通史|第11章 フローベールと自然主義
この章の狙い
要点: フローベールは、作者の判断を作品から消そうとした。ゾラは、小説を科学の実験に見立てた。どちらも「客観的に書く」ことを目指したが、目指し方が違う。
この違いを押さえることが、この章の核心である。フローベールは文体で、ゾラは方法論で客観性に近づこうとした。そして両者とも、同時代の社会と衝突した。
フローベール
- 📘 ギュスターヴ・フローベール(Gustave Flaubert, 1821-1880):文体に極端な労力を注いだ作家。1つの文を何日も推敲したことで知られる。
| 作品 | 年 | 内容 |
|---|---|---|
| 『ボヴァリー夫人』 | 1857年 | 地方の医師の妻の不倫と破滅 |
| 『サランボー』 | 1862年 | 古代カルタゴを舞台にした歴史小説 |
| 『感情教育』 | 1869年 | 1848年革命を背景にした青年の遍歴(へんれき) |
| 『三つの物語』 | 1877年 | 短編集 |
| 『ブヴァールとペキュシェ』 | 1881年(未完・死後) | あらゆる学問を試して失敗する2人 |
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『ボヴァリー夫人』と裁判
刊行の年に公序良俗を害するとして起訴され、無罪となった。同じ1857年にボードレール『悪の華』も起訴されている(第12章)。こちらは有罪で、6篇の削除を命じられた。
同じ年に、小説と詩が同時に裁かれたという事実は、文学と社会の関係を考えるときの定番の材料になる。
3つの技法
⚡ フローベールが目指したもの
- 非人称性 — 作者が作品の中で意見を述べない。「作者は神のように、どこにでもいて、どこにも見えない」という書き方を目指した。
- 自由間接話法 — 人物の内心を、地の文の中に溶かして書く。「彼女は思った」を省いたまま、人物の考えが地の文に混ざる。
- 正確な語 — 対象を言い当てる唯一の語を探す。推敲の執拗さはここから来る。
- 📘 自由間接話法:登場人物の言葉や思考を、引用符も「〜と思った」も付けずに地の文に組み込む書き方。誰の声なのかが揺らぐため、皮肉にも共感にも読める。
この技法が『ボヴァリー夫人』の読みを難しくしている。主人公の夢想が語られる箇所で、それが本人の思いなのか、作者の皮肉なのかが決めきれない。文学研究では繰り返し論じられてきた論点である。
- 📘 ボヴァリスム:現実と自分を取り違え、小説的な夢想に従って生きようとする傾向。主人公の名から作られた語で、批評用語として定着した。
自然主義
- 📘 自然主義:写実主義をさらに進め、遺伝と環境によって人間を説明しようとする文学の立場。科学、とくに医学と生理学の影響を受けた。
中心にいるのがエミール・ゾラ(Émile Zola, 1840-1902)である。
| 事項 | 内容 |
|---|---|
| 『ルーゴン=マッカール叢書』 | 全20巻(1871〜1893年)。「第二帝政下の一家族の自然的・社会的歴史」という副題 |
| 方法 | ある家族の遺伝的な特質が、世代と環境によってどう現れるかを追う |
| 『実験小説論』(1880年) | 小説家は医学者のように仮説を立てて実験する、という理論 |
| 代表作 | 年 | 扱う世界 |
|---|---|---|
| 『居酒屋』 | 1877年 | 労働者街と酒 |
| 『ナナ』 | 1880年 | 高級娼婦(しょうふ)と第二帝政の社会 |
| 『ジェルミナール』 | 1885年 | 炭鉱と労働争議 |
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バルザックの『人間喜劇』(第10章)を意識した構想である。ただしバルザックが社会の分類を目指したのに対し、ゾラは遺伝という縦の軸を持ち込んだ。
取材の徹底も特徴である。炭鉱に降り、市場を歩き、専門書を読んで書いた。「調べて書く」という作法が、ここで確立する。
ドレフュス事件
1898年、ゾラは新聞に「私は弾劾する」を発表し、冤罪を告発した。有罪判決を受け、イギリスへ亡命している。
第6章のヴォルテールとカラス事件と、同じ型である。作家が社会に介入するという系譜が、19世紀末に最も大きな形で現れた。20世紀のサルトル(第15章)へ続く。
モーパッサン
- 📘 ギ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant, 1850-1893):短編の名手。フローベールに指導を受け、自然主義の集まりにも加わった。
| 作品 | 年 |
|---|---|
| 『脂肪の塊』 | 1880年 |
| 『女の一生』 | 1883年 |
| 『ベラミ』 | 1885年 |
『脂肪の塊』は、普仏戦争を背景に、一台の馬車に乗り合わせた人々の偽善(ぎぜん)を描く。自然主義の作家たちが出した短編集に収められ、この一作でモーパッサンの評価が決まった。
短編は300篇を超える。簡潔で、結末で視点が反転するものが多い。日本語訳も多く、原文が短いため、講読の教材として最も使われる作家の一人である。
この時代の作品を読む
| 作品 | 読みどころ | 原文の難しさ |
|---|---|---|
| 『ボヴァリー夫人』 | 自由間接話法の箇所。誰の声かを毎回確かめる | 文体は明晰だが、含みが多い |
| 『三つの物語』「素朴な心」 | 短く、フローベールの技法が凝縮している | フローベール入門に最適 |
| 『脂肪の塊』 | 馬車の中の力関係の変化 | 短編。講読の定番 |
| 『ジェルミナール』 | 群衆の描写。個人ではなく集団を主人公にする書き方 | 長大。抜粋(ばっすい)向き |
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フローベールを原文で読むなら『三つの物語』からが現実的である。長編に入る前に、技法を短い分量で確かめられる。
主要作品の中身
フローベール『ボヴァリー夫人』(1857年)
修道院で恋愛小説を読んで育ったエマは、平凡な田舎医者シャルルと結婚する。現実の結婚生活は小説と違い、彼女は退屈に耐えられない。2度の情事と、身分不相応な買い物によって借金が膨らみ、誰にも助けられずに砒素(ひそ)を飲んで死ぬ。シャルルは真相を知って衰弱し、娘は工場へ働きに出される。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 小説を読んで作られた欲望が、現実と衝突する |
| 試験で問われる点 | 自由間接話法の箇所、非人称性、裁判、ボヴァリスム |
フローベール『三つの物語』「素朴な心」(1877年)
生涯を女中として働いたフェリシテが、愛した人々を次々に失っていく。最後に残されたのは剥製(はくせい)の鸚鵡(おうむ)で、彼女はそれを聖霊の像と重ねて拝み、死の床でその姿を見る。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 無学な女性の内面を、皮肉なしに書けるか |
| 試験で問われる点 | 短さゆえに技法が見えやすいこと、鸚鵡の扱いの読み方の分かれ |
ゾラ『ジェルミナール』(1885年)
炭鉱町にやってきた失業者エチエンヌが、劣悪な労働条件を目にして組織化を進め、ストライキが起きる。飢えと弾圧(だんあつ)の中で運動は敗れ、坑内浸水(しんすい)で多くが死ぬ。それでもエチエンヌは去りながら、地下で芽吹くものを感じる。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 集団を主人公にすること。遺伝と環境という枠組み |
| 試験で問われる点 | 取材にもとづく記述、『ルーゴン=マッカール叢書』における位置、題名の意味(芽の月) |
モーパッサン『脂肪の塊』(1880年)
普仏戦争下、一台の馬車で街を脱出する10人。その中に娼婦が一人いる。同乗者たちは最初は彼女を蔑むが、食料を分けてもらうと態度を変える。プロイセン将校が彼女を要求すると、同乗者たちは彼女を説得して差し出させ、目的を達したあとは再び彼女を無視する。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 主題 | 偽善。道徳を語る者ほど利用する |
| 試験で問われる点 | 馬車という閉じた空間の使い方、結末の反転 |
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1857年 | フローベール『ボヴァリー夫人』(起訴・無罪)/ボードレール『悪の華』(起訴・有罪) |
| 1869年 | フローベール『感情教育』 |
| 1871年 | ゾラ『ルーゴン=マッカール叢書』開始 |
| 1877年 | ゾラ『居酒屋』 |
| 1880年 | モーパッサン『脂肪の塊』/ゾラ『実験小説論』 |
| 1885年 | ゾラ『ジェルミナール』 |
| 1898年 | ゾラ「私は弾劾する」 |
⚠️ この章で混同しやすい形
- 写実主義と自然主義を同じものと考える。自然主義は遺伝と環境による説明という枠組みを加えている。
- フローベールを自然主義の作家と考える。先駆と見なされるが、本人は運動に加わっていない。
- 非人称性を「感情がない」と考える。作者が判断を述べないだけで、書かれた世界は強い含みを持つ。
- 『ルーゴン=マッカール』を1作と考える。全20巻の叢書である。
⚡ 第11章の通過チェック
- フローベールとゾラの、客観性への近づき方の違いを言える
- 1857年に起訴された2作品と、それぞれの判決を言える
- フローベールの3つの技法を言える
- 自由間接話法を説明でき、それが読みを難しくする理由を言える
- 自然主義の定義を、写実主義との違いを含めて言える
- 『ルーゴン=マッカール叢書』の巻数・期間・副題の趣旨を言える
- ゾラのドレフュス事件への介入と、その系譜上の位置を言える
次章へ
次章は詩に戻る。同じ19世紀後半に、小説とはまったく別の方向へ進んだ詩人たちがいる。
ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボー、マラルメ。彼らは、世界をそのまま写すのではなく、言葉そのものの力で別の世界を立ち上げようとした。20世紀の詩は、ほぼすべてこの4人から始まる。