通史|第15章 戦後 — 実存主義・不条理・新しい演劇
この章の狙い
要点: 占領と抵抗の経験が、文学は何のためにあるのかという問いを前面に出した。ドイツ占領下で書くことは、それ自体が政治的な選択だったからである。
サルトルは書くことは社会に関わることだと主張し、カミュは世界に意味がないという前提から出発した。演劇では、言葉が通じないことそのものを舞台にする作品が現れる。この章の作家は、日本でも最もよく読まれてきた。
時代の条件
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1940〜1944年 | ドイツ占領。検閲と抵抗運動 |
| 1945年 | 終戦。『レ・タン・モデルヌ』創刊 |
| 1946〜1954年 | インドシナ戦争 |
| 1954〜1962年 | アルジェリア戦争 |
| 1958年 | 第五共和政 |
占領期に何をしたかが、戦後の文学界の位置を決めた。抵抗運動に加わった者、沈黙した者、協力した者。書き手の政治的立場が、作品の読まれ方を左右する時代になる。
アルジェリア戦争は、この章と次章の作家たちにとって決定的な出来事である。フランス史とフランス語圏の領域と、直接つながる論点になる。
サルトル
- 📘 ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre, 1905-1980):哲学者・小説家・劇作家・批評家。戦後フランスの知識人の代表とされる。
| 作品 | 年 | 種類 |
|---|---|---|
| 『嘔吐』 | 1938年 | 小説 |
| 『存在と無』 | 1943年 | 哲学 |
| 『蠅』『出口なし』 | 1943年、1944年 | 戯曲 |
| 『実存主義とは何か』 | 1946年 | 講演 |
| 『文学とは何か』 | 1948年 | 評論 |
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- 📘 実存主義:人間には決められた本質がなく、自分の選択によって自分を作っていくとする立場。「実存は本質に先立つ」という定式で知られる。
- 📘 アンガージュマン:作家が社会と政治に関わり、責任を引き受けること。サルトルの中心的な主張。
⚡ サルトルの主張の骨格
- 人間は自由であることから逃れられない。選ばないという選択もまた選択である。
- だから責任を引き受けるしかない。
- 書くことも行為である。書き手は、書いたことに責任を負う。
- 散文は道具であり、詩は違うという区別を立てた。ここは批判もされた。
1945年に創刊した『レ・タン・モデルヌ』は、文学と政治を同じ場で論じる雑誌として、戦後の議論の中心になった。
1964年、ノーベル文学賞を辞退した。制度に取り込まれることを拒む、という理由である。作家と制度の関係を考えるうえで、繰り返し参照される出来事である。
カミュ
- 📘 アルベール・カミュ(Albert Camus, 1913-1960):アルジェリア生まれ。貧しい環境から出て、抵抗運動の新聞に関わった。1957年にノーベル文学賞。
| 作品 | 年 | 種類 |
|---|---|---|
| 『異邦人』 | 1942年 | 小説 |
| 『シーシュポスの神話』 | 1942年 | 評論 |
| 『ペスト』 | 1947年 | 小説 |
| 『反抗的人間』 | 1951年 | 評論 |
| 『転落』 | 1956年 | 小説 |
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- 📘 不条理:世界には意味がないのに、人間は意味を求めてしまう——そのずれそのものを指すカミュの概念。世界が無意味だという主張ではない。
『異邦人』は、簡潔な文と複合過去(フランス語の教材で扱った時制)で書かれていることが文体上の特徴である。単純過去を使う19世紀以来の地の文の約束を外した点が、当時の読者に強い印象を与えた。
『ペスト』は、疫病(えきびょう)に襲われた都市を描きながら、占領と抵抗の寓話(ぐうわ)としても読まれてきた。不条理を認めたうえで、それでも連帯して抵抗するという方向へ進んでいる。
サルトルとの決裂
1952年、『反抗的人間』をめぐって両者は公然と決裂した。争点は、革命的な暴力を認めるかどうかである。サルトルの側は歴史的必然性を重視し、カミュは目的が手段を正当化しないと主張した。
この対立は、戦後の知識人の分岐点として繰り返し論じられる。どちらか一方を正解とせずに、争点そのものを説明できるようにしておくのが、レポートでの扱い方になる。
ボーヴォワール
- 📘 シモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir, 1908-1986):哲学者・作家。『第二の性』(1949年)で、女性が置かれた状況を体系的に分析した。
| 作品 | 年 |
|---|---|
| 『招かれた女』 | 1943年 |
| 『第二の性』 | 1949年 |
| 『レ・マンダラン』 | 1954年(ゴンクール賞) |
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という一節が知られる。性別による役割が、生まれつきではなく社会的に作られるという主張で、20世紀後半のフェミニズム批評の出発点になった。
文学理論・批評の領域で、ジェンダーの視点を扱うときの基本文献である。
不条理の演劇
- 📘 不条理演劇:1950年代のパリで上演された、筋・人物・言葉の通常の約束を壊した演劇の総称。後から与えられた呼び名である。
| 作家 | 作品 | 年 |
|---|---|---|
| ウジェーヌ・イヨネスコ | 『禿の女歌手』 | 1950年 |
| サミュエル・ベケット | 『ゴドーを待ちながら』 | 1953年 |
| ジャン・ジュネ | 『女中たち』 | 1947年 |
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『禿の女歌手』は、英会話教本の例文から作られた。意味のない会話が続き、言葉が通じないこと自体が舞台になる。
『ゴドーを待ちながら』では、2人の男が来ない誰かを待ち続ける。事件は起きず、状況も変わらない。「何も起こらない、二度」と評された。
ベケットはアイルランド出身で、フランス語で書いた。1969年にノーベル文学賞。フランス語で書けばフランス文学かという問いを立てるうえで、重要な例になる。
ジュネは、犯罪と収監(しゅうかん)の経験を持ち、演じることそのものを主題にした。『女中たち』では、女中たちが主人を演じる遊びから物語が始まる。
この時代の作品を読む
| 作品 | 読みどころ | 原文の難しさ |
|---|---|---|
| 『異邦人』 | 文体と時制。複合過去で書かれていることの効果 | 文が短く明晰。原文で読む最初の長編に向く |
| 『ペスト』 | 語り手の正体が最後に明かされる構成 | 語彙は標準的 |
| 『出口なし』 | 「地獄とは他人のことだ」。一幕の密室劇 | 戯曲。短く、講読向き |
| 『ゴドーを待ちながら』 | 反復と沈黙。ト書きの読み方 | 会話は平易だが、含みが多い |
| 『第二の性』 | 序論の議論の立て方 | 評論。長いが文は追える |
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『異邦人』は、フランス語で読む最初の長編として最もよく選ばれる。文が短く、時制も現代の話し言葉に近いためである。
主要作品の中身
カミュ『異邦人』(1942年)
「きょう、母さんが死んだ」という一文で始まる。ムルソーは母の葬儀で涙を流さず、翌日には海へ行き、恋人を作る。アルジェの浜辺で、太陽のまぶしさの中でアラブ人の男を射殺する。裁判では、殺人そのものより母の葬儀で泣かなかったことが問題にされ、死刑を宣告される。獄中で司祭を拒み、世界の無関心に心を開くところで終わる。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 不条理。社会が求める「意味のある態度」を取らない者 |
| 試験で問われる点 | 複合過去による地の文、裁判の焦点のずれ、殺された人物が名を持たないことへの批判 |
カミュ『ペスト』(1947年)
アルジェリアの都市オランがペストに襲われ、封鎖される。医師リユーは治療を続け、記録を取る。神父は天罰として説教し、新聞記者は脱出を試み、やがて留まって協力する。疫病は去るが、語り手は「菌は決して死なない」と書き留める。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 不条理を認めたうえでの連帯と抵抗 |
| 試験で問われる点 | 占領と抵抗の寓話としての読み、語り手の正体、『異邦人』からの立場の変化 |
サルトル『嘔吐』(1938年)
ロカンタンは、日記の形で、事物が奇妙に感じられる経験を記録する。公園のマロニエの根を見つめるうちに、存在そのものが理由なくそこにあるという感覚に襲われる。最後に、書くことによって自分を救えるかもしれないという予感で終わる。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 存在の偶然性。意味のない実在に直面する経験 |
| 試験で問われる点 | 日記形式、哲学的主題を小説で扱うこと |
ベケット『ゴドーを待ちながら』(1953年)
2人の男が、道端の木のそばでゴドーという人物を待っている。待ちながら意味のない会話をし、通りかかる主従と出会い、少年が「ゴドーは今日は来ない、明日来る」と告げる。第2幕でも同じことが繰り返される。最後に「行こう」と言いながら、二人は動かない。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 待つこと、時間の停滞、言葉の空転 |
| 試験で問われる点 | 2幕の反復構造、ト書きの重要性、ゴドーの解釈を確定させない読み方 |
イヨネスコ『禿の女歌手』(1950年)
イギリスの夫婦が、当たり前のことを確認し合う会話を続ける。訪ねてきた夫婦は、長い会話の末に自分たちが夫婦だと「発見」する。言葉は次第に崩れ、意味を失った音の応酬になる。題名の女歌手は一度も登場しない。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 言葉が通じることの不確かさ |
| 試験で問われる点 | 英会話教本から作られた経緯、題名と内容の無関係さ |
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1938年 | サルトル『嘔吐』 |
| 1942年 | カミュ『異邦人』『シーシュポスの神話』 |
| 1943年 | サルトル『存在と無』 |
| 1945年 | 『レ・タン・モデルヌ』創刊 |
| 1947年 | カミュ『ペスト』/ジュネ『女中たち』 |
| 1949年 | ボーヴォワール『第二の性』 |
| 1950年 | イヨネスコ『禿の女歌手』 |
| 1951年 | カミュ『反抗的人間』 |
| 1952年 | サルトルとカミュの決裂 |
| 1953年 | ベケット『ゴドーを待ちながら』 |
| 1957年 | カミュ、ノーベル文学賞 |
| 1964年 | サルトル、ノーベル文学賞を辞退 |
⚠️ この章で混同しやすい形
- 不条理を「世界は無意味だ」という主張と考える。意味を求める人間と、意味を与えない世界とのずれを指す。
- カミュを実存主義者と呼ぶ。本人は否定している。近いが同じではない。
- サルトルとカミュの対立を「政治対文学」と単純化する。争点は革命的暴力を認めるかである。
- 不条理演劇を作家たちが名乗ったと考える。後から与えられた呼び名である。
⚡ 第15章の通過チェック
- 占領期の経験が戦後の文学界に与えた影響を言える
- 実存主義とアンガージュマンを説明できる
- サルトルのノーベル賞辞退の理由と、その論点を言える
- 不条理の定義を、よくある誤解とともに正確に言える
- 『異邦人』の文体上の特徴を、時制の面から言える
- サルトルとカミュの決裂の争点を、どちらかに与せず説明できる
- 『第二の性』の中心的な主張と、その影響を言える
- 不条理演劇の3人と代表作を言える
次章へ
最後の章では、1950年代後半から現在までを扱う。
小説の作り方そのものを問い直すヌーヴォーロマン、制約を課して書くウリポ、自伝と小説の境界を崩すオートフィクション。そして、フランス語で書かれる文学がフランスの外へ広がっていく流れを見る。