通史|第5章 17世紀(2)— 喜劇・寓話・モラリスト
この章の狙い
要点: 前章で見たとおり、17世紀のジャンルには序列があった。悲劇が最も高く、喜劇は低い。ところが今日まで読まれ続けているのは、低いとされたジャンルのほうである。
理由は単純で、低いジャンルには自由があったからである。規則が緩く、庶民を登場させられ、同時代の社会を直接扱えた。この章では、モリエールの喜劇・ラ・フォンテーヌの寓話(ぐうわ)・モラリストたちの断章という3つの形を見る。どれも人間を観察して短く書くという点で共通している。
モリエール — 笑いによる批判
- 📘 モリエール(Molière, 1622-1673):本名ジャン=バティスト・ポクラン。俳優・座長・劇作家を兼ね、自分の一座のために書いて自分で演じた。
生涯の骨格は次のとおりである。
| 時期 | 内容 |
|---|---|
| 1643年 | 一座を結成するが失敗し、地方を12年以上巡業(じゅんぎょう)する |
| 1658年 | パリに戻り、王弟の庇護を受ける |
| 1660年代 | ルイ14世の庇護のもとで代表作を次々に発表 |
| 1673年 | 『病は気から』の上演中に倒れ、その夜に死去 |
主な作品を年順に並べる。
| 作品 | 年 | 何を笑ったか |
|---|---|---|
| 『滑稽な才女たち』 | 1659年 | プレシオジテ(第4章)の気取り |
| 『女房学校』 | 1662年 | 女性を無知にしておこうとする男 |
| 『タルチュフ』 | 1664年 | 偽の信心 |
| 『ドン・ジュアン』 | 1665年 | 貴族の放埒と偽善(ぎぜん) |
| 『人間嫌い』 | 1666年 | 社交界の虚礼と、それを憎む男の極端さ |
| 『守銭奴』 | 1668年 | けち |
| 『町人貴族』 | 1670年 | 貴族になりたがる金持ち |
| 『病は気から』 | 1673年 | 医者と病気への妄執(もうしゅう) |
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『タルチュフ』は上演禁止になった。信仰を装う人物を舞台に出したことが、宗教勢力の強い反発を招いた。1669年になってようやく上演が認められる。
⚡ モリエールの喜劇の型
- 1つの悪徳や妄執に取り憑かれた人物を中心に置く(けち、偽善、病への妄執)。
- その人物のせいで周囲が困り、若い恋人たちの結婚が妨げられる。
- 常識を代表する人物(多くは召使いや親族)が対比として置かれる。
- 最後は強引にでも解決される。問題そのものは解決していないことが多い。
笑いは批判の手段だった。「悪徳を直すには、それを笑いものにするのが最もよい」というのがモリエールの立場である。ただし、笑われる人物にも人間としての厚みがあるため、単純な風刺(ふうし)には収まらない。『人間嫌い』の主人公は、笑われながらも正しいという読み方が古くからされてきた。
ラ・フォンテーヌ — 寓話という形式
- 📘 ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ(Jean de La Fontaine, 1621-1695):動物を登場させた短い韻文(いんぶん)の物語で、人間社会を描いた詩人。
| 作品 | 年 |
|---|---|
| 『寓話』第1集 | 1668年 |
| 第2集 | 1678〜1679年 |
| 第3集 | 1694年 |
材料は古代のイソップなどから取られているが、ラ・フォンテーヌの功績は形式のほうにある。
| 特徴 | 内容 |
|---|---|
| 自由な詩形 | 行の長さを変え、話の緩急に合わせた。当時としては異例 |
| 簡潔な語り | 数十行で場面・対話・結論を収める |
| 教訓の扱い | 教訓を添えるが、教訓と話が食い違うこともある。単純な道徳の書ではない |
動物を使うことで、権力を直接名指しせずに批判できた。「狼と子羊」は強者の理屈を、「樫と葦」は柔軟さの価値を扱う。第2章の『狐物語(きつねものがたり)』から続く、動物による風刺の系譜にある。
フランスでは子どもが暗唱する国民的な古典になっており、引用が日常語に入っている。
モラリスト — 人間を観察して短く書く
- 📘 モラリスト:人間の性質や社会の風習を観察し、体系的な理論ではなく短い断章の形で書いた書き手たち。道徳を説く人という意味ではない。
この点は誤解されやすい。モラリストは「道徳家」ではなく「人間観察者」である。
| 作家 | 作品 | 年 | 中心の主張 |
|---|---|---|---|
| ラ・ロシュフコー | 『箴言(しんげん)集』 | 1665年 | 美徳に見えるものの背後に自己愛がある |
| ラ・ブリュイエール | 『人さまざま』 | 1688年 | 社会の類型を短い人物描写で示す |
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ラ・ロシュフコーは、人間の高潔な行為をすべて自己愛に還元して説明した。「われわれの美徳は、多くの場合、偽装された悪徳にすぎない」という調子である。断定を短く言い切る形式そのものが、内容と結びついている。
ラ・ブリュイエールは、類型を描いて社会を批判した。誰のことかを名指ししないまま、当時の読者には分かる形で書いている。
パスカル
- 📘 ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal, 1623-1662):数学者・物理学者・思想家。信仰を論じる著作を、断章の形で残した。
| 作品 | 年 |
|---|---|
| 『プロヴァンシアル書簡』 | 1656〜1657年 |
| 『パンセ』 | 1670年(死後刊行) |
『パンセ』はキリスト教を擁護する著作の草稿で、完成されていない断章の集まりである。だからこそ、編集の仕方によって印象が変わるという研究上の問題を抱えている。テクストの成り立ちが問われる典型例として、文学研究の領域でも扱われる。
- 📘 ジャンセニスム:人間の力による救いを厳しく否定し、神の恩寵(おんちょう)を重んじた宗教的立場。パスカルもラシーヌ(第4章)もこの立場に近い環境にいた。
「人間は考える葦である」という一節がよく知られる。弱さと偉大さを同時に言うこの形が、パスカルの思考の型を示している。
世紀末 — 新旧論争
17世紀の終わりに、古代と現代のどちらが優れているかをめぐる論争が起きる。
- 📘 新旧論争:1687年ごろから起きた、古代の作家を絶対の模範とみなす立場(古代派)と、現代のほうが進歩しているとする立場(近代派)の対立。
| 立場 | 代表 |
|---|---|
| 古代派 | ボワロー、ラ・フォンテーヌ |
| 近代派 | シャルル・ペロー |
この論争は、古典主義の前提そのものを揺るがした。古代が絶対の模範でないなら、規則も絶対ではなくなる。18世紀の啓蒙(第6章)の「進歩」という考え方は、ここから出てくる。
近代派のペローは、『昔話集』(1697年)を編んだ。「シンデレラ」「赤ずきん」「眠れる森の美女」などが収められている。民間の物語を文学として書き直した点で、後の民話研究の出発点にもなった。
この時代のまとめ
| 形式 | 共通する性格 | 代表 |
|---|---|---|
| 喜劇 | 同時代の社会を直接扱い、笑いで批判する | モリエール |
| 寓話 | 動物に語らせ、権力を名指しせずに批判する | ラ・フォンテーヌ |
| 断章 | 体系を作らず、短く言い切って人間を観察する | ラ・ロシュフコー、ラ・ブリュイエール、パスカル |
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どれも「短い形式」である。長大な体系ではなく、短く鋭く書くことが17世紀後半の散文の特徴になっている。
⚠️ この章で混同しやすい形
- モラリストを「道徳を説く人」と考える。人間を観察して書く人という意味である。
- 『パンセ』をパスカルが完成させた著作と考える。死後に編集された断章の集まりである。
- ラ・フォンテーヌをイソップの翻訳者と考える。功績は材料ではなく詩形と語り口にある。
- モリエールの喜劇を単純な風刺と考える。笑われる人物にも厚みがあり、読み方が分かれてきた。
主要作品の中身
モリエール『タルチュフ』(1664年)
信心深さを装う男タルチュフが、裕福な市民オルゴンの家に入り込み、信頼を得て財産と娘を手に入れようとする。オルゴンだけが最後まで欺かれ、家族の警告を聞かない。タルチュフの正体が露見したときには、すでに家も財産も彼のものになっている。王の介入によってかろうじて救われる。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 信仰そのものではなく、信仰を装うことへの批判 |
| 試験で問われる点 | 上演禁止(1664年)と解禁(1669年)、王による解決という結末の意味 |
モリエール『人間嫌い』(1666年)
社交界の虚礼を憎み、思ったことしか言わないアルセストが、社交界の花形セリメーヌを愛してしまう。彼は行く先々で軋轢を起こし、訴訟にも負け、最後は人間社会そのものから退こうとする。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 正しさと、社会で生きることの両立しなさ |
| 試験で問われる点 | 笑われる人物が同時に正しくもあること。喜劇としての読みの分かれ |
ラ・フォンテーヌ『寓話』(1668年ほか)
| 作品 | 内容と論点 |
|---|---|
| 「蟬と蟻」 | 働かなかった蟬が冬に困る。蟻は助けない。教訓が単純な勤勉の推奨に収まらない |
| 「狼と子羊」 | 狼が言いがかりをつけて子羊を食う。「最も強い者の理屈がつねに最良である」という冒頭句 |
| 「樫と葦」 | 強い樫が倒れ、しなる葦が残る |
動物に語らせることで、権力を名指さずに批判できる。教訓と話の内容が食い違う作品があり、単純な道徳の書ではないというのが読解の要点になる。
パスカル『パンセ』(1670年、死後)
未完の断章群。人間の惨めさと偉大さを同時に語る。「人間は考える葦である」——自然の中で最も弱いが、自分が死ぬことを知っているという点で宇宙に勝る、という論の運びになっている。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 気晴らし、無限、信仰への賭け |
| 試験で問われる点 | 断章であること、編集によって印象が変わること、ジャンセニスムとの関係 |
⚡ 第5章の通過チェック
- モリエールの代表作を5つ、年とともに言える
- 『タルチュフ』が禁止された理由と解禁の年を言える
- モリエールの喜劇の型を4点で言える
- ラ・フォンテーヌの功績が形式にあることを説明できる
- モラリストの定義を正確に言える
- ラ・ロシュフコーの中心の主張を言える
- 『パンセ』のテクスト上の問題を説明できる
- 新旧論争の対立軸と、それが後世に与えた影響を言える
次章へ
次章から18世紀に入る。ルイ14世が死に、社会の空気が変わる。文学の中心は宮廷からサロンとカフェへ移り、書くことが政治的な行為になる。
そして、この世紀の作家たちは文学者であると同時に思想家である。モンテスキュー、ヴォルテール、ディドロ、ルソー。彼らが書いた小説や劇は、思想を運ぶ器でもあった。