠誠・名誉・度を越すこと・神の意志という、この作品のすべての主題に触れることになる。
作家 — 生涯と位置
作者は分かっていない。
現存する最古の写本(オックスフォード写本)の最終行に、トゥロルドゥスという名が現れる。だがこの人物が、作者なのか、写字生なのか、語り手なのかは決着していない。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 成立 | 11世紀末から12世紀初頭 |
| 最古の写本 | オックスフォードのボドリアン図書館蔵。約4千行 |
| 言語 | 古フランス語(アングロ=ノルマン方言の特徴を持つ) |
| ジャンル | 武勲詩(ぶくんし)。現存する最古のものの1つ |
- 📘 武勲詩:騎士の戦いと忠誠を語る長編の韻文。吟遊詩人(ぎんゆうしじん)が節をつけて語った。
作品の成り立ち
題材は778年の史実である。シャルルマーニュがスペインから引き上げる途中、後衛がロンスヴォーの谷で襲われて全滅した。
史実と作品の差が、この作品を読むときの第一の論点になる。
| 史実(778年) | 作品(11〜12世紀) | |
|---|---|---|
| 襲撃者 | バスク人 | イスラム勢力(サラセン) |
| 規模 | 小規模な後衛の全滅 | 大軍どうしの決戦 |
| 意味づけ | 撤退中の事故 | キリスト教世界のための殉教(じゅんきょう) |
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300年以上あとに、十字軍の時代の価値観で書き直されている。文学は史実の記録ではない、という原則の最も分かりやすい例にあたる。
あらすじ
結末まで書いてある。
スペイン遠征を7年続けたシャルルマーニュのもとへ、サラゴサのマルシル王が偽りの降伏を申し出る。使者に誰を送るかで揉め、ロランは義父ガヌロンを推薦する。危険な役目を押しつけられたと考えたガヌロンは、これを恨む。
ガヌロンはマルシルと通じ、フランク軍の後衛をロランに任せ、そこを襲わせるという計略を立てる。計略どおり、ロランは後衛の指揮官になる。
ロンスヴォーの谷で、後衛はサラセンの大軍に包囲される。親友オリヴィエは、角笛オリファンを吹いて本隊を呼び戻すよう三度勧めるが、ロランは拒む。恥になるからである。
戦いは凄まじく、フランク側は奮戦するが数に押される。味方がほとんど倒れてから、ロランはようやく角笛を吹く。あまりに強く吹いたため、こめかみが裂ける。オリヴィエは「もっと早く吹いていれば」と責める。
大司教テュルパンが倒れ、オリヴィエも死ぬ。最後に残ったロランは、自分の剣デュランダルを敵に渡すまいと岩に打ちつけるが、剣は折れない。彼は顔を敵の方へ向け、手袋を天に差し出して死ぬ。
戻ったシャルルマーニュは敵を討ち、サラゴサを陥落させる。パリでガヌロンの裁判が開かれ、決闘裁判によって有罪となり、四つ裂きの刑に処される。ロランの婚約者オードは、報せを聞いてその場で死ぬ。最後に、シャルルマーニュのもとへ新たな遠征の召命が下る。
登場人物
| 人物 | 位置 |
|---|---|
| ロラン | シャルルマーニュの甥。後衛の指揮官。勇敢だが度を越す |
| オリヴィエ | ロランの親友。賢明で、状況を測る |
| ガヌロン | ロランの義父。使者に推薦されたことを恨み、裏切る |
| シャルルマーニュ | フランク王。老いた君主として描かれる |
| テュルパン | 大司教。祈りと戦いを同時に担う |
| マルシル | サラゴサの王。偽りの降伏を申し出る |
| オード | ロランの婚約者、オリヴィエの妹。報せを聞いて死ぬ |
| デュランダル/オリファン | ロランの剣と角笛。物でありながら人物のように扱われる |
主題とモチーフ
⚡ この作品の4つの主題
- 封建的な忠誠 — 主君と臣下の関係が、あらゆる行動の基準になる。ガヌロンの裏切りは私怨(しえん)だが、彼は法廷で「私はロランを憎んだが王を裏切ってはいない」と主張する。
- 名誉と、度を越すこと — ロランが角笛を拒むのは名誉のためだが、それは部下の全滅を招く。この過剰さをどう評価するかが読みの分かれ目になる。
- キリスト教と異教の対立 — 敵は単なる敵ではなく、信仰上の他者として描かれる。十字軍の時代の価値観が反映されている。
- 神の意志 — 太陽が止まり、天変地異が起き、決闘裁判で神が判定を下す。世界が神の意志で動いているという前提が一貫している。
繰り返し現れるものにも意味がある。
| モチーフ | 働き |
|---|---|
| 三度の勧告 | オリヴィエは三度勧め、三度拒まれる。三という数が場面の型を作る |
| 剣と角笛 | 主人と一体の物。折れない剣は、持ち主の武名が死後も残ることを示す |
| 手袋 | 忠誠の印。ロランは死に際に、主君にではなく神に手袋を差し出す |
文体と形式
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 詩句 | 10音節。12音節のアレクサンドランはまだ主流ではない |
| まとまり | レス(同じ母音をそろえた行の群)。押韻ではなく母音の反復による |
| 語り | 三人称。語り手が「聞いてください」と呼びかける |
| 反復 | 同じ場面を少しずつ変えて繰り返す |
- 📘 レス:武勲詩の詩行のまとまり。長さは一定でなく、同じ母音を各行の末尾にそろえる(アソナンス)。
- 📘 並行レス:同じ出来事を、レスを変えて2度3度と語り直す技法。耳で聞く聞き手のための繰り返しである。
「ロランは勇敢、オリヴィエは賢明」という一行が有名で、2人の対比をそのまま定式化している。この種の簡潔な対句が、作品全体の骨格を作っている。
原文を読む
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 難度 | 最高。古フランス語で、現代語とは別の言語に近い |
| 標準的な読み方 | 現代フランス語訳か日本語訳で読む |
| 原文を見る意味 | レスの構造と母音のそろい方を確かめる。音読すれば、内容が分からなくても形式が分かる |
| 対訳版 | 古フランス語と現代フランス語を並べた版が複数ある |
初級から中級の段階では、原文で読む対象ではない。ただし、中世文学を卒論で扱うなら古フランス語の基礎が必要になる。専門の講読で扱われる。
解釈の分かれ目
この作品は、成立をめぐる研究史そのものが有名である。
⚡ 成立をめぐる2つの立場
- 伝統説 — 事件の直後から歌が歌い継がれ、それが長い時間をかけて成長して作品になった。
- 個人創作説 — 12世紀初頭に、一人の詩人がまとまった作品として作った。ベディエがこの立場を取り、巡礼路の聖堂に伝わる伝説と結びつけた。
- 現在はどちらか一方に決着したわけではなく、両方の要素を認める見方が多い。
作品の読みそのものも割れている。
| 論点 | 読みA | 読みB |
|---|---|---|
| ロランの拒否 | 英雄的。名誉を守り、封建的価値を体現した | 度を越している。個人の名誉のために部下を犠牲にした |
| ガヌロンの裁判 | 裏切りへの正当な処罰 | 私怨と反逆の区別という法的な問題を提起している |
| 敵の描かれ方 | 十字軍の時代の反映 | 敵の側にも勇者を配置しており、単純な二分法ではない |
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ロランの拒否をめぐる対立が中心である。作品自体が答えを示していないため、どちらの読みも本文から根拠を出せる。
レポートの切り口
⚡ 問いの立て方の例
- オリヴィエの三度の勧告は、なぜ三度なのか。回数の型と、そのたびの言葉の差を追う。
- ガヌロンの法廷での主張は、どこまで筋が通っているか。忠誠と私怨の区別を、当時の封建法の観点から検討する。
- オードの死は何を意味するのか。わずか数行で退場する人物が、作品の中でどう機能しているか。
- 敵はどう描かれているか。マルシルとその配下の描写を集め、単純な他者化かどうかを検証する。
- 史実との差は何を語るか。バスク人がサラセンに置き換えられたことの意味を、成立時期の状況から考える。
どれも、本文の特定の箇所を集めることから始められる。「作品全体の主題」ではなく、数えられるもの・比べられるものから入るのが、書きやすい問いの作り方である。
邦訳と参考文献
| 種類 | 内容 |
|---|---|
| 邦訳 | 岩波文庫に有永弘人訳がある。注が詳しく、初めて読むならこれで足りる |
| 対訳・原文 | 古フランス語と現代フランス語訳を並べた版が複数刊行されている |
| 事典 | 『フランス文学小事典(増補版)』の該当項目 |
| 研究 | 成立論争についてはベディエの著作が出発点。日本語の概説からたどるのが現実的 |
⚠️ この作品で混同しやすい形
- 史実の記録として読む。300年以上あとの作品で、敵の設定も変えられている。
- 押韻の詩だと考える。押韻ではなく母音のそろい(アソナンス)である。
- ガヌロンを単なる悪役と考える。彼の法廷での主張には筋があり、そこが論点になる。
- 決定版の本文があると考える。写本ごとに違い、オックスフォード写本は数ある伝承の1つである。
⚡ 第2章の通過チェック
- 成立時期と、題材になった史実の年を言える
- 史実と作品の違いを3点言える
- ロランが角笛を拒む理由と、その結果を言える
- 主要な登場人物6人の位置を言える
- レスとアソナンスを説明できる
- 成立をめぐる2つの立場を言える
- ロランの拒否をめぐる2つの読みを、それぞれ根拠つきで言える
次章へ
次章はモンテーニュ『エセー』である。同じフランス語で書かれていながら、400年後の作品になる。
そして性格が正反対である。『ロランの歌』が匿名で、聞かれるために作られ、価値が確定しているのに対し、『エセー』は署名され、黙読され、断定を避け続ける。この対比が、中世からルネサンスへの変化そのものを示している。