実践|第19章 読み比べ — 1つの作品を5つの枠組みで
この章の狙い
要点: 同じ作品が、枠組みによってどう違って見えるか。
フローベール『ボヴァリー夫人』(1857年、著作権消滅)を材料に、5つの枠組みで読む。そしてどこで枠組みどうしが交わり、どこで衝突するかを見る。
ここまでの章の総復習にあたる。
材料
扱う場面を1つに絞る。農業共進会の場面である。
⚡ 場面の内容(あらすじではなく設定)
- 町の広場で農業共進会が開かれ、壇上で式典の演説が行われている。
- 同じ時間に、建物の窓辺で、ロドルフがエマを口説いている。
- テクストは、演説の断片と、二人の会話を交互に置く。
- 賞の授与の言葉と、口説きの言葉が並ぶ。
この場面が選ばれる理由:5つの枠組みのすべてが、この1場面に当てられる。
1. 物語論で読む
⚡ 見えるもの
- 語りの速さ。この場面は場面にあたる(第5章)。物語内容の時間とテクストの時間がほぼ等しい。
- 交互配置。演説と会話の断片が何回、どの長さで交替するかを数えられる。
- 焦点化。エマの内面に入る箇所と、外から眺める箇所の切り替え。
- 語り手の位置。演説をそのまま引く箇所と、要約する箇所がある。
⚡ やること
- 切り替えの位置を全部拾い、表にする。
- 各断片の長さ(行数)を測る。
- 切り替えの頻度が、場面の進行とともに変化するかを見る。
結論の形:「切り替えは前半では◯行おき、後半では◯行おきになり、加速する。」——検証できる記述にあたる。
2. 記号論で読む
⚡ 見えるもの
- 2つの言葉が、どちらも決まり文句でできていること(第9章)。
- 式典の言葉が運ぶ第二の層。進歩・農業・国家。
- 口説きの言葉が運ぶ第二の層。運命・魂・宿命。
- 並置によって、どちらの言葉も「中身がない」ことが露呈する。
⚡ やること
- 両方の言葉から、決まり文句を拾って一覧にする。
- 同じ語が両方に出てくるかを確かめる。
- 決まり文句の密度を比べる。
結論の形:「両者は語彙の水準で共通する語を◯語共有している。」
3. 社会批評で読む
⚡ 見えるもの
- 式典が、何を称揚しているか(第8章)。農業の生産と、地方の名士の権威。
- 賞を受ける人物と、受けない人物。
- エマとロドルフの階層。地主と医者の妻。
- この場面が、七月王政期の地方社会の何を示しているか(03の領域)。
⚡ やること
- 式典で言及される職業・生産物・賞を拾う。
- 登場する人物の階層を一覧にする。
- 当時の地方の行事について、史料で確かめる(03・07の領域)。
結論の形:「式典は生産と秩序を称揚し、同じ場所で秩序の逸脱が進行している。」
4. ジェンダーの批評で読む
⚡ 見えるもの
- 語りの視点と、描写の対象のずれ(第13章)。エマの内面が語られながら、エマが眺められてもいる。
- 口説きの言葉が、エマに何を提供しているか。
- 式典の壇上に誰が立っているか。
- エマの発話量と、ロドルフの発話量の差。
⚡ やること
- 二人の発話の行数を数える。
- エマの内面が語られる箇所と、外から描写される箇所を数える。
- 当時の小説の一般的な形と比べる(第13章の5段階目)。
結論の形:「エマの発話は◯行、ロドルフは◯行。内面が語られるのはエマのみで、しかし身体の描写もエマに集中する。」
5. 生成研究で読む
⚡ 見えるもの
- この場面の草稿が大量に残っている(第16章)。
- 交互配置が、最初からあったのか、推敲の過程で作られたのか。
- 削られた語。説明的な語が消えていく方向(第16章)。
- 演説の文言が、どう変えられたか。
⚡ やること
- 草稿の公開状況を確かめる(07の領域)。
- 段階を並べ、差を記述する。
- 差を分類する。語彙・構文・内容。
結論の形:「下書きでは◯◯と書かれていた箇所が、刊行版では削られている。削除は説明を減らす方向に一貫する。」
どこで交わり、どこで衝突するか
| 組み合わせ | 関係 |
|---|---|
| 物語論 × ジェンダー | 交わる。視点の配分が、両方の分析の中心にある |
| 記号論 × 社会批評 | 交わる。決まり文句が運ぶ価値観は、社会の側から説明できる |
| 物語論 × 社会批評 | 並行する。構造の分析と条件の分析は、直接には結びつかない |
| 生成研究 × 受容 | 衝突しうる。草稿は読者が読まないもの(第16章) |
| 記号論 × 生成研究 | 交わる。決まり文句の削除の跡を追える |
⚡ 組み合わせるときの原則
- 主となる枠組みを1つ決める。
- 補助を1つまで。3つ以上混ぜると、術語が衝突する(第1章)。
- 交わる組み合わせを選ぶ。並行する2つを並べても、論が2本になるだけにあたる。
- 衝突する組み合わせを使うなら、衝突そのものを論点にする。
5つを並べて分かること
⚡ 共通して指摘されること
- どの枠組みからも、「2つの言葉の並置」が中心の技法として浮かび上がる。
- 並置が何をしているかの説明が、枠組みごとに違う。
- 技法の指摘は共通し、意味づけが分かれるという構図になる。
⚠️ ここから言えること
- 枠組みは、見えるものを変えるが、テクストの記述そのものを変えるわけではない。
- したがって、記述を先に固めることが、どの枠組みでも共通の土台になる(07の領域)。
- 枠組みの選択は、記述のあとに来る。
- これが第1章で述べた「問いが先、枠組みが後」の具体的な意味にあたる。
6つ目の枠組みを足すなら
この場面には、他の枠組みも当てられる。
| 枠組み | 何が見えるか |
|---|---|
| 受容理論(第10章) | 読者は2つの言葉を同時に追わされる。その負荷そのものが効果にあたる |
| 脱構築(第11章) | 式典の言葉と口説きの言葉のどちらが「本物」かが決められない。優劣が崩れる |
| 文化研究(第15章) | 式典という行事の形式を、当時の他の記録と比べる |
| 文学史の理論(第12章) | この場面が、当時の小説の技法の中でどれだけ新しかったか |
⚡ それでも5つに絞った理由
- 枠組みを増やすほど、1つあたりが浅くなる。
- レポートでは主1つ、補助1つまで(第1章)。
- この章は「差が見える」ことが目的なので5つ並べたが、実際に書くときは絞る。
場面選びの基準
読み比べに向く場面には条件がある。
⚡ 4つの条件
- 1. 技法がはっきりしている。交互配置、視点の切り替え、時間の飛躍など。
- 2. 社会的な内容を含む。職業・階層・金・制度。
- 3. 人物の関係が動く。関係の変化がある。
- 4. 短い。2〜4ページ。長いと、記述だけで紙幅が尽きる。
⚡ 他に向く場面の例
- 『赤と黒』の、主人公が上流の家に入る場面(03の領域と接続する)。
- 『ゴリオ爺さん』の、下宿の食卓の場面(第8章)。
- 『脂肪の塊』の、2つの食事の場面(第4章)。
- いずれも公有の作品にあたる。
⚡ 第19章の通過チェック
- この場面が5つの枠組みすべてに当てられる理由を言える
- 物語論で数えるものを3つ言える
- 記号論で拾うものを言える
- 社会批評で確かめるものを3つ言える
- ジェンダーの批評で数えるものを3つ言える
- 生成研究で並べるものを言える
- 交わる組み合わせと並行する組み合わせを、それぞれ2つ言える
- 5つに共通して浮かび上がるものを言える
次章へ
最終章は卒論で理論を使うである。枠組みをどう選び、どう書き、どこで失敗するか。
07の領域が扱った論の立て方の上に、この教材の内容をどう載せるか。具体的な手順と、実際によく起きる失敗を並べる。