20世紀|第14章 20世紀初頭の前衛 — 色と形の解放
この章の狙い
要点: 色が対象から離れ、形が視点から離れる。
わずか10年ほどのあいだに、絵画が自然の再現から大きく離れた。そしてその動きに、詩人が批評家として関わっている。文学と美術が、同じ場で同じ問題を論じていた時期にあたる。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1900年代初頭 | セザンヌの仕事が若い画家に注目される(第10章) |
| 1905年 | 強い色彩の作品が展覧会で「野獣」と評される |
| 1906年 | セザンヌの死去。翌年に回顧展が開かれる |
| 1907年 | ピカソが視点を分解した大作を制作する |
| 1908〜1914年 | キュビスムの展開。複数の視点を1つの画面に置く |
| 1909年 | ロシア・バレエ団のパリ公演が始まる(第16章) |
| 1912年 | 貼り付けの技法が用いられる。現実の断片が画面に入る |
| 1913年 | アポリネールが新しい絵画についての著作を刊行 |
| 1914年 | 第一次世界大戦(03の領域)。多くの活動が中断する |
⚠️ この章では図版を示していない
- 20世紀の美術作品は著作権が存続しているものが多い(第1章)。
- 作品名を示すので、美術館の公開画像で確かめる(第20章)。
セザンヌの位置
⚡ なぜ出発点とされるか
- 自然を、円筒・球・円錐といった形として捉えようとしたという趣旨の発言が伝えられている。
- 視点が1つに固定されていない。同じ画面の中で、対象ごとに見る角度が違う。
- 色の面を並べることで、奥行きを作る。線遠近法によらない。
- 筆の跡が構造として残る。
- これらが、次の世代に「絵画は何をするものか」を問い直させた。
⚠️ 「近代絵画の父」という呼び名
- 後の時代が与えた位置づけにあたる(第1章の様式名の注意)。
- 本人がそう主張したのではない。
- 受容史の産物として扱う(08の領域)。
色の解放
⚡ 1905年に何が起きたか
- 展覧会に出品された作品が、強い色彩で構成されていた。
- 対象の色ではなく、画面の効果として色が選ばれている。
- 批評家が「野獣」と評し、それがそのまま呼び名になった(第1章)。
- 集団としての活動は短く、数年で各自が別の方向へ進む。
形の解放
- 📘 キュビスム:対象を複数の視点から見た形に分解し、1つの画面に同時に置く方向のこと。1907年ごろから1914年ごろにかけて展開した。
⚡ 段階
- 初期 — 対象を面に分解する。色は抑えられる。
- 分析的な段階 — 分解が進み、対象が判別しにくくなる。
- 総合的な段階 — 現実の断片を貼り付ける。新聞紙、壁紙、布。
- 貼り付けの技法が重要にあたる。絵の具で描かれていないものが、画面の一部になる。
⚡ 何を問い直したか
- 1つの視点から見た像という、ルネサンス以来の前提(第3章)。
- 画面が窓であるという考え方。画面は、現実を覗く窓ではなく、物として扱われる。
- 絵画の材料そのもの。貼り付けは、材料を隠さない。
- これが20世紀の美術の出発点になる。
詩人と批評
⚡ アポリネールの役割
- 詩人でありながら、新しい絵画を擁護する批評を書いた(02の領域)。
- 1913年の著作で、当時の動向を整理して紹介した。
- 画家との交流があり、同じカフェと画室に出入りしていた。
- 詩の側でも、句読点を廃したり、文字を絵のように配置したりする試みを行った(07の領域)。
⚡ なぜ重要か
- 美術と文学が、同じ場で同じ問題を論じていた。
- 批評の言葉が、そのまま運動の主張になる。
- 後の時代の「宣言」の形式が、ここで整えられていく(第15章)。
舞台という交差点
⚡ ロシア・バレエ団の公演
- 1909年からパリで公演を行い、大きな影響を与えた。
- 音楽・舞踊・美術・衣裳を統合した。
- 画家が舞台美術と衣裳を手がけた。
- 作曲家が新作を書いた(第16章)。
- したがって、複数の分野の芸術家が1つの作品で協働する場になった。
文学とのつながり
⚡ この時期の作品を読むときに要る背景
- 視点の複数性 — 1つの対象を複数の角度から捉えるという発想は、同時期の小説の語りの実験と並行する(08の領域)。ただし影響関係は断定しない。
- 断片の貼り付け — 現実の断片をそのまま作品に入れるという方法は、引用とコラージュとして文学にも現れる(08の領域の間テクスト性)。
- 宣言という形式 — 新しい方向を、宣言文で表明する形が定着する(第15章、02の領域)。
- カフェと画室 — 詩人と画家が同じ場にいた。交流の記録が残っている場合は、影響関係を論じられる(07の領域)。
⚠️ この章で混同しやすい形
- セザンヌを「近代絵画の父」という呼び名で本質化する。後の時代が与えた位置づけにあたる。
- 「野獣」という呼び名を、当人たちの自称と考える。批評家の評から広まった。
- キュビスムを抽象絵画と考える。対象は残っており、それを分解して再構成する方向である。
- 貼り付けの技法を装飾と考える。画面が物であることを示す方法にあたる。
画商と収集家
⚡ 前衛はどう支えられたか
- 少数の画商が、売れない時期の作家を支えた。
- 外国の収集家が早い時期に購入している例が多い。
- 公的な制度は、しばらく前衛を認めなかった。
- したがって、評価は市場と批評の側で先に作られた(第9章と同じ構図)。
⚡ 文学との対応
- 小さな出版社と雑誌が、前衛の文学を支えた(08の領域)。
- 少部数で始まり、後から広く読まれるという経路。
- 同じ人物が、絵画と文学の両方を支援している場合がある。
- 第19章の型4が最もよく当てはまる時期にあたる。
外部からの図像の受容
⚡ 何が起きたか
- ヨーロッパの外の造形が、20世紀初頭の画家たちに影響を与えたとされる。
- 博物館と個人の収集を通じて見られた。
- 形の単純化と、正面性が参照された。
⚠️ この受容には問題がある
- 元の文脈から切り離して見ている。宗教と儀礼の中で使われていたものを、造形としてだけ扱った。
- 「原始的」という語で括った。この語は序列を含んでいる。
- 植民地の支配が、これらの物が運ばれた条件にあたる(03の領域)。
- したがって、この受容を単なる影響として書かない。どういう条件で見られたかを併記する(08の領域)。
⚡ 第14章の通過チェック
- セザンヌが出発点とされる理由を4つ言える
- 1905年に何が起きたかを言える
- キュビスムの3つの段階を言える
- キュビスムが問い直した前提を3つ言える
- アポリネールの役割と、その重要性を言える
- ロシア・バレエ団の公演が交差点になった理由を言える
- 視点の複数性を文学と結ぶときの注意を言える
次章へ
次章はダダとシュルレアリスムの美術である。大戦の後、芸術の前提そのものが疑われる。
既製の品を作品として提示する。偶然に任せて描く。夢を材料にする。そしてシュルレアリスムは、詩の運動として始まり、美術を巻き込んだ。文学と美術の関係が最も密接な運動にあたる。