通史|第8章 革命とナポレオン — 前ロマン主義
この章の狙い
要点: 1789年から1815年までの四半世紀に、フランスは王政・共和政・帝政を経験する。この断絶が、文学の内容を変えた。
書き手たちは亡命・投獄・処刑を経験し、あるいは新しい体制に順応する。そこから生まれるのが、憂愁(ゆうしゅう)・孤独・過去への郷愁を主題とする文学である。第9章のロマン主義は、この時期に準備される。
革命期の文学
革命そのものは、文学にとって豊かな時期ではなかった。
| 理由 | 内容 |
|---|---|
| 言葉が政治に吸収された | 演説・パンフレット・新聞が言語の中心になった |
| 検閲と危険 | 立場によっては命に関わる。書き手が沈黙するか、国を出た |
| 制度の混乱 | 劇場も出版も、体制の変化に翻弄された |
- 📘 アンドレ・シェニエ(André Chénier, 1762-1794):恐怖政治期に処刑された詩人。古代の詩形を用いながら、新しい感受性を示した。作品の多くは死後の1819年に刊行された。
シェニエの評価が定まるのは19世紀に入ってからである。ロマン主義の詩人たちが、彼を先駆として発見した。
シャトーブリアン
- 📘 シャトーブリアン(Chateaubriand, 1768-1848):貴族の家に生まれ、革命を逃れてアメリカとイギリスに亡命した。帰国後、キリスト教と憂愁を主題とする作品で世代の心をつかんだ。
| 作品 | 年 | 内容 |
|---|---|---|
| 『アタラ』 | 1801年 | 北米を舞台にした物語。異国の自然の描写 |
| 『ルネ』 | 1802年 | 理由のない憂愁に苦しむ青年を描く |
| 『キリスト教精髄』 | 1802年 | キリスト教を美の面から擁護した |
| 『墓の彼方の回想』 | 1849〜1850年(死後刊行) | 大部の回想録 |
← 横に動かして読めます →
『ルネ』が世代の自画像になった。主人公は、何も欠けていないのに満たされず、目的も情熱も持てない。この状態が世紀病と呼ばれる。
- 📘 世紀病:19世紀初頭の文学に現れる、目的を持てず憂愁に沈む心の状態。革命後に理想を失った世代の感覚として語られる。
『キリスト教精髄』の戦略も重要である。啓蒙が理性の名でキリスト教を批判したのに対し、シャトーブリアンは「美しいから」と擁護した。論証ではなく感受性で応じたことになる。議論の土俵そのものを変えた点で、時代の転換を示す。
文体でも大きな影響を与えた。豊かで音楽的な散文は、後の作家たちが繰り返し模範とした。
スタール夫人
- 📘 スタール夫人(Madame de Staël, 1766-1817):作家・批評家。サロンの主催者として、また比較文学の先駆者として重要。ナポレオンと対立し、追放された。
| 作品 | 年 | 内容 |
|---|---|---|
| 『文学論』 | 1800年 | 文学を社会制度との関係で論じた。文学社会学の先駆 |
| 『デルフィーヌ』 | 1802年 | 書簡体小説 |
| 『コリンヌ』 | 1807年 | イタリアを舞台にした小説 |
| 『ドイツ論』 | 1810年(ナポレオンにより断裁)/1813年ロンドンで刊行 | ドイツ・ロマン主義をフランスに紹介した |
← 横に動かして読めます →
⚡ スタール夫人の2つの功績
- 文学を社会との関係で見る視点を提示した。「文学は制度・宗教・風土によって変わる」という考え方は、後の文学史記述の前提になる。
- ドイツ・ロマン主義を紹介した。古典主義的な規範に対して、北方の・キリスト教的な・自由な文学という対立軸を持ち込んだ。
『ドイツ論』はナポレオンによって断裁処分を受けた。帝政が文化の統制を行っていたことの例である。
- 📘 古典主義とロマン主義の対立軸:スタール夫人が導入した図式。南(地中海・古代・規則)と北(ゲルマン・中世・自由)を対置する。単純化ではあるが、19世紀の論争の枠組みを作った。
ナポレオン期の統制
第一帝政期(1804〜1814年)は、文化を統制した時代である。
| 措置 | 内容 |
|---|---|
| 検閲 | 出版と上演を厳しく管理した |
| 劇場の制限 | パリの劇場の数を制限した |
| 新聞の統合 | 新聞を少数に絞り、監督下に置いた |
そのため、この時期の文学の主要な作品は、亡命者か、体制の外にいる者から出ている。シャトーブリアンもスタール夫人も、帝政と距離を取った位置にいた。
政治が文学の生産条件を直接左右するという点で、第6章の検閲の話と同じ構図が繰り返されている。
前ロマン主義とは何か
- 📘 前ロマン主義:18世紀末から19世紀初頭にかけて、後のロマン主義の要素を先取りした傾向の総称。運動として組織されたものではなく、後からの整理である。
要素を挙げると次のようになる。
| 要素 | どこから来たか |
|---|---|
| 自然への感情 | ルソー(第7章) |
| 自己の告白 | ルソー『告白』 |
| 憂愁・孤独 | シャトーブリアン『ルネ』 |
| 中世とキリスト教への関心 | 『キリスト教精髄』、スタール夫人の「北方」 |
| 異国と遠さ | 『アタラ』の北米、『コリンヌ』のイタリア |
⚠️ 前ロマン主義という語の扱い
- これは後世が作った整理の名前であって、当時の運動名ではない。
- 答案では「後にロマン主義と呼ばれる要素を先取りしていた」と書くほうが安全である。
- 第1章で見た「運動の名前は後付けであることが多い」の典型例にあたる。
この時代のまとめ
| 領域 | 内容 |
|---|---|
| 政治 | 王政 → 革命 → 帝政 → 王政復古。四半世紀で体制が何度も変わる |
| 文学の条件 | 検閲・亡命・処刑。書き手が体制の外に置かれる |
| 内容 | 憂愁、孤独、自然、中世、異国 |
| 理論 | スタール夫人が、文学を社会との関係で見る視点と、南北の対立軸を導入 |
主要作品の中身
シャトーブリアン『ルネ』(1802年)
若いルネは、何ひとつ欠けていないのに満たされない。旅に出ても、自然の中に身を置いても、憂愁は消えない。姉アメリーが突然修道院に入り、彼女が自分に抱いていた感情を知ったのち、彼はアメリカへ渡る。事件らしい事件は起きず、語られるのはひたすら内面の状態である。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 世紀病。目的も情熱も持てない世代の自画像 |
| 試験で問われる点 | 革命後の失われた理想との関係、ロマン主義の主人公像の原型 |
シャトーブリアン『墓の彼方の回想』(1849〜1850年、死後)
自分の生涯と、その間に起きた歴史をともに語る大部の回想録。革命・亡命・ナポレオン・王政復古を、当事者として書いている。「死後に読まれる」ことを前提に書かれた点が、通常の回想録と違う。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 個人の記憶と歴史の記述の重なり |
| 試験で問われる点 | 死後刊行という設定、文体の影響力 |
スタール夫人『ドイツ論』(1810年/1813年)
ドイツの文学・哲学・社会を紹介する評論。フランスの古典主義的な規範に対して、「北方の文学」という別の基準を提示した。ナポレオン政権は刷り上がった本を断裁させ、著者を追放した。イギリスで刊行されて広く読まれる。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 文学は風土と制度によって異なる、という相対的な見方 |
| 試験で問われる点 | 断裁処分、南北の対立軸、ロマン主義への道を開いたこと |
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1789年 | フランス革命 |
| 1794年 | シェニエ処刑 |
| 1800年 | スタール夫人『文学論』 |
| 1801年 | シャトーブリアン『アタラ』 |
| 1802年 | シャトーブリアン『ルネ』『キリスト教精髄』 |
| 1804年 | 第一帝政 |
| 1810年 | スタール夫人『ドイツ論』断裁 |
| 1815年 | ナポレオン失脚、王政復古 |
| 1819年 | シェニエの詩集刊行 |
⚡ 第8章の通過チェック
- 革命期が文学にとって豊かでなかった理由を3つ言える
- シェニエの評価が定まった時期と、その理由を言える
- 『ルネ』が示した「世紀病」を説明できる
- 『キリスト教精髄』の戦略が啓蒙とどう違うかを言える
- スタール夫人の2つの功績を言える
- 『ドイツ論』が受けた処分と、その意味を言える
- 前ロマン主義という語の性格を、注意点とともに説明できる
次章へ
次章はロマン主義である。1820年代から1840年代にかけて、古典主義の規則を正面から否定する運動が起きる。
その中心にいるのがユゴーである。演劇の規則をめぐる公然たる衝突が起き、それが運動の勝利として語られることになる。この章で準備された要素が、宣言と論争を伴った運動として組織されるのが次章の内容である。