19世紀|第9章 印象派 — 光と都市、制度の外へ
この章の狙い
要点: 制度の外に、自分たちで展覧会を作る。
光と色を、目に映るとおりに描く。そしてサロンではなく、自分たちの展覧会で発表する。制度の外に発表の場を作るという行為が、ここで組織的に行われた。同時期の文学の同人誌と同じ構図にあたる(08の領域)。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1860年代 | 若い画家たちがカフェに集まり、議論する |
| 1870〜1871年 | 普仏戦争とコミューン。画家たちが各地に散る(03の領域) |
| 1872年 | モネが港の朝の風景を描く。題名が後の呼び名の由来になる |
| 1874年 | 第1回の展覧会。批評家の揶揄(やゆ)から「印象派」の語が広まる |
| 1874〜1886年 | 全8回の展覧会が開かれる |
| 1870年代 | 画商が作品を扱い、制度の外の市場ができる |
| 1880年代 | 参加者の方向が分かれ、集団が緩む |
| 1886年 | 最終回。点描の作品が出品される(第10章) |
何が新しかったか
⚡ 描き方
- 戸外で仕上げる。下絵だけでなく、完成まで屋外で描く例が増える(第7章)。
- 筆触(ひっしょく)を残す。混ぜずに並べた色が、離れて見ると混ざる。
- 輪郭を強調しない。形が光と大気の中に溶ける。
- 影に色がある。黒ではなく、補色を使う。
- 同じ対象を、時刻と季節を変えて繰り返し描く。光の変化そのものが主題になる。
⚡ 主題
- 同時代の都市。大通り、駅、カフェ、劇場(第12章のパリ大改造と直結する)。
- 余暇。舟遊び、ダンス、行楽地。
- 郊外。鉄道で行ける範囲の風景(03の領域)。
- 室内の私的な場面。
- 歴史も神話も宗教もない。主題の序列の外に出た(第4章・第8章)。
⚠️ 「印象派」という語
- 批評家の揶揄から広まった名である(第1章の様式名の注意)。
- 当人たちは別の名を用いていた時期がある。
- 参加者の作風は大きく違う。1つの様式としてまとめすぎない。
制度の外に出る
⚡ 1874年の展覧会の意味
- 共同の組織を作り、自前で会場を借りて開いた。
- 審査がない。参加者が自分で出品を決める。
- 入場料と目録の販売で費用をまかなう。
- サロンに落ちたから開いたのではなく、サロンとは別の場を作った。
- これは文学の同人誌と同じ構図にあたる(08の領域の場)。
⚡ 画商の役割
- サロンの入選が売り上げを決める仕組みの外に、画商を通じた市場ができる。
- 画商が作品を買い取り、個展を開き、批評家に働きかける。
- 画家は注文ではなく、描いてから売る形になる。
- この変化が、画家の自由度を広げると同時に、市場への依存を生む(08の領域)。
技術と科学の条件
⚡ 可能にしたもの
- 携行できる絵具(第7章)。
- 新しい顔料。明るい色が安定して手に入るようになった。
- 鉄道。郊外と海辺へ日帰りで行ける(03の領域)。
- 色彩についての当時の学説。補色と対比の理論が知られていた。
- 写真(第13章)。記録の役割を写真が担うことで、絵画が別の方向へ向かったという議論がある。
⚠️ 技術決定論にしない
- 条件が可能にしたことと、それを選んだこととは別である。
- 同じ条件の下で、まったく違う絵を描いた画家もいる。
- 条件は説明の一部であって、全部ではない(08の領域)。
批評と受容
| 時期 | 受け止められ方 |
|---|---|
| 1870年代 | 嘲笑(ちょうしょう)と非難が多い。未完成だと言われた |
| 1880年代 | 一部の批評家と画商が支持する |
| 1890年代 | 市場での価格が上がる |
| 20世紀 | 正典になる。美術館の中心に置かれる(08の領域) |
| 現在 | 最も広く知られた様式の一つ。当初の挑発性が見えにくくなっている |
⚡ この変化そのものが論点になる
- 制度の外から始まったものが、正典になるという過程(08の領域)。
- 現在の「見やすさ」は、受容の歴史の産物にあたる。
- 当時なぜ非難されたのかを知ると、作品の見え方が変わる。
文学とのつながり
⚡ この時期の作品を読むときに要る背景
- 同人と小集団 — 画家の集団と、詩人の集団は、同じ時期に同じ構図で動いている(02・08の領域)。
- 都市の主題 — 大通り、カフェ、駅、群衆。詩と小説と絵画が同じ都市を扱う(第12章)。
- 知覚の記述 — 光と大気をどう記述するか、という問題が両分野にある。ただし「印象派的な文体」という言い方は根拠を要する(08の領域)。
- 画商と出版社 — 制度の外に市場を作るという構図が共通する(08の領域の場)。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- 印象派を、サロンに落ちた画家の集まりと考える。別の場を自分たちで作った運動にあたる。
- 「印象派」を統一した様式と考える。参加者の作風は大きく違う。
- 戸外制作を印象派の発明と考える。19世紀前半に始まっている(第7章)。
- 現在の人気を、当初からのものと考える。1870年代には嘲笑された。
画材と屋外制作
⚡ 技術的な条件
- 絵具を金属の管に入れて持ち運べるようになった。それ以前は、その場で練る必要があった。
- 携帯できる画架(がか)が普及する。
- 鉄道で郊外へ日帰りできるようになった(第12章)。
- これらがそろって、屋外で仕上げるという制作が可能になる。
⚠️ 技術だけで説明しない
- 条件が整ったことと、そう描こうとしたことは別にあたる。
- 同時代に、屋外で描かない画家も多くいた。
- 技術の条件は、可能にしただけであって、原因ではない。
- この区別は、文学の分析でも同じにあたる(08の領域)。
画商と展覧会
⚡ 発表の仕組みが変わる
- 画商が作品を買い取り、店で見せて売る。
- 公式の展覧会を経ずに評価が作られる道ができた。
- 画商が特定の画家を継続的に支援する。
- 画集と目録が作られ、記録が残る。
⚡ 文学との対応
- 出版社と画商が、同じ位置にある(08の領域)。
- 雑誌の批評が、評価を作る。
- 少数の支持者から始まり、後から広く認められるという経路が、両分野で同じ形を取る。
- 売れなかった時期の記録が、後の評価の物語に使われる。その物語自体を疑う必要がある(08の領域)。
⚡ 第9章の通過チェック
- 描き方の新しさを5つ言える
- 主題の特徴を4つ言い、主題の序列との関係を言える
- 1874年の展覧会の意味を4つ言える
- 画商の役割と、それがもたらした変化を言える
- 技術と科学の条件を4つ言い、技術決定論にしない理由を言える
- 受容の変化を、時期を追って言える
- 画家の集団と詩人の集団の構図の共通点を言える
次章へ
次章は世紀末である。印象派の後に、複数の方向が同時に現れる。
画面の構成を追求する方向、内面と象徴を描く方向、装飾と工芸を重んじる方向。そして文学の象徴主義と、美術の象徴主義が、同じ語で呼ばれる。その関係を確かめる。