19世紀|第12章 バルザック『ゴリオ爺さん』— 金が作り変えるもの
この章の狙い
要点: この作品は、下宿屋の描写から始まる。建物、階段の匂い、擦り切れた家具、食堂の椅子。数十ページにわたって、人物はほとんど動かない。
この描写を飛ばすと、この作品を読んだことにならない。バルザックにとって、環境は人物の説明そのものである。どんな部屋に住み、いくら払っているかが、その人が何者かを決める。「金額が書いてある小説」という点でも、文学史上の転換点にあたる。
作家 — 生涯と位置
- 📘 オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac, 1799-1850):約90篇の小説を1つの体系にまとめようとした作家。膨大な借金を抱え、猛烈な速度で書き続けた。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1799年 | トゥールに生まれる |
| 1820年代 | 匿名で通俗小説を量産。印刷業に手を出して失敗し、生涯の借金を負う |
| 1829年 | 実名での成功 |
| 1834年 | 人物再登場法を思いつく。既刊の作品を書き直して体系に組み込む |
| 1835年 | 『ゴリオ爺さん』 |
| 1842年 | 『人間喜劇』の総題と序文を定める |
| 1850年 | 結婚した数か月後に死去 |
借金と執筆が結びついている。前借りで書き、締切に追われ、校正刷りに大量の加筆をした。印刷所泣かせの作家として知られる。
- 📘 『人間喜劇』:バルザックが自作の小説群に与えた総題。社会全体を、生物の種の分類のように記述するという構想による。
作品の成り立ち
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 刊行 | 1835年 |
| 舞台 | 1819年のパリ。王政復古期 |
| 位置 | 人物再登場法が本格的に使われた最初の作品 |
| 献辞 | 生物学者ジョフロワ・サンティレールに捧げられている |
献辞が構想を示している。動物の種が環境によって分かれるように、人間も社会環境によって分かれる——という考えが、作品の方法になっている。
あらすじ
結末まで書いてある。
パリの貧しい下宿屋ヴォケール館。そこに、元製麺(せいめん)業者の老人ゴリオが住んでいる。かつては裕福だったが、いまは最上階の粗末な部屋にいる。下宿人たちは彼を軽蔑(けいべつ)し、老いた道楽者だと噂する。
同じ下宿に、法学生ラスティニャックがいる。地方の貧しい貴族の出で、パリで身を立てようとしている。遠縁のボーセアン子爵夫人を頼って社交界に入り、そこで教えを受ける。「この社会では、人を踏み台にしなければ上がれない」と。
ラスティニャックは、ゴリオが2人の娘に財産をすべて注ぎ込んだことを知る。娘たちは伯爵夫人と銀行家夫人になり、父の存在を隠している。金を無心するときだけ現れる。
同じ下宿のヴォートランが、ラスティニャックに取引を持ちかける。同宿の娘ヴィクトリーヌと結婚しろ。彼女の兄を決闘で始末して相続人にしてやる。その代わり分け前をよこせ、と。ラスティニャックは迷う。
ヴォートランは脱獄囚だった。密告により逮捕される。
ゴリオは、娘たちのために最後の金まで使い果たし、倒れる。ラスティニャックと医学生ビアンションだけが看病する。死の床で、彼は娘たちを呼び続ける。娘たちは舞踏会へ行っていて、来ない。
葬儀に参列したのは、ラスティニャックと下男だけだった。墓地からパリの街を見下ろし、「さあ、今度はおれとお前の勝負だ」とつぶやいて、彼は娘の一人の家へ夕食に向かう。
登場人物
| 人物 | 位置 |
|---|---|
| ゴリオ | 元製麺業者。娘たちへの愛が、そのまま破滅の原因になる |
| ラスティニャック | 法学生。この作品で野心を身につけ、以後の作品に再登場する |
| ヴォートラン | 脱獄囚。社会の仕組みを最も率直に語る人物 |
| ヴォケール夫人 | 下宿の女主人。金銭による人間関係の縮図 |
| ボーセアン子爵夫人 | 社交界の花形。ラスティニャックに世の理を教える |
| アナスタジーとデルフィーヌ | ゴリオの娘たち。伯爵夫人と銀行家夫人 |
| ビアンション | 医学生。誠実さの側に置かれた人物 |
⚡ 3人の「教師」
- ボーセアン夫人 — 社交界の作法。「男を踏み台にせよ」
- ヴォートラン — 犯罪の論理。「大きく盗めば罰されない」
- ゴリオ — 与え尽くすことの結末。言葉ではなく、その死によって教える
- ラスティニャックはこの3人から学び、最後にパリへ挑戦を宣言する。教養小説の構造になっている。
主題とモチーフ
⚡ この作品の4つの主題
- 金が人間関係を作り変える — 親子の愛も、恋も、友情も、金額で計られる。具体的な数字が繰り返し書かれる。
- 父性の悲劇 — 与え尽くす愛が、相手を堕落させ、自分を滅ぼす。シェイクスピアの『リア王』との類比がよく指摘される。
- 上昇の教育 — ラスティニャックが「社会の仕組み」を学ぶ過程。
- 社会の連続性 — 下宿屋から社交界まで、同じ論理が貫いていることが示される。
| モチーフ | 働き |
|---|---|
| 下宿屋 | 社会の縮図。各階の家賃が住人の階層を示す |
| 銀の食器 | ゴリオが売り払う。過去の豊かさが物として消えていく |
| 墓地からの眺め | 結末。上から街を見下ろす位置が、挑戦の姿勢を示す |
文体と形式
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 冒頭 | 長い環境描写。建物から部屋へ、部屋から人物へ入る |
| 語り | 三人称。説明的で、社会の仕組みを解説する |
| 数字 | 家賃、年収、持参金、借金。具体的な金額が示される |
| 人物再登場法 | ラスティニャック、ヴォートラン、ビアンション。他の作品に現れる |
- 📘 人物再登場法:同じ人物を複数の作品に登場させる手法。作品をまたいで1つの社会ができあがる。
ラスティニャックはこの後の作品で出世していく。したがって結末の宣言は、単なる決意ではなく、後の作品への予告として機能している。
原文を読む
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 難度 | やや高い。語彙が広く、描写が長い |
| 分量 | 中程度の長編 |
| 最初に読む場面 | ヴォートランがラスティニャックに取引を持ちかける場面。台詞が中心で、内容も刺激的 |
| 避けたほうがよい入口 | 冒頭の描写。原文で最初に読むと語彙で挫折しやすい |
| 進め方 | 訳で全体を読み、対話の場面を原文で読む |
バルザックは、原文で読む19世紀作家としては後回しでよい。スタンダールやメリメで慣れてから取りかかる。
解釈の分かれ目
| 論点 | 読みA | 読みB |
|---|---|---|
| ゴリオの愛 | 崇高な父性愛の悲劇 | 執着であり、娘たちを堕落させた原因でもある |
| ヴォートランの言葉 | 悪の誘惑 | 社会の真実を最も正確に述べている。作品はそれを否定していない |
| ラスティニャックの結末 | 挑戦の宣言 | 屈服。学んだ教訓を受け入れて社交界へ向かう |
| 作品の姿勢 | 社会の告発 | 観察に徹しており、道徳的な結論を出していない |
| 描写の長さ | 方法として必要 | 過剰であり、現代の読者には障害になる |
← 横に動かして読めます →
ヴォートランの評価が中心の論点である。彼の言葉は否定されないまま作品が終わる。作者がどこに立っているかが読み取りにくい。
レポートの切り口
⚡ 問いの立て方の例
- 金額をすべて拾う。家賃・年収・借金・持参金を一覧にし、人物の関係と対応させる。
- 3人の「教師」の台詞を比較する。ボーセアン夫人・ヴォートラン・ゴリオが、それぞれ何を教えているか。
- 下宿屋の描写を分析する。何がどの順で描かれ、どこで人物に移るか。描写の順序そのものが方法を示している。
- ゴリオの死の場面と、娘たちの舞踏会を並べる。同時進行の2つの場面が、どう配置されているか。
- 結末の宣言をどう読むか。「勝負だ」と言った直後に夕食へ向かう、という行動と合わせて検討する。
1番目はバルザックでしかできない問いであり、数えるだけで論が立つという点でも書きやすい。
邦訳と参考文献
| 種類 | 内容 |
|---|---|
| 邦訳 | 岩波文庫ほかに収録 |
| 原文 | 全文が公開されている |
| 関連作 | ラスティニャックとヴォートランが登場する他の作品。人物再登場法の効果は、2作目を読んで初めて分かる |
| 事典 | 『フランス文学小事典(増補版)』の該当項目 |
⚠️ この作品で混同しやすい形
- 『人間喜劇』を1つの長編と考える。約90篇の小説群に与えられた総題である。
- 描写を余分と考える。環境が人物を説明するという方法の一部である。
- ヴォートランを単なる悪役と考える。彼の社会分析は作品内で否定されていない。
- 結末を前向きな決意とだけ読む。屈服と読む立場もある。
⚡ 第12章の通過チェック
- バルザックの経歴(借金・速度・人物再登場法の着想年)を言える
- 献辞が示す構想を説明できる
- 筋を、下宿・社交界・ヴォートランの取引・ゴリオの死・結末の順で言える
- 3人の「教師」と、それぞれの教えを言える
- 4つの主題を言え、金額が書かれることの意味を説明できる
- 人物再登場法を説明でき、結末の宣言との関係を言える
- ヴォートランの評価をめぐる2つの読みを言える
次章へ
次章はフローベール『ボヴァリー夫人』である。同じ19世紀の小説だが、書き方の原理が変わる。
バルザックの語り手は、社会の仕組みを説明し、人物を批評する。フローベールの語り手は、意見を述べない。そして、登場人物の内心と地の文の境目が消える。19世紀の小説が最も技術的になった地点にあたる。