地域|第10章 移民と郊外の文学
この章の狙い
要点: 地理的には本国の中の話である。
だが扱う問題は、この教材のほかの章と地続きにあたる。マグレブから来た人々の子の世代が、本国で書き始める。第4章の記憶が、ここに引き継がれる。
背景
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1950〜60年代 | 復興と成長のための労働力として、マグレブからの移民が増える(03の領域) |
| 1970年代 | 家族の呼び寄せが進む。定住が始まる |
| 1970〜80年代 | 郊外の大規模な集合住宅に集中して居住が進む(05の領域) |
| 1983年 | 平等を求める大規模な行進が行われる |
| 1980年代 | 移民の子の世代による作品が現れ始める |
| 2005年 | 郊外で大規模な騒擾(そうじょう)が起きる |
- 📘 郊外:ここでは、都市の周縁に作られた大規模な集合住宅の地区を指す。住民の多くが移民とその子孫にあたる。単に「都市の外」という意味ではない。
⚠️ 語の意味に注意する
- フランス語のこの語は、日本語の「郊外」と含みが違う。
- 社会的な位置を示す語として使われている。
- 論じるときは、この含みを最初に説明する(07の領域)。
第1世代と第2世代
⚡ 条件が違う
- 第1世代 — 移民として来た人々。多くは労働のために単身で来た。フランス語が第二言語にあたる。
- 第2世代 — フランスで生まれ育った。フランス語が母語である。フランス国籍を持つ。
- 第2世代にとって、言語の選択という問題は生じない(第2章)。
- 代わりに「フランス人として扱われるか」という問題が中心になる。
⚠️ これが第2章の問いの反転にあたる
- マグレブの作家は「なぜ支配者の言語で書くのか」を問われた。
- 第2世代は「フランス語が母語なのに、なぜ外国人として扱われるのか」を問う。
- 同じ歴史の別の局面である。
1980年代の作品
⚡ メフディ・シャレフ(1952- )
- 1983年の小説が、この流れの最初期の作品として扱われる。
- 郊外の若者の日常を、話し言葉に近い文体で書く。
- 後に映画監督になった。05の領域と接続する。
⚡ アズーズ・ベガグ(1957- )
- 1986年の小説が代表作にあたる。子どもの視点から、仮設の居住地区での生活を書く。
- 社会学者でもあり、後に閣僚を務めた。
- 学校教育と言語を主題の中心に置く。
⚠️ この時期の呼び名
- 当時、この作品群を指す呼び名が使われた。移民の子の世代を指す俗語に由来する。
- 当事者から、その枠に括られること自体への批判が出た。
- したがって、この呼び名を無批判に使わない。使うなら由来と批判を併記する。
2000年代以降
⚡ フェイザ・ゲーヌ(1985- )
- 2004年の小説が代表作にあたる。十代の少女の一人称。
- 口語と若者言葉を全面的に用いた文体。
- 広く読まれ、多くの言語に翻訳された。
- 1980年代の作品と比べると、主題が親の世代の記憶から、現在の生活そのものへ移っている。
⚡ 現在の状況
- 「移民の文学」という括りへの拒否が、書き手の側から繰り返し表明されている。
- 主題も形式も多様化しており、1つの枠に収まらない。
- 一方で、出版と批評の側がその枠で受け取り続けるという構図がある。
- この受け取られ方そのものを分析の対象にできる(08の領域)。
記憶の継承
⚡ 第4章とのつながり
- 親の世代が語らなかったことを、子の世代が書くという構図がある。
- アルジェリア戦争の記憶が、家庭の中の沈黙として現れる。
- フランス側についたアルジェリア人とその家族の問題も、この文脈で扱われる。
- 「語られなかったことをどう書くか」という形式上の問題が生じる。
⚡ 形式に現れること
- 断片的な構成。まとまった物語として書けない。
- 証言の引用と、想像による補い。
- 語り手が調べていく過程そのものを書く。
- これは10の領域の記憶をめぐる作品と、形式の面で共通する。
分析でどう使うか
⚡ 扱いやすい論点
- 言語の層。標準的なフランス語、口語、若者言葉、アラビア語からの借用が、1つのテクストの中でどう配置されているか。数えられる。
- 空間の描写。建物、階段、広場。どこが描かれ、どこが描かれないか。
- 学校の場面。言語と社会的な位置が交差する場所にあたる。
- 語り手の年齢と視点。子どもの視点が多い理由。
⚠️ やってはいけない形
- 作品を社会の記録としてだけ読む。形式の選択を見る(08の領域)。
- 作者の出自から主題を推定する。テクストから始める。
- 「移民の文学」という枠を前提にする。その枠自体を問う。
⚠️ この章で混同しやすい形
- 第2世代に言語の選択の問題があると考える。フランス語が母語にあたる。
- フランス語の「郊外」を、日本語の郊外と同じ意味で使う。社会的な位置を示す語である。
- 1980年代の呼び名を無批判に使う。当事者からの批判がある。
- 作品を社会の記録としてだけ読む。形式の選択を見る。
出版と受け取られ方
⚡ この分野に固有の構造
- 作品が「社会問題の証言」として読まれやすい。
- 書評が、文学としてではなく現象として扱う場合がある。
- 作家が、出身と結びつけて紹介される。
- この受け取られ方そのものへの拒否が、書き手の側から繰り返し表明されている。
⚡ 分析の対象にできる
- 書評を集めて、何が論じられているかを分類する。
- 作品の紹介文に、作家の出身がどう書かれているかを見る。
- 同時期の本国出身の作家の紹介文と比べる。
- これは08の領域の受容理論と正典の問題にあたる(第11章)。
音楽と映画
⚡ 文字以外の経路が大きい
- 1980年代以降、この層から音楽と映画が広く出た。
- 文学より先に、広い層に届いた。
- 作品の中に、音楽が主題として繰り返し現れる。
- 05の19章の型で扱える。言及・描写・経験のどれかにあたる。
⚠️ 文学だけを見ない
- この分野では、表現の中心が文字にない時期がある。
- 08の領域の文化研究の枠組みが有効にあたる(08の15章)。
- ただし卒論で扱うなら、対象を1つの媒体に絞る。
⚡ 第10章の通過チェック
- 移民が増えた時期と、定住が進んだ経緯を言える
- 「郊外」という語の含みを説明できる
- 第1世代と第2世代の条件の違いを言える
- 第2章の問いがどう反転しているかを説明できる
- 1980年代と2000年代の作品の主題の違いを言える
- 記憶の継承が形式にどう現れるかを4つ言える
次章へ
次章は理論との接続である。
08の文学理論のどの枠組みが、この分野で使えるか。ポストコロニアル批評はもちろん、正典の問題、場の理論、ジェンダーの批評も効く。そして「フランコフォニー」という枠組み自体への批判——2007年の宣言を扱う。