通史|第2章 中世 — 武勲詩・宮廷恋愛・笑いの文学
この章の狙い
要点: 中世の文学は、声に出して語られ、耳で聞かれた。作者名が伝わらない作品も多く、写本(しゃほん)ごとに本文が違う。「作者が書いた1つの決定版がある」という前提そのものが、まだ存在しない。
覚えるべきは作品名だけではない。武勲詩(ぶくんし)・宮廷風恋愛・笑いの文学という3つの流れが、それぞれ別の聞き手に向けて別の価値を語っていた、という構図である。この3つが、後のフランス文学のジャンルの原型になる。
前提 — 古フランス語という壁
中世の作品は古フランス語で書かれており、現代フランス語とは別の言語に近い。名詞に格変化が残り、綴りも発音も違う。
- 📘 古フランス語:9世紀から13世紀ごろのフランス語。名詞に主格と斜格の区別が残っていた。現代語とは直接読み通せないほど違う。
- 📘 写本:印刷以前の、手で書き写された本。写すたびに本文が変わるため、同じ作品でも写本ごとに違いがある。
授業では現代フランス語訳か日本語訳で読むのが普通である。原文で読むのは中世文学を専門にする段階になってからでよい。ただし、「決定版のテクストが存在しない」という事実そのものが、文学研究では重要な論点になる。
最古の記録は842年の『ストラスブールの誓約』で、これは文学作品ではなく政治文書である。文学として残る最初のまとまった作品が、次の武勲詩にあたる。
武勲詩 — 戦士の文学
- 📘 武勲詩:騎士の戦いと忠誠を語る長編の韻文(いんぶん)。11世紀から13世紀にかけて成立し、吟遊詩人(ぎんゆうしじん)が節をつけて語った。
代表作が『ロランの歌』(La Chanson de Roland)である。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 成立 | 11世紀末から12世紀初頭。最古の写本はオックスフォードにある |
| 題材 | 778年、シャルルマーニュ軍の後衛がロンスヴォーの谷で全滅した事件 |
| 主人公 | ロラン。援軍を呼ぶ角笛を吹くことを拒み、戦って死ぬ |
| 主題 | 王への忠誠、キリスト教世界のための戦い、裏切り |
史実からは300年以上あとに作られている。実際の襲撃者はバスク人だったが、作品ではイスラム勢力に置き換えられている。文学は史実の記録ではないという、この教材で繰り返し出る点の最初の例になる。
形式にも特徴がある。
⚡ 武勲詩の形式
- 10音節(おんせつ)の詩句が基本。第2章で扱うアレクサンドラン(12音節)はまだ主流ではない。
- 同じ母音をそろえた行のまとまり(レス)で区切られる。押韻ではなく母音の反復による。
- 同じ場面を少しずつ変えて繰り返す手法がある。耳で聞く文学だからこその技法である。
宮廷風恋愛 — 愛の文学
12世紀に、まったく違う価値を語る文学が現れる。戦士の忠誠ではなく、女性への奉仕を最高の価値とする文学である。
- 📘 宮廷風恋愛:騎士が身分の高い既婚の女性に仕え、その愛によって自らを高めるという恋愛の理想。12世紀の南フランスの宮廷で生まれた。
| 担い手 | 地域・言語 |
|---|---|
| トルバドゥール | 南フランス、オック語 |
| トルヴェール | 北フランス、オイル語 |
この理想が、ヨーロッパの恋愛観そのものを作ったと言われる。愛が人を高めるという考え方は、ここから始まっている。
クレチアン・ド・トロワ
- 📘 クレチアン・ド・トロワ(Chrétien de Troyes):12世紀後半の詩人。アーサー王物語をフランス語で作り上げた。
| 作品 | 内容 |
|---|---|
| 『荷車の騎士ランスロ』 | ランスロと王妃グニエーヴルの愛。宮廷風恋愛の典型 |
| 『聖杯の物語(ペルスヴァル)』 | 聖杯探求の主題を文学に持ち込んだ。未完 |
騎士道物語というジャンルは、ここで形が定まる。のちのヨーロッパ文学に長く影響し、16世紀にはこの型を笑い飛ばす作品(『ドン・キホーテ』)が生まれるほど広く読まれた。
『トリスタンとイズー』
避けられない愛を描いた物語で、12世紀に複数の版が作られた。媚薬(びやく)を誤って飲んだ二人が、意志とは無関係に愛し合ってしまう。
宮廷風恋愛が「自分を高める愛」であるのに対し、こちらは「破滅させる愛」である。同じ12世紀に、正反対の愛の物語が並んでいたことになる。
『薔薇物語』
13世紀の長編寓意(ぐうい)詩で、2人の作者が別々の時期に書いた前半と後半でできている。
| 部分 | 作者 | 時期 | 性格 |
|---|---|---|---|
| 前半 | ギヨーム・ド・ロリス | 1230年ごろ | 宮廷風恋愛の技法を寓意で語る |
| 後半 | ジャン・ド・マン | 1270年ごろ | 百科全書的で、宮廷風恋愛に批判的 |
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同じ作品の中で価値観が反転しているため、中世の思想の変化を見るうえで重要な作品とされる。
笑いの文学 — 市民の文学
騎士の理想を語る文学と並んで、それを笑う文学があった。担い手は都市の市民層である。
| ジャンル | 内容 |
|---|---|
| ファブリオー | 短い滑稽な韻文物語。庶民の生活、色恋、だまし合い |
| 『狐物語(きつねものがたり)』 | 狐のルナールが権力者を出し抜く動物寓話(ぐうわ)の集成。12〜13世紀 |
| 笑劇(しょうげき) | 喜劇の一種。『パトラン先生』(15世紀)が代表作 |
- 📘 『狐物語』(Le Roman de Renart):狐のルナールを主人公とする物語群。騎士道物語の枠組みを動物に置き換えて、権威を風刺(ふうし)した。
フランス語で狐を意味する renard は、この主人公の名前が普通名詞になったものである(もとの語は goupil)。作品が言語そのものを変えた例にあたる。
風刺と笑いは、フランス文学の一貫した特徴になる。ラブレー、モリエール、ヴォルテールへとつながる流れが、ここに始まっている。
演劇
中世の演劇は教会から始まった。
| 種類 | 内容 |
|---|---|
| 典礼劇・奇跡劇(きせきげき) | 聖書の場面や聖人の奇跡を演じる。教会の中から始まり、やがて広場へ出た |
| 聖史劇(せいしげき) | 大規模な宗教劇。数日かけて上演されることもあった |
| 笑劇 | 世俗の喜劇。短く、庶民的 |
舞台は同時に複数の場所を表した(天国・地上・地獄が並んで置かれる)。17世紀の三単一の規則(第4章)とは正反対の作りである。演劇の規則は自然なものではなく、時代ごとの約束事であることが分かる。
ヴィヨン — 中世の終わりの詩人
- 📘 フランソワ・ヴィヨン(François Villon, 1431-1463以後):15世紀の詩人。盗みと殺人に関わり、追放刑を受けた。生涯の終わりは分かっていない。
| 作品 | 年 |
|---|---|
| 『形見分け(かたみわけ)』 | 1456年 |
| 『遺言詩集(ゆいごんししゅう)』 | 1461年ごろ |
死と時間の流れ、貧しさ、後悔を、自分自身の声で語った。中世の文学が多く匿名的だったのに対し、ヴィヨンの詩は本人の生涯と切り離せない。
「近代的な詩人の最初の一人」とされるのはこのためで、19世紀のロマン主義(第9章)や象徴主義(第12章)の詩人たちが、彼を再発見して自分たちの先駆と見なした。
この時代のまとめ
| 流れ | 聞き手 | 価値 | 代表 |
|---|---|---|---|
| 武勲詩 | 領主と騎士 | 忠誠・信仰・武勇 | 『ロランの歌』 |
| 宮廷風恋愛・騎士道物語 | 宮廷、とくに女性 | 愛による自己の向上 | クレチアン・ド・トロワ |
| 笑いの文学 | 都市の市民 | 機知・現実・風刺 | 『狐物語』、ファブリオー |
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⚠️ 中世で混同しやすい形
- 武勲詩と騎士道物語を同じものと考える。前者は戦いと忠誠、後者は愛と冒険で、聞き手も価値も違う。
- 『ロランの歌』を史実の記録と考える。300年以上あとの作品で、敵の設定も変えられている。
- 『薔薇物語』を1人の作品と考える。前半と後半で作者も価値観も違う。
- 中世を「暗黒時代」と考える。この章で見たとおり、恋愛の理想も風刺も演劇も、この時代に形ができている。
主要作品の中身
『ロランの歌』(11世紀末〜12世紀初頭)
シャルルマーニュのスペイン遠征の帰路、後衛を任されたロランが、義父ガヌロンの裏切りによってサラセン軍の大軍に襲われる。ロランは援軍を呼ぶ角笛を吹くことを名誉のために拒み、部下が次々に倒れたのちにようやく吹くが、間に合わずに戦死する。シャルルマーニュは戻って復讐し、ガヌロンは裁かれる。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 封建的な忠誠と、名誉の過剰。角笛を吹かない選択が英雄的か愚かかは、古くから論じられてきた |
| 試験で問われる点 | 成立時期、題材の史実との差、10音節詩句とレスの構成 |
『トリスタンとイズー』(12世紀)
王の使いとしてイズーを迎えに行ったトリスタンが、船上で誤って媚薬を飲み、二人は逃れられない愛に落ちる。王への裏切りと、愛からの逃亡が続き、最後は二人の死で終わる。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 意志と無関係に人を支配する愛。宮廷風恋愛の「自己を高める愛」と正反対 |
| 試験で問われる点 | 宮廷風恋愛との対比、媚薬という装置の意味 |
『薔薇物語』(13世紀)
夢の中で薔薇の花(=愛する女性)を求める若者の遍歴(へんれき)を、擬人化された抽象概念(〈理性〉〈危険〉〈嫉妬〉など)との対話として語る。前半は恋愛の作法を寓意で説き、後半は百科全書的な脱線と、宮廷風恋愛への批判に傾く。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 恋愛の技法と、その相対化 |
| 試験で問われる点 | 2人の作者と、前半後半の価値観の反転 |
ヴィヨン『遺言詩集』(1461年ごろ)
自分の死を仮構し、知人や敵に「形見」を配るという枠で、貧困・老い・死・後悔を歌う。挿入された「昔の美女たちのバラード」の反復句「去年の雪はいまいずこ」がよく知られる。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 時間の流れと死。匿名的でない、個人の声 |
| 試験で問われる点 | 中世の終わりに位置すること、19世紀の詩人による再発見 |
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 842年 | 『ストラスブールの誓約』(最古のフランス語の記録) |
| 11世紀末〜12世紀初頭 | 『ロランの歌』成立 |
| 12世紀後半 | クレチアン・ド・トロワの活動 |
| 12〜13世紀 | 『狐物語』/ファブリオー |
| 1230年ごろ | 『薔薇物語』前半(ギヨーム・ド・ロリス) |
| 1270年ごろ | 『薔薇物語』後半(ジャン・ド・マン) |
| 1456年 | ヴィヨン『形見分け』 |
| 1461年ごろ | ヴィヨン『遺言詩集』 |
| 15世紀 | 笑劇『パトラン先生』 |
⚡ 第2章の通過チェック
- 中世の文学が、書物ではなく声で伝わったことを説明できる
- 『ロランの歌』の成立時期・題材・主題を言える
- 宮廷風恋愛とは何かを説明でき、担い手の呼び名を2つ言える
- クレチアン・ド・トロワの功績と代表作を2つ言える
- 『薔薇物語』の前半と後半の違いを言える
- 笑いの文学のジャンルを3つ言える
- ヴィヨンが「近代的」とされる理由を言える
次章へ
次章は16世紀である。印刷術が広まり、イタリアから新しい文化が入り、宗教改革が起きる。書物が複製できるようになったことで、文学の前提そのものが変わる。
そして、フランス語で書くこと自体が主張になる時代でもある。学問はラテン語で書くものだった中で、あえてフランス語を選ぶ作家たちが現れる。