20世紀|第18章 カミュ『異邦人』— 不条理の文体
この章の狙い
要点: この作品は、フランス語で読む最初の長編として最もよく選ばれる。文が短く、時制が現代の話し言葉に近く、語彙も限られている。原文で読み通せる可能性が最も高い長編である。
そして文体そのものが主題を担っている。説明しない、理由を述べない、感情を分析しない。その文体が、社会から「意味のある態度を取らない者」として裁かれる主人公と対応している。読むときは、書かれていないことを数えることになる。
⚠️ この章では本文を引用していない
- カミュの著作は著作権が存続している。引用の代わりに、内容の記述で扱う。
- 有名な冒頭の一文も、ここでは示さない。原文か訳文で各自確かめること。
作家 — 生涯と位置
- 📘 アルベール・カミュ(Albert Camus, 1913-1960):アルジェリア生まれ。貧しい家庭に育ち、抵抗運動の新聞に関わった。1957年にノーベル文学賞。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1913年 | フランス領アルジェリアに生まれる。父は翌年、第一次大戦で戦死 |
| 1930年代 | 結核(けっかく)を発症。教員になる道を断たれる |
| 1940年 | パリへ。ドイツの侵攻を経験する |
| 1942年 | 『異邦人』『シーシュポスの神話』 |
| 1943〜1944年 | 抵抗運動の新聞に関わる |
| 1947年 | 『ペスト』 |
| 1951年 | 『反抗的人間』。翌年サルトルと決裂する |
| 1957年 | ノーベル文学賞 |
| 1960年 | 自動車事故で死去。46歳 |
アルジェリア出身であることが、この作品を読むうえで決定的に重要である。彼が育った植民地社会の構造が、作品の中に——とりわけ、書かれなかった部分に——現れている。
作品の成り立ち
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 刊行 | 1942年。ドイツ占領下のパリで出版された |
| 構成 | 2部。第1部が事件まで、第2部が裁判から結末まで |
| 併行する著作 | 『シーシュポスの神話』(同年)。不条理の概念が論じられている |
| 反響 | サルトルが長い書評を書き、注目を集めた |
- 📘 不条理:世界には意味がないのに、人間は意味を求めてしまう——そのずれそのものを指すカミュの概念。世界が無意味だという主張ではない。
小説と評論が同じ年に出ている。評論のほうが概念を説明し、小説のほうがそれを形にしている。両方を読むと、片方だけでは見えない部分が見える。
あらすじ
結末まで書いてある。
第1部。アルジェの事務員ムルソーのもとに、養老院にいる母の訃報(ふほう)が届く。彼は葬儀に行くが、泣かない。遺体を見ることも断る。夜通しの通夜で煙草を吸い、コーヒーを飲む。
翌日、彼は海へ行き、かつての同僚マリーと再会し、喜劇映画を観て、関係を持つ。
同じ建物に住むレーモンという男と親しくなる。レーモンは情婦を殴った件で警察沙汰になり、ムルソーは頼まれて証言する。理由を問われても、断る理由がないから引き受ける。
日曜日、3人で海辺の小屋へ行く。レーモンと因縁のある男たちと諍(いさか)いが起き、レーモンが刺される。その後、ムルソーは一人で浜を歩き、そのうちの一人と再び出会う。
強い日射しの中で、彼は発砲する。そして、倒れた体に向けてさらに4発撃つ。
第2部。予審と裁判。問われるのは、殺人そのものよりも、母の葬儀で泣かなかったことである。検事は、母の死の翌日に喜劇映画を観て女と関係を持った男として彼を描く。弁護士は弁明を試みるが、ムルソー自身は自分の行為をうまく説明できない。
「太陽のせいだ」という趣旨のことを述べたとき、法廷は笑う。
死刑が宣告される。独房で、彼は控訴や恩赦(おんしゃ)について考える。司祭が来て神について語ろうとすると、彼は初めて激昂(げきこう)する。
最後に彼は、世界の穏やかな無関心に心を開く。そして、処刑の日に多くの見物人が憎悪の叫びを上げてくれることを願う——という趣旨で作品は終わる。
登場人物
| 人物 | 位置 |
|---|---|
| ムルソー | 事務員。嘘をつかず、説明もしない |
| マリー | かつての同僚。結婚したいかと問われても、ムルソーは「どちらでもいい」と答える |
| レーモン | 隣人。評判の悪い男。ムルソーは断らずに付き合う |
| サラマノ老人 | 犬を罵(ののし)り続ける隣人。犬が逃げると嘆く |
| 検事・弁護士・司祭 | それぞれ、ムルソーに「意味」を与えようとして失敗する |
| 殺された男 | 名前を与えられていない。「アラブ人」としか呼ばれない |
⚡ 名前を持たない人物
- 殺された男には名前がない。作品を通じて「アラブ人」としか書かれない。
- 20世紀後半以降、この点が批判の対象になった。植民地下の社会で、誰が名前を持ち、誰が持たないか。
- 21世紀に入り、この人物の側から書き直した小説がアルジェリアの作家によって発表されている。授業でも扱われる論点である。
主題とモチーフ
⚡ この作品の4つの主題
- 不条理 — 世界は理由を与えない。ムルソーは理由を求めず、理由を語らない。
- 社会の要求 — 社会は「意味のある態度」を要求する。それを取らない者は、行為そのものより先に人格を裁かれる。
- 嘘をつかないこと — カミュ自身が後年、ムルソーを「真実のために死ぬことを受け入れた男」と説明した。
- 身体と感覚 — 暑さ、光、汗、海。思考ではなく感覚が行動を左右する。
| モチーフ | 働き |
|---|---|
| 太陽 | 葬列の日と殺人の日に照りつける。判断を奪う力として働く |
| 海 | 快楽と解放。社会の要求から離れた場所 |
| 独房の窓 | 外部との唯一の接点。第2部で、空間が閉じていく |
文体と形式
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 人称 | 一人称。ムルソー自身が語る |
| 時制 | 複合過去が地の文に使われる。19世紀以来の単純過去の約束を外した |
| 文 | 短い。接続詞が少なく、出来事が並置される |
| 説明 | 感情の分析がほとんどない。「〜と感じた」で止まり、なぜかを述べない |
複合過去の効果が、この作品の核心である。単純過去は「語られた過去」であり、語り手と出来事のあいだに距離がある。複合過去は現在に接続しており、出来事が積み重なっていくだけで、意味づけが生まれない。
この文体上の選択が、そのまま不条理という主題を担っている。(時制の違いについては、フランス語の教材の文学フランス語の章を参照。)
原文を読む
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 難度 | 低い。20世紀の作品では最も読みやすい部類 |
| 分量 | 短い長編。原文で通読できる |
| 進め方 | いきなり原文から入ってよい |
| 見どころ | 第1部の冒頭、殺人の場面、第2部の法廷、司祭との場面 |
| 時制の観察 | 複合過去がどこで使われ、どこで半過去になるかを追う |
フランス語で最初に読む長編として、この作品を選ぶ学生が最も多い。文が短く、時制が現代の話し言葉に近いためである。初級文法を終えた段階で、辞書を引きながら読み切れる。
解釈の分かれ目
| 論点 | 読みA | 読みB |
|---|---|---|
| ムルソーの人物像 | 誠実な人間。嘘をつかないために裁かれる | 共感の欠如した人物。倫理的な問題を抱えている |
| 殺人の理由 | 太陽と偶然。理由はない | 植民地社会の構造が背景にあり、理由がないわけではない |
| 名前のない被害者 | 語り手の視野の限界の反映 | 作品自体が植民地の視線を再生産している |
| 結末 | 世界との和解 | 社会への挑戦。憎悪を望むという最後の一節は和解ではない |
| 不条理の定義 | 世界が無意味だという認識 | 人間と世界のずれであり、世界の側の性質ではない |
← 横に動かして読めます →
名前のない被害者をめぐる議論が、現在最も活発である。ポストコロニアル批評の観点からの読み直しであり、文学理論とフランス語圏の領域の両方にまたがる論点になる。
レポートの切り口
⚡ 問いの立て方の例
- 時制を追う。複合過去と半過去がどこで切り替わるか。切り替わる箇所に何が起きているか。
- 感情を表す語を数える。第1部と第2部で、頻度がどう変わるか。
- 「アラブ人」という語が使われる箇所をすべて拾う。誰がその語を使い、どんな文脈で出るか。
- 司祭との場面の文体。それまでと何が変わるか。文の長さと接続詞の数を比べる。
- 裁判で何が証拠とされたかを一覧にする。殺人に関する証拠と、人格に関する証拠の比率。
1番目と2番目は数えるだけで始められる。そしてこの作品は短いので、全数調査が可能である。原文の電子テクストを使えば、語の検索もできる。
邦訳と参考文献
| 種類 | 内容 |
|---|---|
| 邦訳 | 複数ある。冒頭の一文の訳が訳者によって違うので、比べると文体の問題が見える |
| 原文 | 入手容易。学習用の注釈つき版もある |
| 併読 | 『シーシュポスの神話』(1942年)。不条理の概念が論じられている |
| 関連 | 21世紀に発表された、被害者の側から書き直した小説。授業でも扱われる |
| 批評 | サルトルによる書評(1943年)。同時代の受け取られ方が分かる |
⚠️ この作品で混同しやすい形
- 不条理を「世界は無意味だ」という主張と考える。人間と世界のずれを指す。
- カミュを実存主義者と呼ぶ。本人は否定している。近いが同じではない。
- 単純過去で書かれていると考える。複合過去である。そこが文体上の要点にあたる。
- 殺された男に名前があると考える。与えられていない。それが論点である。
⚡ 第18章の通過チェック
- カミュの経歴と、アルジェリア出身であることの意味を言える
- 同年に刊行された評論と、その関係を言える
- 筋を、葬儀・海・殺人・裁判・司祭・結末の順で言える
- 主要人物を5人挙げ、名前のない人物について説明できる
- 4つの主題を言え、不条理を正確に定義できる
- 複合過去が使われることの効果を説明できる
- 名前のない被害者をめぐる現在の議論を説明できる
次章へ
次章は演劇である。ベケットとイヨネスコ。1950年代のパリで、言葉が通じないことそのものを舞台に上げた作品群を扱う。
『異邦人』が説明しないことで不条理を示したのに対し、これらの戯曲は、説明しすぎることで意味を失わせる。当たり前のことを確認し合う会話が延々と続き、やがて言葉が崩れていく。同じ主題に、正反対の方法で近づいている。