近世|第6章 18世紀(1)— 啓蒙という枠組み
この章の狙い
要点: 啓蒙とは、特定の学説の名前ではなく、態度の名前である。理性を使って、権威と伝統と迷信を批判するという姿勢を指す。
そしてその姿勢自体が、20世紀に問い直される。理性による批判は、なぜ新しい支配を生んだのか。この問いは第18章と第20章で扱う。まずこの章で、18世紀の枠組みを押さえる。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1690年代 | イギリスの経験論と政治思想が流入する |
| 1715年 | ルイ14世の死。摂政期に議論が緩む |
| 1721年 | モンテスキュー『ペルシア人の手紙』 |
| 1734年 | ヴォルテール『哲学書簡』(イギリスを範に取る) |
| 1748年 | モンテスキュー『法の精神』 |
| 1751〜1772年 | 『百科全書』の刊行 |
| 1755年 | ルソー『人間不平等起源論』 |
| 1759年 | ヴォルテール『カンディード』 |
| 1762年 | ルソー『社会契約論』『エミール』 |
| 1763年 | ヴォルテール『寛容論』 |
| 1784年 | ドイツで「啓蒙とは何か」が問われる |
啓蒙とは何か
- 📘 啓蒙:理性を用いて、受け継がれてきた権威・伝統・迷信を批判し、判断を自分で行おうとする態度のこと。フランス語では「光」を意味する語の複数形で呼ばれる。
⚡ 共通する4つの姿勢
- 1. 批判 — あらゆる主張を、理性の前に引き出して検討する。権威だからという理由では認めない。
- 2. 公開 — 議論は公衆の前で行われるべきだとする。世論という新しい場が前提になる(フランス史の領域)。
- 3. 有用性 — 知は人間の生活を改善するためにある。『百科全書』が技術を扱った理由にあたる。
- 4. 寛容 — 信仰の違いを理由に人を罰することを退ける。
⚠️ 啓蒙は一枚岩ではない
- 無神論者から、理神論者、信仰を保つ者まで幅がある。
- 政治的にも割れている。王政の改革を望む者と、より根本的な変革を考える者がいた。
- ルソーは他の思想家と激しく対立した(第8章)。
- 「啓蒙思想家」という一括りは、後の時代が作った枠組みにあたる。
何を批判したのか
| 対象 | 批判の中身 |
|---|---|
| 宗教的な不寛容 | 信仰の違いで人を罰することの不当さ。ナントの王令の取り消しが具体例として繰り返し参照される |
| 恣意的(しいてき)な逮捕 | 王の命令で裁判なしに投獄できる仕組み |
| 検閲 | 出版の自由を求める |
| 特権 | 生まれによって扱いが変わることへの疑い |
| 迷信 | 奇跡や魔女といった観念の批判 |
| 拷問と刑罰 | 見せしめとしての刑罰への批判 |
⚡ 具体的な事件が議論を動かした
- 冤罪(えんざい)事件が、寛容をめぐる議論の出発点になった。ヴォルテールは実際の裁判に介入し、名誉の回復を求めた。
- 抽象的な原理から始まったのではなく、事件から始まったという点が重要にあたる。
- この形式は、19世紀末のドレフュス事件で反復される(フランス史の領域を参照)。
『百科全書』
- 📘 『百科全書』:ディドロとダランベールが中心となって編集された事典。本文編は1751年から1765年にかけて刊行された。学問だけでなく技術と職人の仕事を大きく扱った。
⚡ なぜ思想史上重要か
- 知を体系として並べ直した。神学を頂点とする中世の秩序ではなく、人間の能力を基準に分類した。
- 技術を知として扱った。職人の手仕事を図版とともに記述した。知は書物の中だけにあるのではないという主張になる。
- 項目間の参照を使って、直接は書けないことを示した。検閲を避けるための技法にあたる。
- 多数の執筆者による共同事業であり、統一した学説はない。啓蒙が運動であって学説でないことを、形の面から示している。
⚠️ 『百科全書』を単一の思想と読まない
- 執筆者の立場はさまざま。項目によって主張が食い違うことがある。
- 穏健な記述と急進的な記述が混在している。
- どの項目を誰が書いたかが、研究上の重要な問題になっている。
自然と自然権
18世紀の「自然」は、批判のための概念である。
⚡ どう使われたか
- 社会以前の状態を仮に想定し、そこから現在の社会が正しいかを測る。
- 自然権 — 人が生まれながらに持つとされる権利。制度によって与えられるのではないとする点が要点にあたる。
- したがって「自然に反する」は、強い批判の言葉になる。
- この用法が、1789年の人権宣言に流れ込む(第9章)。
⚠️ 現代の「自然」と混同しない
- 環境や生態系の意味ではない(第1章の概念の履歴)。
- 社会と対立させられる項として使われている。
- 「自然状態」は歴史的な事実の主張ではなく、思考のための仮定にあたる。思想家によってその中身も違う。
進歩という考え方
- 📘 進歩:人類の知識と社会が、時間とともによりよくなっていくという考え方のこと。18世紀に強く主張されるようになった。
⚡ 何を前提にしているか
- 知は蓄積する。世代を越えて積み上がる。
- 教育によって人は変わる。したがって社会も変えられる。
- 歴史には方向がある。
- この3つが、19世紀の実証主義と社会主義に受け継がれる(第10章)。
⚠️ 20世紀の批判
- 進歩の観念そのものが、20世紀に強く疑われる。二度の大戦と植民地支配の経験による。
- 「誰にとっての進歩か」という問いが立てられる(第19章・第20章)。
- 啓蒙の批判が、なぜ新しい支配を生んだのかという問いが、20世紀後半の中心的な主題の一つになる。
文学とのつながり
⚡ 18世紀の作品を読むときに要る背景
- 哲学的な物語 — 検閲を避けつつ議論を届ける形式。『カンディード』が代表にあたる。
- 書簡体 — 外から社会を見る視点を作る装置として使われる。『ペルシア人の手紙』。
- 「自然」という語 — 作品に出てきたら、批判の言葉として使われていないかを疑う。
- 形式そのものが主張になる — 論文ではなく物語で書くことに意味がある。読者を広げるためであり、検閲を避けるためでもある。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- 啓蒙を1つの学説と考える。態度の名前であり、内部の立場は割れている。
- 啓蒙思想家がみな無神論だったと考える。理神論者も、信仰を保つ者もいた。
- 啓蒙思想が王政の廃止を主張したと考える。多くはそこまで主張していない(フランス史の領域を参照)。
- 18世紀の「自然」を環境の意味で読む。社会と対立させられる批判の概念である。
誰が担い、どこで議論したか
啓蒙は書物だけの運動ではない。議論の場があった。
| 場 | 働き |
|---|---|
| サロン | 貴族・文人・学者が交わる。女性が主催することが多い(フランス史の領域) |
| カフェ | 都市の中間層が新聞を読み、議論する |
| アカデミー | 地方都市にも作られ、懸賞論文が議論を広げた |
| 書簡 | 国境を越えた文通が、思想の流通路になった |
| 書物の密輸 | 国外で印刷された禁書が持ち込まれた |
⚡ 担い手の職業
- 多くは聖職者でも大学人でもない。文筆で生きる人々、法曹、医師、技術者。
- 大学の外で思想が作られたという点が、中世との決定的な違いにあたる(第2章)。
- したがって読者を意識した書き方になる。形式の工夫が思想の一部になる。
啓蒙の外側
⚠️ 同時代に別の思考もあった
- 民衆の信仰と慣習は、啓蒙の議論とは別の層で続いていた。
- 神秘的・秘教的な潮流も18世紀に広がっている。理性の時代という像は一面的にあたる。
- 啓蒙への反発も同時代からあり、後の保守主義につながる(第9章)。
- 「18世紀=理性」という要約は、後の時代が作った枠組みである。
⚡ レポートで扱うときの注意
- 「啓蒙思想では〜」と一括りにしない。誰の主張かを示す。
- その主張がどの場で、誰に向けて書かれたかを確かめる。
- 検閲の条件を踏まえる。書かれた形が、書きたかった形とは限らない(第7章)。
⚡ 第6章の通過チェック
- 啓蒙に共通する4つの姿勢を言える
- 啓蒙が一枚岩でない理由を3つ言える
- 批判の対象を5つ言える
- 議論が事件から始まったことを、例を挙げて説明できる
- 『百科全書』が思想史上重要な理由を4つ言える
- 18世紀の「自然」がどう使われたかを説明できる
- 進歩の観念が前提にしている3つを言える
次章へ
次章は18世紀(2)— 法・寛容・百科全書である。個々の思想家が何を主張したかに入る。
モンテスキューの法の考え方、ヴォルテールの寛容論、ディドロの唯物論。この3人だけでも立場はかなり違う。啓蒙が運動であって学説ではないことが、具体的に見えてくる。