近世|第5章 17世紀(2)— パスカルとモラリスト
この章の狙い
要点: 同じ17世紀に、デカルトとは正反対の方向から人間を見る思想があった。理性で到達できる範囲は狭いと考え、人間の弱さと矛盾を見つめる方向である。
パスカルがその代表であり、モラリストたちが宮廷での観察から人の動機の底にあるものを書き出した。17世紀の文学の人間像は、この側から来ている。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1623年 | パスカル誕生 |
| 1640年代 | ポール・ロワイヤルとの関わりが始まる |
| 1656〜1657年 | 『プロヴァンシアル』(イエズス会への論駁) |
| 1662年 | パスカル死去 |
| 1665年 | ラ・ロシュフコー『箴言集』 |
| 1670年 | 『パンセ』が死後に刊行される |
| 1688年 | ラ・ブリュイエール『人さまざま』 |
| 1709年以降 | ジャンセニスムへの弾圧が強まる |
ジャンセニスム
- 📘 ジャンセニスム:17世紀のカトリック内部の一派で、人間の意志の弱さと、神の恩寵(おんちょう)の絶対性を強調した。パリ近郊のポール・ロワイヤル修道院がその拠点になった。
⚡ 中心にある主張
- 人間は自力では善をなしえない。救いは神の側の働きによる。
- 人間の本性は堕落している。その自覚から出発すべきだとする。
- イエズス会と激しく対立した。相手は、人間の意志の役割をより大きく見ていた。
- 最終的に王権によって弾圧された(フランス史の領域を参照)。
⚠️ プロテスタントと混同しない
- カトリック内部の一派であり、教会から離れたわけではない。
- ただし人間の意志の弱さを強調する点で、改革派の人間観と近い(第3章)。
- この近さが、当時「隠れた改革派」という非難を招いた。
パスカル
- 📘 『パンセ』:パスカルが構想していた護教(ごきょう)の書のための断章群。未完のまま死後に刊行された。編集の順序が版によって違うため、引用のときは版と断章番号を示す必要がある。
⚡ 3つの核心
- 人間の二重性 — 偉大さと悲惨さを同時に持つ。どちらか一方だけを見る立場を、両方とも退ける。
- 理性の限界 — 理性は有効だが、理性が届かない領域がある。そこは別の仕方で捉えられる。
- 気晴らし — 人は自分の状態を直視できないので、注意をそらすことに逃げる。これが人間の行動の多くを説明する。
公有の断章から。
⚡ « Le cœur a ses raisons que la raison ne connaît point. »
- 訳:心には、理性の知らない理性がある。
- 「理性」という語が2回、違う意味で使われている。訳しにくさそのものが要点にあたる。
- 理性の否定ではなく、理性とは別の秩序があるという主張である。
⚡ « L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature ; mais c'est un roseau pensant. »
- 訳:人間は一本の葦(あし)にすぎず、自然の中で最も弱いものである。しかしそれは考える葦である。
- 弱さと偉大さが1つの文の中で結ばれている。人間の二重性を示す最も知られた表現にあたる。
- 📘 賭け:神を信じるかどうかを、理性では決められないと認めたうえで、どちらに賭けるほうが得かという形で論じた議論のこと。信仰を証明ではなく決断の問題として扱った点が新しい。
⚠️ 賭けの議論をどう扱うか
- 神の存在の証明ではない。証明できないという前提から出発している。
- 打算的だという批判が古くからある。信仰を利害で語ってよいのかという問題にあたる。
- 一方、確率という当時の新しい考え方を人間の決断に当てはめた点で、思想史的に重要である。
- パスカルは確率論の形成にも関わっている。
モラリスト
- 📘 モラリスト:人間の行動と動機を、体系ではなく短い断章や箴言(しんげん)の形で観察・記述する著作家のこと。道徳を説く人という意味ではない。
| 著作家 | 主著 | 方法 |
|---|---|---|
| ラ・ロシュフコー | 『箴言集』(1665) | 短い断定の連続。動機を疑う |
| ラ・ブリュイエール | 『人さまざま』(1688) | 人物の類型(るいけい)を描く。社会の観察 |
| パスカル | 『パンセ』 | 断章。ただし護教という目的を持つ |
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公有の一文から。
⚡ « Nos vertus ne sont, le plus souvent, que des vices déguisés. »
- 訳:われわれの美徳は、多くの場合、装いを変えた悪徳にすぎない。
- 『箴言集』の巻頭に置かれた文である。
- 自己愛が、善に見える行為の底にあるという見方を要約している。
⚡ モラリストの方法の特徴
- 体系を作らない。断章を並べ、読者に判断させる。
- 観察の場は宮廷にあたる。人が地位と評判を争う場所での振る舞いが材料になる(フランス史の領域を参照)。
- 一般化して書く。「われわれは」「人は」という主語を使い、個人を特定しない。
- 短さが効く。説明を省くことで、読者が自分に当てはめる余地が生まれる。
デカルトとの対比
| デカルト | パスカルとモラリスト | |
|---|---|---|
| 出発点 | 疑いえない一点 | 人間の弱さと矛盾 |
| 理性の位置 | 知の基礎 | 有効だが限界がある |
| 形式 | 論証の体系 | 断章・箴言 |
| 人間像 | 考える主体 | 自己を欺く存在 |
| 目的 | 確実な知の確立 | 自己認識と、そこからの転回 |
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⚡ なぜ同じ時代に両方が出てくるか
- どちらも「人間とは何か」を中心の問いにしている。
- どちらも中世の権威に頼らない。自分で確かめる方向は共通している。
- 違うのは、理性をどこまで信頼するかにあたる。
- 17世紀の文学は、両方の枠組みを使っている。
批判と論点
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 『パンセ』の順序 | 断章の配列が版によって違う。どの版で読むかで印象が変わる |
| 賭けの妥当性 | 信仰を利害で語ることの是非 |
| 箴言の一般化 | 「人は」という主語が、どの範囲の人を指しているのか。宮廷という限られた世界の観察ではないか |
| 悲観論か | 人間の弱さを強調することが、社会の現状の追認になっていないか |
3番目は現在よく論じられる。モラリストの観察は普遍的な人間の記述として書かれているが、実際には特定の階層の特定の場面の観察にあたる(フランス史の領域を参照)。
文学とのつながり
⚡ 17世紀の作品を読むときに要る背景
- 悲劇の人間像 — 情念に抗(あらが)えない人物。ジャンセニスム的な人間観との近さが繰り返し論じられてきた。
- 箴言という形式 — 短く、断定的で、逆説を含む。小説の地の文にも影響する。
- 自己愛という概念 — 行為の底に自己への愛を見る見方は、19世紀の心理小説まで受け継がれる。
- 気晴らしという概念 — 退屈から逃れるための行動という枠組みは、後の文学に繰り返し現れる。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- ジャンセニスムをプロテスタントと考える。カトリック内部の一派である。
- モラリストを「道徳を説く人」と考える。人間の行動を観察し記述する著作家にあたる。
- 賭けを神の存在証明と考える。証明できないという前提から出発している。
- 『パンセ』を完成した著作と考える。未完の断章群である。
断章という形式
パスカルもモラリストも、体系ではなく断章で書いた。この形式には理由がある。
⚡ なぜ断章か
- 人間の矛盾を扱うから。一貫した体系にすると、矛盾が消えてしまう。
- 読者に働きかけるため。説明を省くことで、読者が自分に当てはめる余地が生まれる。
- 順序を固定しない。どこから読んでもよい形にあたる。
- 『パンセ』の場合は未完という事情もあるが、断章という形式自体は意図されていた。
⚠️ 形式が解釈を左右する
- 『パンセ』は版によって配列が違う。編者が順序を決めており、その順序が読みを作る。
- したがって引用するときは、版と断章番号を必ず示す(文学研究の方法の領域を参照)。
- 「パスカルの体系」を語るときは、それが編集の産物である可能性を意識する。
ポール・ロワイヤルと文学
⚡ この修道院が果たした役割
- 教育 — 独自の学校を持ち、言語の教授法でも知られた。
- 論理学と文法 — 一般文法の著作が生まれ、後の言語学に影響した(第16章とのつながりが論じられることがある)。
- 文学との人的な関係 — ここで教育を受けた作家がいる。悲劇の人間観との近さが繰り返し論じられてきた(作品と作家の領域)。
- 弾圧 — 18世紀初頭に建物が破壊された。思想が政治的に扱われた例にあたる(フランス史の領域)。
⚡ 第5章の通過チェック
- ジャンセニスムの主張の中心を2つ言える
- ジャンセニスムとプロテスタントの関係を説明できる
- パスカルの3つの核心を言える
- 「考える葦」が示している人間観を説明できる
- 賭けの議論の前提と、それへの批判を言える
- モラリストの方法の特徴を4つ言える
- デカルトとパスカルの対比を、5つの面から言える
次章へ
次章から18世紀に入る。啓蒙という枠組みを、まず全体として押さえる。
理性によって偏見と迷信を批判するという姿勢は、どこから来て、何を可能にし、どこで行き詰まったのか。「啓蒙とは何か」という問い自体が、20世紀に繰り返し立て直されることになる。