通史|第12章 近代詩の誕生 — ボードレールから象徴主義へ
この章の狙い
要点: 19世紀後半に、詩は世界を写すことをやめた。かわりに、言葉そのものの力で別の何かを立ち上げようとする。20世紀の詩は、ほぼすべてこの章の4人から始まる。
ボードレール・ヴェルレーヌ・ランボー・マラルメ。この4人は、それぞれ違う方向を切り開いた。まとめて「象徴主義」と呼ぶと大事なものが落ちるので、1人ずつ、何を新しくしたのかで整理する。
前段 — 高踏派
ロマン主義の後、感情の吐露に反発する詩の一派が現れる。
- 📘 高踏派:19世紀後半の詩の一派。感情を抑え、彫刻のように完成された形式を目指した。
| 詩人 | 主張・作品 |
|---|---|
| テオフィル・ゴーチエ | 芸術のための芸術。詩に有用性を求めない |
| ルコント・ド・リール | 古代を題材に、非人称的で堅固な詩を書く |
- 📘 芸術のための芸術:芸術は道徳や有用性に奉仕すべきではないという立場。19世紀後半の詩と小説の両方に影響した。
ロマン主義(感情)への反発が高踏派(形式)、その両方を組み替えるのがボードレールという順序になる。
ボードレール
- 📘 シャルル・ボードレール(Charles Baudelaire, 1821-1867):近代詩の出発点とされる詩人。美術批評家でもあり、翻訳者でもあった。
| 作品 | 年 |
|---|---|
| 『悪の華』 | 1857年(起訴・有罪、6篇の削除) |
| 『悪の華』第2版 | 1861年 |
| 『パリの憂鬱』(散文詩) | 1869年(死後) |
フローベール『ボヴァリー夫人』と同じ1857年に起訴されたが、こちらは有罪になった(第11章)。
何が新しかったか
⚡ ボードレールの3つの新しさ
- 題材 — 都市、群衆、貧困、老い、腐敗。「美しくないもの」を詩の題材にした。
- 万物照応 — 色・音・香りが互いに対応し、目に見える世界の背後にある何かを指し示すという考え。象徴主義の出発点になる。
- 現代性 — 移ろいゆく現在の中に、永遠の美を見出すという構え。都市を歩く詩人という形を作った。
- 📘 万物照応:自然界のさまざまな要素が互いに呼応し、感覚を越えた統一を示すという考え。ボードレールの同名の詩に由来する。
- 📘 散文詩:韻律(いんりつ)を持たない散文の形で書かれた詩。『パリの憂鬱』がこの形式を確立した。
都市を歩き、群衆の中で孤独である詩人という形は、その後の文学と批評に長く影響した。19世紀のパリという都市そのものが主題になっている点で、文化史の領域とも直接つながる。
ヴェルレーヌ
- 📘 ポール・ヴェルレーヌ(Paul Verlaine, 1844-1896):音楽性を最優先した詩人。ランボーとの関係と、その破局で知られる。
| 作品 | 年 |
|---|---|
| 『サチュルニアン詩集』 | 1866年 |
| 『艶なる宴』 | 1869年 |
| 『言葉なき恋歌』 | 1874年 |
「詩法」という詩の中で、自らの立場を述べている。
| 主張 | 内容 |
|---|---|
| 何よりも音楽を | 意味より響き |
| 奇数音節(おんせつ)を | 12音節のような偶数の安定を避ける |
| 明確さより曖昧(あいまい)さを | 輪郭をぼかす |
| 雄弁を捨てよ | 声高な主張を避ける |
「秋の歌」がその実践である(フランス語の教材で音節を数えた詩)。4音節・4音節・3音節という不安定な形が、内容そのものになっている。
ランボー
- 📘 アルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud, 1854-1891):10代で詩を書き、20歳前後で詩をやめた。以後は商人としてアフリカへ渡った。
| 作品 | 年 |
|---|---|
| 「酔いどれ船」 | 1871年 |
| 『地獄の季節』 | 1873年(自費出版) |
| 『イリュミナシオン』 | 1886年(本人の関与なく刊行) |
1871年の「見者の手紙」が、その考えを示している。
⚡ 見者の詩人
- 「詩人はあらゆる感覚の錯乱(さくらん)によって見者となる」
- 詩人は自分の感覚を意図的に壊すことで、他人が見ないものを見る。
- 「私とは一個の他者である」——書く主体そのものを疑う。
- この2つの句は、20世紀の詩と批評で繰り返し引かれる。
言葉の自明な意味を壊すという方向は、シュルレアリスム(第14章)が自分たちの先駆と見なすことになる。
20歳前後で書くのをやめたという事実そのものが、後世の神話を生んだ。作品と生涯が切り離せない読まれ方をしている点で、第2章のヴィヨンと似た位置にある。
マラルメ
- 📘 ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842-1898):言葉の配置そのものを詩にした詩人。英語教師として生計を立て、自宅の「火曜会」に若い作家を集めた。
| 作品 | 年 |
|---|---|
| 『半獣神(はんじゅうしん)の午後』 | 1876年 |
| 『骰子一擲(とうしいってき)』 | 1897年 |
難解さで知られるが、その理由は明確である。
| 方針 | 内容 |
|---|---|
| 暗示 | 「事物を名指すのは、詩の楽しみの4分の3を奪うことだ」。名指さずに示す |
| 統辞の解体 | 語順を通常の文法から外し、複数の読みを同時に成立させる |
| 余白の使用 | 『骰子一擲』では、活字の大きさと余白の配置そのものが意味を持つ |
『骰子一擲』は、詩を紙面の空間として構成した作品で、20世紀の視覚詩と現代美術に影響した。
象徴主義
- 📘 象徴主義:1886年にモレアスが宣言を発表して名前が定着した文学運動。目に見える世界の背後にあるものを、直接名指さずに暗示によって示そうとした。
| 事項 | 内容 |
|---|---|
| 宣言 | 1886年、ジャン・モレアスが新聞に発表 |
| 何への反発か | 自然主義の即物性(第11章) |
| 先駆 | ボードレール(万物照応)、ヴェルレーヌ、マラルメ |
| 広がり | 詩だけでなく、演劇・美術・音楽へ |
自由詩の登場も、この時期である。定型(12音節、押韻)から離れた詩が書かれ始め、20世紀にはこちらが主流になる。
この時代の作品を読む
| 作品 | 読みどころ | 原文の難しさ |
|---|---|---|
| 『悪の華』「万物照応」 | ソネット形式。照応の考えがそのまま書かれている | 14行。詩の入門に向く |
| 『パリの憂鬱』 | 散文詩。韻律がないぶん、初級でも読める | 短く、文は明晰 |
| ヴェルレーヌ「秋の歌」 | 音節数と音の効果。声に出して確かめる | 最も短く易しい |
| ランボー「酔いどれ船」 | イメージの連鎖。意味を追うより流れを追う | 語彙が広い |
| マラルメ | まず注釈つきの版で | 原文だけでは読めない。専門の講読で扱う |
← 横に動かして読めます →
詩の原文読解は、散文より早く始められる。短いからである。ヴェルレーヌ → ボードレールの散文詩 → ボードレールの韻文(いんぶん)という順が、負担が小さい。
主要作品の中身
ボードレール『悪の華』(1857年/1861年)
詩集全体が1つの構成を持つという点が新しい。「憂鬱と理想」に始まり、芸術・愛・都市・酒・悪・反抗を経て「死」で終わる。上昇しようとして落ちるという運動が全体を貫く。
| 部立て | 内容 |
|---|---|
| 憂鬱と理想 | 芸術による上昇の試みと、そこから落ちる憂鬱 |
| パリ情景 | 都市の群衆・老人・貧者。第2版で加えられた |
| 悪の華・反抗・死 | 悪をくぐり抜けて未知へ向かう |
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 美と悪の共存、都市の経験、現代性 |
| 試験で問われる点 | 起訴と6篇の削除、第2版での構成の変更、「万物照応」の位置 |
ボードレール『パリの憂鬱』(1869年、死後)
散文で書かれた短い詩の集まり。街で出会った出来事、貧者、窓の向こうの人生。韻律を捨てても詩が成り立つことを示した。序文で「韻律も脚韻もない詩的な散文」を求めたと述べている。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 都市の断片、道徳的に落ち着かない結末 |
| 試験で問われる点 | 散文詩というジャンルの確立、韻文の同題材作品との比較 |
ランボー『地獄の季節』(1873年)
自分の過去の詩作を振り返り、それを否定する散文作品。「かつて、私の記憶が確かならば…」と始まり、言葉の錬金術を試みて失敗したと語る。自費で刷られ、ほとんど流通しなかった。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 詩そのものへの訣別(けつべつ)。書くことの限界 |
| 試験で問われる点 | 「見者の手紙」との関係、詩作放棄との関連づけ方(伝記に還元しすぎない扱い) |
マラルメ『骰子一擲』(1897年)
「骰子の一擲は決して偶然を廃さないだろう」という一文が、大小さまざまな活字で、見開きの紙面全体に散らして配置される。行を追って読むこともできれば、活字の大きさごとに拾うこともできる。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 偶然と必然。紙面の空間そのものを詩の要素にする |
| 試験で問われる点 | 余白の使用、20世紀の視覚詩・現代美術への影響 |
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1857年 | ボードレール『悪の華』(起訴・有罪) |
| 1866年 | ヴェルレーヌ『サチュルニアン詩集』 |
| 1871年 | ランボー「見者の手紙」 |
| 1873年 | ランボー『地獄の季節』 |
| 1874年 | ヴェルレーヌ『言葉なき恋歌』 |
| 1876年 | マラルメ『半獣神の午後』 |
| 1886年 | モレアスの象徴主義宣言/ランボー『イリュミナシオン』刊行 |
| 1897年 | マラルメ『骰子一擲』 |
⚠️ この章で混同しやすい形
- 4人をまとめて「象徴主義」と呼ぶ。ボードレールは先駆、ランボーは運動の外、マラルメは中心。それぞれ位置が違う。
- 『悪の華』を無罪と考える。有罪で、6篇の削除を命じられた。無罪だったのは『ボヴァリー夫人』である。
- 散文詩を「詩でないもの」と考える。韻律を持たない詩の形式である。
- ランボーの評価を同時代のものと考える。『イリュミナシオン』は本人の関与なく刊行され、評価は後年である。
⚡ 第12章の通過チェック
- 高踏派の主張と、「芸術のための芸術」を説明できる
- ボードレールの3つの新しさを言える
- 万物照応と散文詩を説明できる
- ヴェルレーヌ「詩法」の主張を3点言える
- ランボーの「見者の手紙」の2つの句を言え、その影響先を言える
- マラルメの3つの方針を言える
- 象徴主義の宣言の年と、何への反発かを言える
次章へ
次章は世紀の変わり目である。詩が言葉の限界を試していたころ、小説の側でも決定的な変化が起きる。
プルーストは、記憶と時間そのものを主題にした長大な作品を書く。ジッドは、小説の中で小説を書くという仕掛けを試す。19世紀的な小説の作り方が、内側から組み替えられていく。