近世|第3章 16世紀 — 人文主義と懐疑
この章の狙い
要点: 16世紀の思想は、2つの動きが重なってできている。古代の原典に戻ろうとする人文主義と、宗教の分裂がもたらした確信への疑いである。
そしてモンテーニュが現れる。宗教戦争のただ中で、「私は何を知っているのか」と問い、判断を保留した。確信が人を殺していた時代の、思想の側の応答にあたる。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1450年代 | 活版印刷。原典の校訂と流通が可能になる |
| 1516年 | エラスムスがギリシア語の新約聖書を刊行 |
| 1517年 | ドイツで宗教改革が始まる |
| 1530年 | 王立教授団の設置。スコラ学の外に学問の場ができる |
| 1536年 | カルヴァンの主著が刊行される(フランス語訳は1541年) |
| 1548年ごろ | ラ・ボエシ『自発的隷従論』が書かれる |
| 1562年 | 宗教戦争が始まる |
| 1572年 | サン・バルテルミの虐殺 |
| 1580年 | モンテーニュ『エセー』初版 |
| 1588年 | 『エセー』増補版 |
| 1595年 | 死後の版が刊行される |
人文主義
- 📘 人文主義:古代のギリシア語・ラテン語の文献を、後世の注釈を通さずに原典で読み直そうとする態度のこと。言語の正確さと文献の校訂を重んじた。
⚡ スコラ学のどこを批判したか
- 言葉が古びている。中世のラテン語を、古典期の文体から遠いとして退けた。
- 注釈の注釈を論じている。原典に戻るべきだと主張した。
- 議論が現実から離れている。人間の生き方に関わる学問を求めた。
- ただし人文主義者も、神学を否定したのではない。やり方を変えようとした。
印刷術がこの運動を支えた(フランス史の領域を参照)。同じ本文を多くの人が共有できることで、校訂という作業が意味を持つようになった。
宗教改革と思想
- 📘 カルヴァン(1509-1564):フランス出身の宗教改革者。ジュネーヴで活動した。主著のフランス語訳が、フランス語の散文の形を整えたと評価されている。
⚡ 思想としての要点
- 聖書に立ち返る。教会の権威よりも聖書の言葉を上に置く。
- 人間の意志の弱さを強調する。救いは人間の努力ではなく神の側にある。
- この人間観が、17世紀のジャンセニスムと響き合う(第5章)。
- 同時に、俗語で神学を書くという選択が、思想の言語を変えた。
⚠️ 改革の思想を「自由の思想」と読まない
- 信仰の自由という近代的な観念とは違う。改革派も、自分たちの教義の正しさを疑ってはいない。
- 寛容の議論が出てくるのは、内戦が終わらないという現実からである(フランス史の領域)。
- 原理から出てきたのではなく、経験から出てきたという点が重要にあたる。
ラ・ボエシと自発的隷従
- 📘 『自発的隷従論』:ラ・ボエシ(1530-1563)が若くして書いた文章。なぜ多数の人が、少数の支配者に自ら従うのかを問うた。
⚡ 問いの立て方が新しい
- 支配は力によるのではなく、服従する側の同意によって成り立っているとした。
- したがって、従うのをやめれば支配は崩れるという論理になる。
- この問いは、20世紀にも繰り返し参照される。権力を「上から押しつけるもの」ではなく「関係の中で成り立つもの」と見る視点の先駆けとして扱われる(第18章)。
- モンテーニュの親友であり、『エセー』はこの友情の記述を含んでいる。
モンテーニュ
- 📘 『エセー』:モンテーニュ(1533-1592)が1580年から書き継いだ書物。「試み」という意味の語を書名にした。特定の主題について、自分の判断を試しながら書く形式にあたる。
⚡ 3つの核心
- 判断の保留 — 対立する意見を並べ、どちらとも決めない。「私は何を知っているのか」という問いが、その態度を要約している。
- 自己を書く — 「私が描くのは私自身である」という趣旨のことを冒頭で述べる。自分を対象にすること自体が新しかった。
- 加筆による厚み — 版を重ねるごとに書き足された。前の記述を消さずに重ねるので、考えが変わる過程がそのまま残る。
懐疑の伝統との関係:古代のピュロン主義(判断を保留する立場)が、16世紀に再発見されていた。モンテーニュはそれを、内戦下の現実に当てはめたと言える。
⚡ 公有の一文から
- « Que sais-je ? »(私は何を知っているのか。)— 問いの形で終わることに意味がある。
- 断定ではなく問いを標語にすることで、判断を宙づりにする態度そのものを示している。
⚠️ 懐疑を「何も信じない」と読まない
- 判断を保留するのであって、否定するのではない。
- むしろ、確信を持った者が互いを殺していた状況への応答にあたる。
- 慣習には従うが、それが真理だとは主張しないという立場を取った。
- この「慣習には従う」の部分は、保守的だという批判も受けてきた。
批判と論点
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 懐疑は徹底しているか | 神への信仰は保留の対象になっていないという指摘がある |
| 保守的か批判的か | 慣習に従うと述べたことを、体制の追認と読むか、判断の断念と読むか |
| 「私」とは誰か | 書かれた「私」は、実在のモンテーニュと同じか。書くことで作られた「私」ではないか |
| 引用の多さ | 古代の著作からの引用が非常に多い。独創か編集か |
3番目が現在最も活発な論点である。書くことによって自己が作られるという考え方は、20世紀の主体をめぐる議論とつながる(第18章)。
文学とのつながり
⚡ 16世紀の作品を読むときに要る背景
- 『エセー』 — 判断の保留という態度は、宗教的な確信が人を殺していた状況と切り離せない(作品と作家の領域を参照)。
- ラブレーの作品 — 人文主義の学問と民衆的な笑いが同居している。神学部から批判を受けた。
- プレイヤード派の詩 — 古代の詩を範として、俗語で高い文学を作るという主張。人文主義の文学版にあたる。
- 「エセー」という形式が、以後のフランスの散文に長く影響する。論文でも小説でもない、考えながら書く形式である。
⚠️ この時代で混同しやすい形
- 人文主義を宗教の否定と考える。やり方を変えようとしたのであって、神学の否定ではない。
- カルヴァンをフランスで活動した人物と考える。主にジュネーヴにいた。
- モンテーニュの懐疑を無神論と考える。信仰は保留の対象になっていないという指摘がある。
- 『エセー』を随筆と考える。日本語の随筆とは違い、判断を試すという方法上の意図がある。
懐疑の3つの型
この教材には「懐疑」が3回出てくる。機能が違うので区別する。
| 型 | 誰 | 機能 |
|---|---|---|
| 保留としての懐疑 | モンテーニュ(第3章) | 判断を宙づりにしたままとどまる |
| 方法としての懐疑 | デカルト(第4章) | 確実な基礎に到達するための手段。到達したら止める |
| 記述のための保留 | 現象学(第13章) | 存在の問いを括弧に入れ、現れを記述する準備をする |
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⚡ 見分け方
- その懐疑は、どこで止まるのか。止まらないなら保留型、止まるなら方法型にあたる。
- 目的は何か。態度そのものか、基礎の確立か、記述の準備か。
- 概念の履歴を追う練習として、この3つは最もよい例になる(第1章)。
『エセー』をどう読むか
⚡ 読み方の手順
- 通読しなくてよい。章ごとに独立している。有名な章から入る。
- 加筆の層に注意する。版を重ねるごとに書き足されており、版によって前後の記述が矛盾することがある。
- 引用が多い。古代の著作からの引用を、自分の議論に組み込む形式にあたる。
- 結論を探さない。結論を出さないことが方法である。
⚠️ 引用するときの注意
- どの版・どの訳を使ったかを明記する(文学研究の方法の領域を参照)。
- 加筆の層を示す版がある。語の分析をするなら、その版を使う。
- 「モンテーニュはこう言った」と断定する前に、それがどの層の記述かを確かめる。
⚡ 第3章の通過チェック
- 人文主義がスコラ学を批判した4点を言える
- 印刷術が人文主義を支えた理由を言える
- カルヴァンの思想の要点と、その言語上の意義を言える
- 『自発的隷従論』の問いの立て方を説明できる
- 『エセー』の3つの核心を言える
- ピュロン主義との関係を言える
- 『エセー』をめぐる現在の論点を挙げられる
次章へ
次章は17世紀(1)— デカルトと方法である。懐疑から始めるという点はモンテーニュと同じだが、行き先が正反対になる。
モンテーニュが判断を保留したまま留まったのに対し、デカルトは懐疑を徹底することで、疑いえない一点に到達しようとした。そこから、近代の哲学の出発点になる主張が出てくる。