導入|第2章 理論以前 — 実証批評と印象批評
この章の狙い
要点: 理論が現れる前、文学は主に2つの仕方で論じられていた。作家の生涯と時代から作品を説明するやり方と、読んだ印象を語るやり方である。
理論は、この2つへの不満から生まれてくる。何が不満だったのかを押さえると、以後の章がすべて「その不満への応答」として読めるようになる。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 19世紀前半 | 批評が新聞と雑誌の仕事として確立する |
| 1850年代 | 作家の伝記から作品を説明する批評が広く行われる |
| 1860年代 | 「種族・環境・時代」による説明の枠組みが示される(04の領域) |
| 1870年代以降 | 大学に文学の講座が置かれ、実証的な研究が制度になる |
| 1890年代 | 印象批評が、実証的な方法への反発として現れる |
| 20世紀初頭 | プルーストが、伝記から作品を説明する方法を批判する草稿を残す |
| 1920年代 | ロシアで形式への注目が始まる(第3章) |
| 1960年代 | 新しい批評と、大学の実証的な批評が正面から衝突する |
実証批評
- 📘 実証批評:作家の生涯・書簡・草稿・時代背景といった外側の事実から、作品を説明しようとする批評のこと。19世紀後半に大学の研究として制度化された。
⚡ やってきたこと
- 本文の確定。版を比べ、異文を整理する(07の領域)。
- 年譜(ねんぷ)と書誌の作成。いつ何を書いたかを確定する。
- 典拠(てんきょ)の探索。作家が何を読み、どこから素材を得たか。
- 書簡と証言の収集。執筆の事情を復元する。
⚡ この蓄積は今も使われる
- 批評版と注釈は、この方法の成果にあたる(07の領域)。
- 年譜と書誌がなければ、どの理論も作品を扱えない。
- したがって実証批評は、否定されたのではなく、土台として残った。
⚠️ 何が批判されたか
- 作品を、作者の生涯の結果として説明してしまう。「こういう経験をしたから、こう書いた」。
- 作品そのものの構造を見ない。外側の事実に還元する。
- 説明できないものを扱えない。なぜこの語なのか、なぜこの構成なのかには答えない。
- 20世紀初頭に、作家自身の側からこの方法への批判が書かれている。社会的な自我と、書く自我は別だという趣旨の主張にあたる。
印象批評
- 📘 印象批評:作品を読んで受けた印象を、書き手自身の言葉で語る批評のこと。実証的な方法への反発として、19世紀末に力を持った。
⚡ 主張
- 批評とは、傑作に接した魂の冒険を語ることであるという趣旨の言い方がされた。
- 客観的な基準はない。あるのは出会いの記録だけだとする。
- 批評そのものが創作に近づく。
⚠️ 何が批判されたか
- 検証できない。「私にはこう見えた」に対して、他人は何も言えない。
- 共有できない。議論が積み上がらない。
- ただし、作品を読む経験の質を言葉にしようとした点は、後の主題批評(第6章)に受け継がれる。
2つの共通点
対立しているように見えて、実は同じ前提を共有している。
⚡ 共通する前提
- 作品の意味は、どこか外側にある。作者の生涯か、読者の心の中か。
- テクストそのものの構造は、分析の対象にならない。
- したがって「なぜこの形なのか」という問いが立たない。
理論は、この共通の前提を外すところから始まる。意味はテクストの内部の関係から生じるのではないか——それが第3章以降の出発点にあたる。
大学の批評と、新しい批評
1960年代に、この対立が公然の論争になった。
| 大学の実証的な批評 | 新しい批評 | |
|---|---|---|
| 対象 | 作家と作品の成立事情 | テクストの構造 |
| 方法 | 文献の実証 | 言語学・精神分析・人類学の枠組み |
| 目標 | 事実の確定 | 意味の作られ方の解明 |
| 批判 | 新しい批評は恣意(しい)的で検証できない | 実証批評は作品を説明できていない |
← 横に動かして読めます →
⚡ 論争の帰結
- どちらかが勝ったのではない。
- 実証の蓄積は残り、理論の枠組みも定着した。
- 現在の研究は、両方を使う。版を確定したうえで、枠組みを選ぶ(07の領域)。
- したがってこの教材も、07の基礎の上に載っている(第1章)。
この対立が今も残っている場面
⚠️ レポートでよく起きること
- 作家の生涯で作品を説明してしまう。実証批評の悪い形の再現にあたる。
- 「感動した」「美しい」で終える。印象批評の悪い形にあたる。
- どちらも、テクストの記述を根拠にしていないという点で同じ問題を抱えている。
- この教材の枠組みは、すべて「テクストの記述を根拠にする」ための道具である。
⚡ 伝記的な事実を使ってよい場合
- 条件として示すとき。「この作品は占領下に刊行された」(03の領域)。
- 草稿と刊行版の差を扱うとき(第16章)。
- 作家の位置を論じるとき(第12章の場の理論)。
- いずれの場合も、原因として断定しない。「〜という指摘がある」の形で書く。
当ててみる
同じ一節を、2つのやり方で論じるとどうなるか。フローベール『ボヴァリー夫人』の農業共進会の場面を例にする。
| 立場 | 何を言うか |
|---|---|
| 実証批評 | この場面は実際の共進会を取材して書かれた。作家の書簡に記述がある |
| 印象批評 | 演説と口説きが交互に置かれる箇所は、読んでいて眩暈(めまい)を覚える |
| テクストの分析 | 切り替えの頻度を数える。演説の断片と会話の断片が、どの位置でどれだけの長さで交替するかを表にする |
⚡ 3つ目が理論以後の読み方にあたる
- 数えられる。したがって検証できる。
- 本文の記述だけを根拠にしている。
- そのうえで「この配置は何をしているか」と問う。ここから枠組みの選択が始まる。
⚠️ この章で混同しやすい形
- 実証批評を「古くて間違った方法」と考える。版と年譜の確定は今も必要な土台にあたる。
- 印象批評を「素人の感想」と考える。批評を創作に近づける主張として、意識的に選ばれた立場である。
- 2つを正反対の立場と考える。意味が外側にあるという前提を共有している。
- 1960年代の論争でどちらかが勝ったと考える。現在の研究は両方を使う。
批評はどこで行われてきたか
批評の場が変われば、書かれ方も変わる。
| 場 | 時期 | 特徴 |
|---|---|---|
| 新聞と雑誌 | 19世紀〜 | 短い。締切がある。読者が広い(03の領域) |
| 大学 | 19世紀後半〜 | 長い。注が付く。読者は同業者(07の領域) |
| 文芸誌 | 20世紀 | 両者の中間。同人的な結びつきが理論の色を作る(04の領域) |
| 叢書(そうしょ) | 20世紀後半 | 特定の叢書が、潮流の輪郭を作った |
← 横に動かして読めます →
⚡ なぜ場を知ると読みやすいか
- 論争の相手が誰かが分かる。多くの批評は、特定の相手への応答として書かれている。
- 分量の制約が、書き方を決めている。
- 想定された読者が違う(第10章)。
現在も残る2つの型
理論以前の2つの批評は、現在も形を変えて残っている。
| 型 | 現在の形 | 何が問題か |
|---|---|---|
| 実証批評の悪い形 | 作家の生涯で作品を説明する | テクストの記述を見ていない |
| 印象批評の悪い形 | 「美しい」「感動的だ」で終える | 検証できない |
← 横に動かして読めます →
⚡ 見分け方
- 根拠がテクストの外にあるか、内にあるか。
- 他人が確かめられるか。
- この2つを自問すれば、ほとんどの誤りは防げる(07の領域)。
⚠️ ただし、どちらも完全に否定はできない
- 伝記的な事実は、条件としては使える(本章)。
- 読んだときの感覚は、問いの出発点になる(07の領域の精読)。
- 問題は、それを結論にすることにあたる。
⚡ 第2章の通過チェック
- 実証批評がやってきたことを4つ言える
- 実証批評の蓄積が今も使われる理由を言える
- 印象批評の主張と、その批判を言える
- 2つの批評が共有していた前提を言える
- 1960年代の論争の対立点を、4つの面から言える
- 伝記的な事実を使ってよい3つの場合を言える
次章へ
次章から枠組みの中身に入る。まず形式への注目である。
意味は内容にあるのではなく、形の側にある。同じ出来事を語っても、語り方が違えば別の作品になる。そして芸術の役割は、見慣れたものを見慣れないものにすることだという主張が現れる。この発想が、以後のすべての枠組みの土台になる。