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CHAPTER 4 地域 読む目安 約5分 / ⚡暗記ボックス 9

地域|第4章 アルジェリア戦争と文学

この章の狙い

要点: フランス本国にとっても、アルジェリアにとっても決定的な出来事である。

1954年から1962年まで。カミュの立場、ファノンの理論、そして本国の作家たちの分裂を扱う。

03の18章が政治の経過を扱う。この章は、それが文学に何をしたかを扱う。

アルジェリア戦争(1954〜1962年)をめぐる位置 出身と立場何をしたか カミュ アルジェリア生まれの フランス人。植民者の側 独立に賛成せず共存を主張。 1956年に休戦を呼びかけた ファノン マルティニック生まれ。 精神科医として赴任 独立運動に加わり、その 理論家になった 本国の作家 本国。当事者ではない 1960年に兵役拒否を支持する 宣言。文壇が真っ二つに割れた 本国が法律の上で「戦争」と認めたのは1999年。 それまでは「秩序維持の作戦」とされた。この呼び方自体が記憶の論点になる
アルジェリア戦争をめぐる立場

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経過

⊳ この節の問題を解く(2問・2枚)

出来事
1954年 武装闘争が始まる
1956年 モロッコとチュニジアが独立。アルジェリアだけが残る
1957年 首都での市街戦。拷問(ごうもん)の使用が問題になる
1958年 本国で政変。第五共和政へ(03の領域)
1960年 知識人による兵役拒否の権利を主張する宣言が出る
1961年 パリで、抗議した人々への弾圧が起きる
1962年 エヴィアン協定。独立

⚠️ 本国では長く「戦争」と呼ばれなかった

  • 公式には「秩序維持の作戦」とされた時期が長い。
  • フランスが法律の上で「戦争」と認めたのは1999年にあたる。
  • この呼び方の問題そのものが、記憶をめぐる論点になっている(08の領域)。

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カミュの立場

⊳ この節の問題を解く(1問)

どういう位置にいたか

  • アルジェリア生まれのフランス人。貧しい入植者の家庭に育った(10の18章)。
  • 1930年代から、植民地下の生活の困窮を報道で告発していた。
  • 独立には賛成せず、共存の道を主張した。
  • 1956年に休戦を呼びかけたが、どちらの側からも受け入れられなかった。

⚠️ カミュの発言をどう扱うか

  • 1957年のノーベル賞受賞時の発言が、独立運動への無理解として長く批判されてきた。
  • 一方で、発言の文脈をめぐる議論も続いている。
  • どちらの読みを取るにせよ、彼が植民者の側に属していたという条件を外さない。
  • この論点は08の領域のポストコロニアル批評で正面から扱われる。

作品の読み直し

  • 『異邦人』(1942年)でアラブ人が名前を持たないという点が、後の批評で繰り返し論じられてきた(10の18章、08の14章)。
  • この読み直しは、作品を否定するためではなく、何が書かれ何が書かれなかったかを見るためにあたる。
  • 後の世代の作家が、この作品に応答する形の小説を書いている。

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ファノンの理論

⊳ この節の問題を解く(2問・2枚)

フランツ・ファノン(1925-1961)

  • マルティニック生まれ。カリブ海の出身にあたる(第7章)。
  • 本国で医学を学び、精神科医としてアルジェリアに赴任した。
  • 独立運動に加わり、その理論家になる。
  • カリブ海出身者がアルジェリアの独立を理論化したという経路そのものが、この分野の特徴を示している。
著作
1952年 『黒い皮膚、白い仮面』 — 植民地状況における自己像を論じる
1961年 『地に呪われたる者』 — 脱植民地化の暴力を論じる

文学研究にとっての意味

  • 言語と自己像の関係を論じた部分が、第2章の問いに直結する。
  • 「支配者の言語を話すことは、その文化を引き受けることでもある」という指摘。
  • 08の領域のポストコロニアル批評の出発点の1つにあたる。
  • 文学作品ではないが、この分野を読むための基本文献である。

⚠️ ファノンを暴力の擁護者としてだけ読まない

  • 1961年の著作の一部だけが取り出されて論じられてきた。
  • 精神科医としての臨床の記述も含まれている。
  • 原典に当たる(07の領域)。

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本国の作家たちの分裂

⊳ この節の問題を解く(1問)

何が起きたか

  • 拷問の使用が明らかになり、知識人が態度の表明を迫られた。
  • 1960年に、兵役の拒否を支持する宣言が出され、多数の作家が署名した。
  • 署名した者が処分を受けた。
  • 一方で、フランスの統治の継続を支持する側の宣言も出た。
  • 同じ文壇が真っ二つに割れたという状況にあたる。

文学史としての意味

  • 作家が政治的な立場の表明を求められるという構図は、この時期に極まった。
  • これはドレフュス事件以来の構図の反復にあたる(03・02の領域)。
  • その後の作家の位置づけに、この時期の態度が影響している。

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記憶の問題

⊳ この節の問題を解く(1問・1枚)

戦後に起きたこと

  • 本国に引き揚げた入植者フランス側についたアルジェリア人移民として渡った人々それぞれ別の記憶を持つ。
  • 長く公的に語られなかった。教科書での扱いも限られていた。
  • 1990年代以降、記憶をめぐる作品と研究が増える。
  • 第10章の郊外の文学は、この記憶の延長線上にある。

⚠️ 記憶の複数性を1つにまとめない

  • 「アルジェリア戦争の記憶」は1つではない。
  • 誰の記憶かを必ず特定する。
  • これは08の領域の指摘そのものにあたる。

⚠️ この章で混同しやすい形

  • 本国で当時「戦争」と呼ばれていたと考える。法律上の承認は1999年にあたる。
  • カミュをアルジェリアの作家として扱う。植民者の側に属する。
  • ファノンをアルジェリア出身と考える。マルティニック生まれである。
  • ファノンを暴力の擁護者としてだけ読む。原典に当たる。

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本国の側の作品

⊳ この節の問題を解く(1問)

戦争を本国の側から書いた作品

  • 徴兵された若者の経験を書いた小説がある。
  • 拷問を告発した記録が、当時発禁になった例がある。
  • 時間をおいてから書かれた作品のほうが多い。同時代には書きにくかった。
  • これは第二次大戦の記憶と同じ構図にあたる(03の領域)。

⚠️ 本国の側の作品だけで論じない

  • 同じ出来事について、両側から書かれた作品がある。
  • 並べて読むと、何が書かれ何が書かれないかが見える(08の領域)。
  • これはレポートの構成として組み立てやすい。

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引き揚げた人々

1962年以降

  • アルジェリアに住んでいたヨーロッパ系の住民が、大量に本国へ移った。
  • フランス側についたアルジェリア人は、多くが取り残された。
  • 本国に渡った者も、長く不安定な地位に置かれた。
  • この2つの集団の記憶が、それぞれ別に書かれてきた。

⚠️ どの集団の記憶かを特定する

  • 「引き揚げ」と一括りにすると、この差が消える。
  • 移民として渡った人々(第10章)とも、また別の集団にあたる。
  • 記憶は複数であり、しばしば互いに矛盾する。

第4章の通過チェック

  • 戦争の期間と、独立の年を言える
  • 本国で長く「戦争」と呼ばれなかったことと、その承認の年を言える
  • カミュの位置と、批判されてきた点を言える
  • ファノンの出身と経歴、2つの著作を言える
  • 本国の文壇が割れた経緯を言える
  • 記憶の複数性を、立場を挙げて説明できる

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次章へ

次章はサハラ以南アフリカである。

マグレブとは条件が違う。独立は交渉によるものが多く、1960年に多数の国が同時に独立した。そして口承(こうしょう)の伝統が、書かれた文学とどう結びつくかという、この地域に固有の問題がある。

読了の記録はこの端末の中だけに残ります。

📗 読み終えたら、この章の問題で理解を確かめましょう。

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