20世紀|第12章 ベルクソン — 持続と生
この章の狙い
要点: ベルクソンは、19世紀の科学的な枠組みへの、最も影響力のある応答である。
中心にあるのは時間の捉え直しにあたる。時計で測れる時間と、意識が生きている時間は違う。科学は前者しか扱えないのに、後者を前者に置き換えて考えてしまう。そこに誤りがあるとした。
この転換が、20世紀の小説の時間の扱いにも影響したと論じられてきた。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1859年 | ベルクソン誕生 |
| 1889年 | 『意識に直接与えられたものについての試論』(持続の概念) |
| 1896年 | 『物質と記憶』(記憶と身体) |
| 1900年 | 『笑い』 |
| 1907年 | 『創造的進化』(生命の進化と生の躍動) |
| 1900〜1920年代 | 講義が大きな人気を集める |
| 1927年 | ノーベル文学賞 |
| 1932年 | 『道徳と宗教の二源泉』 |
| 1941年 | 死去 |
| 1930年代以降 | 現象学と実存主義の台頭とともに、いったん影響力が落ちる |
| 20世紀後半 | 再評価される(第18章) |
持続
- 📘 持続:意識が実際に生きている時間のこと。均質な単位に分けられず、量として測れない。互いに溶け合いながら流れる質的な変化として捉えられる。
⚡ 測れる時間との違い
- 測れる時間は、空間の比喩で考えられている。時計の針の位置、直線上の点。均質で、分割でき、順序を入れ替えられる。
- 持続は、分割できない。分けた瞬間に、別のものになる。
- 過去が現在に食い込んでいる。前の状態が消えずに残り、次の状態と混じり合う。
- 同じ1時間でも、退屈な1時間と集中した1時間は「同じ」ではない。
⚠️ ベルクソンの中心的な指摘
- 私たちは、時間を空間の言葉で考える癖を持っている。
- その癖のせいで、自由と変化を捉え損なう。
- 決定論の議論も、この癖の産物だとされる。時間を並んだ点として考えるから、次の点が前の点で決まっているように見える。
- したがってベルクソンにとって、自由の問題は形而上学(けいじじょうがく)ではなく、時間の捉え方の問題にあたる。
記憶と身体
『物質と記憶』は、記憶と脳の関係を主題にした。
⚡ 2種類の記憶
- 習慣としての記憶 — 身体に定着した動作。繰り返しによって身につく。身体に蓄えられている。
- イメージとしての記憶 — 出来事の記憶。一回きりの過去がそのまま残る。
- 前者は身体の働きとして説明できるが、後者は脳に蓄えられているのではないとした。
- 脳は、記憶を蓄える器ではなく、行動に必要な記憶を選び出す装置だと論じた。
⚠️ 当時の科学との関係
- 脳の局所の損傷と記憶障害についての研究を踏まえた議論である。
- 科学的な事実を無視したのではなく、その解釈を争った。
- 現在の神経科学の知見とは前提が違う。そのまま現在の主張として扱わない。
- 思想史としては、心的なものを物質に還元できるかという問いの重要な一項にあたる。
生の躍動
『創造的進化』は、生命の進化を、あらかじめ定まった目的にも、偶然の積み重ねにも還元しない方向で論じた。
⚡ 要点
- 機械論(原因の連鎖で説明する)と目的論(あらかじめの目的で説明する)を、どちらも退ける。
- どちらも、結果から遡って考えているという点で同じ誤りを犯しているとする。
- 生命は、予測できない仕方で新しいものを生み出すとした。
- その動きを「生の躍動」と呼んだ。
⚠️ この概念の扱いにくさ
- 定義が明確でないという批判が古くからある。
- 科学的な主張としては受け入れられていない。
- ただし「予測できない新しさ」という問題設定は、20世紀後半に別の形で引き継がれる(第18章)。
方法としての直観
- 📘 直観:対象の外側から記号や概念で捉えるのではなく、内側から共感的に捉えるという方法のこと。ベルクソンはこれを、知性による分析と対比した。
| 知性による分析 | 直観 | |
|---|---|---|
| 立場 | 対象の外から | 内側から |
| 手段 | 概念と記号 | 持続そのものに沿う |
| 得られるもの | 相対的な知 | 絶対的な知 |
| 向く対象 | 物質と空間 | 生命と持続 |
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⚠️ 最も批判された点
- 直観という方法は、検証できないという批判がある。
- 知性を低く見ているという読み方もあるが、ベルクソン自身は知性の有効な領域を認めている。
- 「反知性主義」という非難は、しばしば単純化にあたる。
批判と論点
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 直観の検証可能性 | 方法として成り立つのか |
| 生の躍動 | 説明ではなく言い換えにすぎないのではないか |
| 科学との関係 | 当時の科学に依拠した議論が、科学の更新とともに古びる |
| 影響の大きさと反動 | 1930年代以降、現象学と実存主義の台頭で、いったん強く退けられた(第13章・第14章) |
文学とのつながり
⚡ なぜ文学と関係が深いか
- 時間の質的な捉え方が、20世紀の小説の時間の扱いと響き合う。プルーストとの関係が繰り返し論じられてきた。
- ただし影響関係の主張は慎重に扱う。同時代に共通の問題意識があったと見るほうが正確な場合が多い。
- 記憶の2つの型という区別は、記憶を主題にする作品の分析に使える。
- 『笑い』は、喜劇的なものが生じる条件を論じた著作で、演劇と小説の分析に用いられてきた。「生きたものに機械が重なるとき笑いが生じる」という趣旨の定式が知られている。
⚠️ 影響を語るときの注意
- 「この小説はベルクソンの影響を受けている」と書くには、読んだ証拠か、同時代の証言が要る(文学研究の方法の領域を参照)。
- 証拠がないなら、「同じ時期に共通する問題意識が見られる」と書く。
- これは思想と文学を結ぶときの一般的な作法にあたる。
⚠️ この章で混同しやすい形
- 持続を「主観的な時間」と言い切る。主観の内側の話ではなく、時間の捉え方そのものの問題として提出されている。
- 直観を「ひらめき」と考える。対象の内側から捉えるという方法上の概念である。
- 生の躍動を科学的な仮説と考える。科学的主張としては受け入れられていない。
- ベルクソンを20世紀後半まで一貫して影響力があったと考える。1930年代以降にいったん退けられ、後に再評価された。
読まれ方の変遷
ベルクソンほど、評価が大きく上下した思想家は少ない。
| 時期 | 位置 |
|---|---|
| 1900〜1920年代 | 講義に人が押し寄せる。知的な流行の中心にあった |
| 1930年代 | 現象学と実存主義の台頭により、退けられる(第13章・第14章) |
| 1940〜60年代 | 学校哲学の中に位置を保つが、影響力は限られる |
| 1960年代後半以降 | 差異と生成の思想として再評価される(第18章) |
| 現在 | 時間・記憶・生命をめぐる議論の中で読み直されている |
⚡ なぜ評価が動いたか
- 問いの立て方が、時代の関心と合うかどうかで位置が変わった。
- 「直観」という方法が、実証的な検証を重んじる時期には受け入れられにくい。
- 一方、同一性より差異を重んじる時期には、その発想が生きる。
- 思想の評価が時代に左右されるという、この教材の一般的な論点の好例にあたる。
笑いの理論
『笑い』(1900年)は、喜劇的なものが生じる条件を論じた。
⚡ 要点
- 生きているものの上に、機械のようなこわばりが重なるときに笑いが生じる、という趣旨の定式を示した。
- 笑いは社会的な機能を持つとした。硬直した振る舞いを矯正する働きである。
- したがって笑いには、集団と、共感の一時的な停止が必要になる。
- 喜劇と諷刺(ふうし)の分析に使われてきた(作品と作家の領域を参照)。
⚠️ 理論として使うときの注意
- すべての笑いを説明する理論ではない。適用範囲がある。
- 喜劇の分析に当てるなら、どの場面のどの効果を説明しているのかを特定する。
- 他の笑いの理論と比べて位置づける。
⚡ 第12章の通過チェック
- 持続と、測れる時間の違いを4点言える
- 時間を空間の言葉で考える癖が、何を捉え損なうかを言える
- 2種類の記憶を言い、脳の役割をどう考えたかを説明できる
- 機械論と目的論をどちらも退けた理由を言える
- 直観と知性による分析の対比を4つの面から言える
- ベルクソンへの主要な批判を3つ言える
- 文学への影響を語るときの作法を説明できる
次章へ
次章は現象学の受容である。ドイツで生まれた方法が、1930年代のフランスに入ってくる。
意識は常に何かについての意識である。この単純な指摘から出発して、世界と身体をどう捉え直すかが問われる。そしてこの方法が、次章の実存主義の土台になる。