20世紀|第17章 構造主義(2)— 記号・無意識・イデオロギー
この章の狙い
要点: 言語学から始まった発想が、1960年代に一斉に他の領域へ広がった。
文化のあらゆるものを記号として読む試み、無意識を言語のように構造化されたものとして捉える試み、社会の仕組みを構造として説明する試み。この3つが同時に進行した。
共通するのは、「意識する主体」を説明の出発点から外すという姿勢である。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1953年 | バルトの最初の著作 |
| 1957年 | 『神話作用』。日常の文化を記号として読む |
| 1953年〜 | ラカンのセミネールが始まる |
| 1964年 | バルトが記号学の基礎を論じる |
| 1965年 | アルチュセールがマルクスの読み直しを発表 |
| 1966年 | 構造主義に関わる著作が集中して刊行される |
| 1966年 | ラカンの主要論文集が刊行される |
| 1968年 | 五月危機。構造主義が「歴史を説明できない」と批判される |
| 1970年代 | 各人が構造主義の枠を離れていく(第18章) |
⚠️ この章では本文を引用していない
- いずれも著作権が存続している。主張の中身を記述で扱う。
文化を記号として読む
- 📘 記号学:言語以外のもの——衣服・食事・広告・写真・作法など——を、意味を運ぶ体系として分析する学問のこと。
⚡ 『神話作用』の発想
- 日常の文化的な事象を取り上げ、そこに込められた含みを取り出す。
- 重要なのは、その含みが「当たり前のこと」として提示される点にある。
- 歴史的に作られたものが、自然なことのように見えるようにする働きを「神話」と呼んだ。
- したがって分析の目的は、自然に見えるものを歴史に戻すことにあたる。
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| 第一の層 | 記号が直接に指しているもの |
| 第二の層 | その記号が二次的に運ぶ含み。ここに価値観が入り込む |
⚡ なぜ文学研究に効くか
- 文体・語彙・語り方が、それ自体で価値観を運んでいるという見方が可能になる。
- 「中立な書き方」というものがあるのかという問いが立てられた。
- 作品の分析への応用は、文学理論・批評の領域で扱う。
無意識と言語
精神分析の側でも、言語学の発想が取り入れられた。
⚡ 中心の主張
- 無意識は、言語のように構造化されているとされた。
- したがって、夢や言い間違いを、意味の体系として読むことができる。
- 比喩と換喩(かんゆ)にあたる2つの働きが、無意識の作用として位置づけられた。
- 「私」は、言語に入ることによって成立するとされた。主体は出発点ではなく、結果になる。
- 📘 鏡像の段階:幼児が鏡に映った自分の像を、まとまりのある自分として認めるとされる時期のこと。自己の像は、外から与えられるという論点を含む。
⚠️ 扱いにくさ
- 記述が難解で、解釈が分かれる。入門書と事典で位置を確かめてから原典に当たる。
- 臨床の理論であって、文学の理論としてそのまま使えるわけではない。
- 文学に応用するときは、何を借りているのかを明示する(文学研究の方法の領域を参照)。
社会の構造とイデオロギー
マルクスの読み直しも、構造主義の文脈で行われた。
⚡ 主張の要点
- 社会を、諸要素の関係の総体として捉える。個人の意識から説明しない。
- 歴史を、あらかじめ定まった方向を持つ過程としては見ない。
- イデオロギーは、誤った考えというより、人々が自分の生活条件と結ぶ想像上の関係として捉え直された。
- したがってイデオロギーは、外から取り除けるものではなく、社会が機能するための一部とされる。
⚡ なぜ重要か
- 「主体」もまた、社会の仕組みによって作られるという論点が明示された。
- 教育・宗教・家族といった制度が、その働きを担うとされた。
- この論点が、1970年代以降の批評に大きく入っていく(文学理論・批評の領域)。
⚠️ 政治的な文脈と切り離さない
- 1960年代の政治状況の中で書かれた議論にあたる(フランス史の領域を参照)。
- 理論としての主張と、当時の政治的な立場は絡み合っている。
- レポートで扱うときは、いつ書かれたかを明示する。
共通する姿勢
| 出発点から外されるもの | 代わりに置かれるもの | |
|---|---|---|
| 言語学 | 話す人の意図 | 体系の中の差異 |
| 記号学 | 作り手の意図 | 含みを運ぶ二次的な体系 |
| 精神分析 | 意識する自我 | 言語のように構造化された無意識 |
| 社会理論 | 個人の意識 | 諸関係の総体としての構造 |
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⚡ 「人間の死」という言い方
- 1960年代に、人間を出発点に置く思考の終わりが宣言されたという言い方が流行した。
- 人間がいなくなるという意味ではない。人間を説明の出発点にすることをやめる、という方法上の主張である。
- この言い方が、実存主義(第14章)への直接の反論として受け取られた。
批判と論点
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 歴史と変化 | 構造は変化をどう説明するのか。1968年の出来事が、この批判を強めた |
| 行為の位置 | 人が何かを変えることは、この枠組みでどう位置づけられるのか |
| 方法の適用 | 言語で有効な方法を、社会や無意識にそのまま当てはめてよいのか |
| 難解さ | 記述の難しさが、検証を難しくしているという批判 |
1番目が決定的である。1968年の五月危機は、構造の理論では説明しにくい出来事として受け取られた(フランス史の領域を参照)。この経験が、次章の転回を促す。
文学とのつながり
⚡ この時期に文学研究が変わった
- 作者の意図を問わない読み方が、正面から主張された。
- テクストを、要素の関係として読む方法が広がった。
- 文体と語りの選択が、それ自体で意味を持つという見方が定着した。
- 具体的な方法は文学理論・批評の領域で扱う。この教材では、その発想がどこから来たかを押さえる。
⚠️ この章で混同しやすい形
- 記号学を「記号の意味を調べる学問」と考える。含みを運ぶ二次的な体系を分析する方法である。
- 「無意識は言語のように構造化されている」を、無意識が言語だという主張と考える。構造の類比である。
- イデオロギーを「間違った考え」と考える。生活条件と結ぶ想像上の関係として捉え直されている。
- 「人間の死」を文字どおりに読む。方法上の主張である。
1960年代の議論の場
この時期の思想は、特定の場と結びついて作られた。
| 場 | 働き |
|---|---|
| 雑誌 | 論文と論争が発表される。同人的な結びつきが理論の色を作った |
| セミネール | 口頭で継続的に語られ、後から文字になる。聞き手との関係が内容に影響する |
| 高等教育機関 | 少数の機関に人材が集中した |
| 出版社の叢書(そうしょ) | 特定の叢書が、潮流の輪郭を作った |
⚡ なぜ場を知ると読みやすいか
- 論争の相手が誰かが分かる。多くの文章は、特定の相手への応答として書かれている。
- 口頭の記録が後から本になる場合、文体の難しさに理由がある。
- 同じ時期の別の著作を並べると、共通の問題設定が見える。
- これは受容史の一部にあたる(第7章)。
専門用語の扱い
⚠️ 借りるときの原則
- 定義せずに使わない。「無意識」「イデオロギー」「記号」は、日常語と意味が違う。
- 誰の定義かを示す。同じ語でも、思想家ごとに中身が違う。
- 必要な分だけ借りる。用語を並べても分析にはならない(文学研究の方法の領域)。
- 説明できない語は使わない。これが最も確実な基準にあたる。
⚡ よい使い方の形
- 「本稿では、◯◯の定義に従い、△△を〜の意味で用いる。」
- 「この場面には、◯◯が言う意味での△△が見られる。すなわち〜。」
- 定義 → 適用 → 作品の記述という順序を守る。
⚡ 第17章の通過チェック
- 『神話作用』が「神話」と呼んだ働きを説明できる
- 記号の2つの層を言える
- 無意識をめぐる中心の主張を言える
- 鏡像の段階が含む論点を言える
- イデオロギーの捉え直しの内容を言える
- 4つの領域で、出発点から外されたものを言える
- 1968年が構造主義への批判を強めた理由を言える
次章へ
次章はポスト構造主義である。構造主義の前提を、内側から崩していく動きにあたる。
構造は安定しているのか。中心はあるのか。知は権力とどう関わるのか。そして同一性ではなく差異から、存在ではなく生成から考えるとどうなるか。1960年代末から70年代にかけて、これらの問いが一斉に立てられる。