現代|第18章 ポスト構造主義 — 知・差延・生成
この章の狙い
要点: ポスト構造主義は、構造主義を否定したのではなく、その前提を内側から崩した動きである。
構造は安定しているのか。中心はあるのか。知は権力とどう関わるのか。そして同一性ではなく差異から、存在ではなく生成から考えるとどうなるか。
1960年代末から70年代にかけて、これらの問いが一斉に立てられた。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1961年 | フーコーが狂気の歴史を主題にした博士論文を発表 |
| 1966年 | フーコー『言葉と物』。大きな反響を呼ぶ |
| 1967年 | デリダの3冊が同年に刊行される |
| 1968年 | ドゥルーズが差異と反復を主題にした著作を発表 |
| 1968年 | 五月危機(フランス史の領域を参照) |
| 1969年 | フーコーが知の考古学を論じる |
| 1972年 | ドゥルーズとガタリの共著 |
| 1975年 | フーコーが監視と処罰を主題にした著作を発表 |
| 1976年〜 | フーコーが性と主体の系譜を扱う |
| 1980年代以降 | 英語圏に受容され、大きな影響を持つ |
⚠️ この章では本文を引用していない
- いずれも著作権が存続している。主張の中身を記述で扱う。
- 「ポスト構造主義」という呼び名は、当人たちが名乗ったものではない。後から、主に英語圏で与えられた括りにあたる。
知と権力
⚡ フーコーの発想の転換
- 知は権力の外にあるのではない。何が知として認められるかは、その時代の仕組みと結びついている。
- したがって「正しい知が権力を批判する」という図式が成り立たない。
- 代わりに、「ある時代に、何が語りうることとされたのか」を調べる。
- 狂気・病・犯罪・性といった主題を、その線引きの歴史として扱った。
- 📘 言説:ある主題について、何を語りうるかを規定している語り方の総体のこと(フランス史の領域でも扱う)。個々の発言ではなく、その背後にある規則を指す。
⚡ 権力の捉え方
- 権力は、上から押しつけるものだけではない。
- 関係の中に行き渡り、日常の実践の中で働くとされた。
- 監視のような仕組みは、暴力ではなく、見られているという意識によって働く。
- したがって、権力は禁じるだけでなく、人を作り出す。「正常な人間」という像そのものが、その産物とされる。
⚠️ よくある誤解
- 「すべては権力だ」という主張ではない。分析の対象を、制度から実践へ移す方法上の提案にあたる。
- 歴史の実証的な記述を伴っている。思弁だけの議論ではない。
- ただし史料の扱いについては、歴史家からの批判もある。
脱構築
⚡ デリダの発想
- 西洋の思考が、対になる項の一方を優位に置いてきたことを問題にする。話し言葉と書き言葉、現前と不在、自然と文化。
- その優位が、実は成り立たないことをテクストの内側から示す。
- 外から批判するのではなく、テクストが自分で崩れる箇所を見つけるという手続きにあたる。
- したがって「破壊」ではない。組み立て直しの含みを持つ語である。
- 📘 差延(さえん):意味が、差異によって生じると同時に、常に先送りされるという事態を指すために作られた語。「差異」と「遅延」を1語に重ねている。
⚡ 構造主義との関係
- 意味が差異から生じるという点は、構造主義から受け継いでいる(第16章)。
- しかし、その差異の体系が安定して閉じているという前提を外す。
- 意味は完結せず、常にずれ続けるとされる。
- したがって「最終的な読み」は原理的にありえないことになる。
⚠️ 相対主義という批判
- 「どんな読みも等しく正しい」という主張ではないというのが、擁護する側の答えである。
- ただし、この点をめぐる論争は決着していない。
- 文学研究への応用は、文学理論・批評の領域で扱う。
差異と生成
⚡ ドゥルーズの方向
- 同一性を先に置き、差異をその不足として考えるという伝統を逆転させる。
- 差異そのものから出発する。同一性は、差異の反復から生じた効果とされる。
- 存在ではなく生成、状態ではなく過程を基本に置く。
- 哲学史の読み直しを通じて、この方向を作った。主流から外れた思想家を積極的に取り上げた。
⚡ 共著による展開
- 1972年以降の共著で、欲望を欠如としてではなく、生産する力として捉え直した。
- 精神分析の枠組み(第17章)への批判を含んでいる。
- 社会・経済・心的な過程を、同じ平面で論じるという方法を取った。
- 概念を次々に作る書き方が特徴で、読解の難しさの原因にもなっている。
主体の位置
この章の3人に共通するのは、主体を出発点にしないという点である。
| 主体はどう扱われるか | |
|---|---|
| フーコー | 実践と言説によって作られるもの。歴史的に構成される |
| デリダ | テクストの働きの効果。意味の安定を保証する中心にはなれない |
| ドゥルーズ | 過程の中で生じるもの。固定した同一性ではない |
⚡ 第4章からの長い線
- デカルトが「考える私」を出発点に置いた(第4章)。
- 19世紀は、それを歴史と社会が規定するものとして相対化した(第10章・第11章)。
- 実存主義は、意識する主体から再び出発した(第14章)。
- 構造主義がそれを外し(第16章・第17章)、ポスト構造主義が、構成される過程そのものを主題にした。
- この線を追えるようになることが、この教材の目的の一つにあたる。
批判と論点
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 相対主義 | 真理の基準を失うのではないか |
| 政治的な帰結 | 批判の足場がなくなり、変革を語れなくなるのではないか |
| 文体 | 難解な文体が、検証を難しくしているという批判 |
| 歴史の扱い | 史料の使い方をめぐる歴史家からの批判 |
| 括りの妥当性 | 「ポスト構造主義」という括り自体が、外から与えられたものにあたる |
⚠️ レポートで扱うときの注意
- 一括りにしない。3人の主張は互いに違い、批判し合ってもいる。
- 入門書と事典で位置を確かめてから、原典の一部を読む(第1章)。
- 概念を、定義せずに使わない。「脱構築する」を「批判する」の意味で使うのは誤用にあたる。
- 難解さを、そのまま自分の文章に持ち込まない。説明できない語は使わない(文学研究の方法の領域)。
文学とのつながり
⚡ 文学研究に何をもたらしたか
- テクストの読みが完結しないという前提。
- 周縁に置かれてきたものを主題にする視点。
- 知の枠組みそのものを歴史的に見る態度。
- 具体的な分析の方法は、文学理論・批評の領域で扱う。
⚠️ この章で混同しやすい形
- 脱構築を「破壊」と考える。テクストの内側から、対の優位が成り立たないことを示す手続きである。
- 権力の分析を「すべては権力だ」という主張と考える。分析の対象を実践へ移す提案にあたる。
- 差延を単なる造語と考える。差異と遅延を重ねた概念である。
- ポスト構造主義を自称された運動と考える。外から与えられた括りである。
難解さをどう扱うか
この章の思想家は、文体の難しさそのものが論点になっている。
⚡ 難しさの理由
- 既存の語彙では言えないことを言おうとして、語を作る。
- 述べる内容と述べ方を切り離せないという立場を取る。明晰に要約すると、主張が変質するとされる。
- 口頭の記録が元になっている場合がある(第17章)。
- 一方で、難解さが権威として機能しているという批判もある。
⚠️ 学部での対処
- 入門書と事典で、まず主張の骨格を掴む。
- 原典は、短い論文か章の一部から入る。
- 要約できない部分は、要約しないまま引用する。無理に平易化しない。
- 自分の文章では、説明できる語だけを使う(文学研究の方法の領域)。
英語圏を経由した受容
⚡ 何が起きたか
- 1970〜80年代に、英語圏の大学で盛んに読まれた。文学研究への応用が進んだのもこの文脈にあたる。
- 「フランス理論」という括りが、英語圏で作られた。
- その形が日本にも入り、フランス国内での位置づけとずれることがある。
- フランス国内では、同時期にこの潮流への反動もあった。
⚠️ 調べるときの注意
- どの言語圏の議論を参照しているかを意識する。
- 英語圏の研究を引くのは問題ないが、フランス語圏での位置づけも確かめる。
- 翻訳を経た概念は、意味がずれていることがある(第16章の訳語の問題)。
⚡ 第18章の通過チェック
- 知と権力の関係についての発想の転換を説明できる
- 言説とは何かを言える
- 権力が「人を作り出す」とされる意味を言える
- 脱構築の手続きを説明でき、「破壊」でない理由を言える
- 差延が何を重ねた語かを言える
- 差異と同一性の順序の逆転を説明できる
- デカルトから現在までの主体をめぐる線を、5段階で言える
次章へ
次章は性差と他者である。フェミニズムの思想を扱う。
女は生まれるのではなく作られるという主張から始まり、普遍を掲げながら特定の人々を除いてきた思想の歴史そのものが問い直される。第9章で見た「普遍と適用範囲の緊張」が、ここで正面から主題になる。