19世紀|第11章 19世紀後半 — 科学・決定論・その反動
この章の狙い
要点: 19世紀後半は、科学の権威が最も高まった時期である。遺伝と環境が人間を決めるという考え方が広まり、小説がそれを方法として取り込んだ。
そして世紀の終わりに、この枠組みへの反動が始まる。意識も生も、法則では捉えきれないのではないか。その反動の中心に、次章のベルクソンが現れる。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1859年 | 進化についての著作がイギリスで刊行される |
| 1860年代 | 実験医学の方法が定式化される |
| 1860年代 | テーヌが「種族・環境・時代」という枠組みを示す |
| 1863年 | 宗教を歴史の対象として扱う著作が論争を呼ぶ |
| 1870年代 | 自然主義の小説が方法を宣言する(文学史の領域) |
| 1880年代 | 心理学が実験の学問として組織される |
| 1889年 | ベルクソンの最初の著作(第12章へ) |
| 1890年代 | 科学の限界をめぐる議論が広がる |
| 1900年前後 | 象徴主義と、内面への関心が強まる |
決定論という枠組み
- 📘 決定論:あらゆる出来事は、先行する原因によって必然的に決まっているとする考え方のこと。人間の行動もその例外ではないとすると、自由意志の位置が問題になる。
⚡ 19世紀後半に広まった形
- 遺伝 — 個人の性質は先祖から受け継がれる。
- 環境 — 生活の条件が人を作る。
- 時代 — その時代の一般的な精神が個人を規定する。
- この3つの組み合わせで、人間と作品を説明しようとする方法が広く受け入れられた。
- 📘 実験の方法:仮説を立て、条件を制御して確かめるという手続きのこと。医学と生理学で定式化され、他の領域にも広げられた。
⚠️ 文学への持ち込みをどう評価するか
- 小説を「実験」として構想する主張が19世紀後半に現れた(文学史の領域を参照)。
- 人物を条件に置き、何が起きるかを見るという発想である。
- ただし小説では、条件も結果も作者が書いている。実験の比喩がどこまで成り立つかは、当時から論じられてきた。
- 比喩として読むか、方法の主張として読むかで、作品の評価が変わる。
科学と宗教
この時期、宗教を歴史の対象として扱う研究が現れ、大きな論争を呼んだ。
⚡ 何が争点だったか
- 信仰の対象を、歴史の資料として分析してよいのか。
- 科学的な説明は、宗教的な意味を消してしまうのか。
- この論争が、政教分離をめぐる政治的な対立とも重なった(フランス史の領域を参照)。
- 知の領域の線引きそのものが問われた時期にあたる。
科学の限界という問い
19世紀末になると、科学の枠組みそのものへの問いが立てられる。
| 問い | 内容 |
|---|---|
| 法則は発見されるのか、作られるのか | 科学の法則は自然の中にあるのか、それとも便利な約束事なのか |
| 意識は測れるのか | 心的な現象を数量として扱えるのか |
| 予測できないものはないか | 生命と歴史は、法則で尽くせるのか |
| 科学は価値を語れるのか | 何が正しいかを、科学は決められない |
⚡ なぜこの問いが出てきたか
- 科学の内部から。幾何学や物理学の基礎が問い直された。
- 心理学の側から。意識を実験で扱おうとしたことで、かえって扱いにくさが見えた。
- 社会の側から。科学が進歩をもたらすという期待に、疑いが混じり始めた。
- この問いが、20世紀の哲学の出発点を作る(第12章・第13章)。
歴史と社会の学問
⚡ この時期に成立したもの
- 社会学が大学の学問になる。社会的な事実を、個人の意図に還元せずに扱う方法が示された。
- 歴史学が史料批判の方法を確立する。文書の真正性と成立事情を検証する手続きにあたる。
- 文献学と言語学が精密になる。この蓄積が、20世紀の構造言語学の土台になる(第16章)。
- 文学研究も、この方法意識の中で形を取る(文学研究の方法の領域を参照)。
批判と論点
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 決定論と責任 | 行動が決まっているなら、責任は問えるのか |
| 遺伝と環境の比重 | どちらが決定的かという議論は、19世紀の枠組み自体を引き継いでいる |
| 人種と序列の議論 | この時期の一部の理論は、人間の集団を序列づける主張と結びついた。現在は明確に否定されている |
| 科学主義 | 科学的な方法をあらゆる領域に広げようとする態度への批判 |
⚠️ 3番目を扱うときの注意
- 19世紀の「種族」という語は、現在の意味と重なりつつずれている。当時の用法をそのまま繰り返さない。
- この枠組みが植民地支配の正当化に用いられたという事実を、切り離さずに書く(フランス史の領域)。
- レポートで19世紀の理論を紹介するときは、当時の主張と現在の評価を分けて書く。
文学とのつながり
⚡ この時期の作品を読むときに要る背景
- 自然主義の方法 — 遺伝と環境という枠組みを、小説の構成に取り込んだ。登場人物が、条件の帰結として描かれる。
- 資料と取材 — 作家が現場を調べ、専門書を読む。方法としての調査が確立する。
- 世紀末の反動 — 科学と合理主義への反発が、象徴主義や内面への関心を生んだと語られる(文学史の領域)。
- 決定論と語り — 人物が条件に決められているとき、語り手はどこに立つのか。この問題が、語りの技法と直結する(文学研究の方法の領域)。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- 決定論を「運命論」と考える。原因による必然であって、あらかじめ定められた運命ではない。
- 自然主義を「ありのままを写す」ことと考える。理論的な枠組みを前提とした方法である。
- 科学の限界をめぐる問いを、反科学と考える。科学の内部からも出てきた問いにあたる。
- 19世紀の「種族」を現在の意味で読む。用法が違い、しかも問題のある議論と結びついていた。
決定論と語りの緊張
決定論を前提にすると、小説の書き方に具体的な問題が生じる。
| 問題 | 内容 |
|---|---|
| 人物の選択 | 条件で決まっているなら、選択の場面をどう書くのか |
| 語り手の位置 | 人物より多くを知る語り手が、条件を説明する形になりやすい |
| 結末 | 破滅が条件の帰結として書かれると、筋が証明の形をとる |
| 読者の関与 | 結果が決まっているなら、読者は何を期待して読むのか |
⚡ 作品の側の対応
- 条件を提示しながら、人物の内面を細かく書く。決定と経験を両方見せる。
- 語り手が説明せず、記述にとどまる場面を作る。
- 例外的な人物を置く。条件から外れる人物が、枠組みを浮かび上がらせる。
- この緊張の処理の仕方が、作品ごとの違いになる(文学研究の方法の領域を参照)。
科学は価値を語れるか
⚡ 19世紀末に立てられた問い
- 事実の記述から、何をすべきかは導けないという指摘がある。
- 実証主義は、科学が道徳と社会の指針を与えられると考えた(第10章)。
- その前提が、世紀末に疑われた。
- この問いは20世紀を通じて残り、現在の技術と環境をめぐる議論でも反復される(第20章)。
⚠️ 文学との関わり
- 自然主義の作品が「道徳的でない」と非難されたとき、争点はここにあった。
- 記述することは、是認することか。この問いは、現在も表象をめぐる議論で立てられる。
- 1857年の裁判も、同じ構図の先行例として読める(フランス史の領域)。
⚡ 第11章の通過チェック
- 決定論の定義と、それが問題にすることを言える
- 19世紀後半に広まった3つの規定要因を言える
- 小説を実験として構想することの問題点を言える
- 19世紀末に立てられた科学への4つの問いを言える
- この時期に成立した学問を3つ言える
- 「種族」の議論を扱うときの注意を言える
- 決定論が語りの技法とどう関わるかを説明できる
次章へ
次章はベルクソンである。19世紀の枠組みへの、最も影響力のある応答にあたる。
時間を、時計で測れるものとしてではなく、意識が生きる持続として捉え直す。この転換が、哲学だけでなく20世紀の小説の時間の扱いにも影響したと論じられてきた。