作法|第4章 先行研究を読む — 何を、どこまで
この章の狙い
要点: 先行研究を読む目的は、知識を増やすことではなく、自分の論の位置を決めることである。「すでに言われていること」と「まだ言われていないこと」の境目が見えて初めて、自分が何を主張するのかが決まる。
そして全部は読めない。読む量ではなく、読み方と記録の仕方で差がつく。
なぜ読むのか
| 読まないと起きること | |
|---|---|
| すでに言われていることを、初めての発見のように書く | 最も評価を落とす形 |
| 定説を知らずに、それに反する前提で論を組む | 土台から崩れる |
| 使える道具を知らないまま、手作業で遠回りする | 時間を失う |
| 自分の論のどこが新しいのかを説明できない | 序論が書けない |
⚡ 先行研究から取り出す4つ
- その研究の問い — 何を明らかにしようとしたか。
- 方法 — どのテクストの、何を、どう調べたか。
- 結論 — 何が言えたことになっているか。
- 自分の論との関係 — 前提として使うのか、部分的に修正するのか、反対するのか。
4つ目が最も重要で、最も書き忘れられる。要約だけを溜めても、レポートには使えない。
どこまで読めば十分か
学部のレポートと卒論で目安が違う。
| 読む本数の目安 | 内訳 | |
|---|---|---|
| レポート(4,000字) | 3〜5本 | 日本語の論文2〜3本+事典・研究書1〜2冊 |
| 卒業論文(2万字) | 15〜30本 | 日本語10本前後、フランス語・英語5〜15本、研究書数冊 |
← 横に動かして読めます →
⚡ 読む順番
- 1. 新しいものから読む。直近5年の論文には、それ以前の研究がまとめられている。1本読むと過去が数本ぶん見える。
- 2. 何度も引かれているものを読む。複数の論文の注に同じ名前が出てきたら、それがその分野の基本文献にあたる。
- 3. 事典・概説の該当項目を読む。全体の見取り図が要るとき。
- 4. 最後に、自分の問いに最も近いものを精読する。ここだけは全文を丁寧に読む。
「1本読んだら、その注から次の1本を選ぶ」を繰り返すと、同じ名前が繰り返し出てくる地点に着く。そこが、その主題の中心である。
1本の論文をどう読むか
全文を最初から読むのは、最後の数本だけでよい。
⚡ 論文を読む5段階
- 1. 題名と要旨を読む。自分の問いと関係するかを判定する。関係しなければここで止める。
- 2. 序論の最後と結論を読む。主張が書いてある。ここでこの論文の位置が分かる。
- 3. 見出しを見る。どんな順序で論じているかが分かる。
- 4. 自分の問いに関わる節だけを読む。
- 5. 使えると判断したら、全文を読む。
1と2だけで判定できる論文が大半である。20本集めても、全文を読むのは5本前後になる。
⚠️ 読み方でやってはいけない3つ
- 要約だけを写す。あとで見返したとき、自分の論との関係が思い出せない。必ず一言、関係を書く。
- 引用箇所をメモせずに読む。使う段になって、どのページだったかを探し直すことになる。
- 反対意見を読み飛ばす。自分の説に都合の悪い研究こそ、先に読んでおくと論が強くなる。
文献カードの形
読んだその場で、次の形にして残す。紙でも、テキストファイルでもよい。
| 項目 | 書くこと |
|---|---|
| 書誌 | 著者・題名・掲載誌・巻号・刊行年・ページ |
| 問い | 一文で |
| 方法 | どのテクストの何を、どう調べたか |
| 結論 | 一文で |
| 使えるところ | ページ番号つきで、引用したい箇所 |
| 自分の論との関係 | 前提/補強/修正/反対 のどれか+一言 |
⚡ 「関係」の4つの書き方
- 前提 — この研究の結論を出発点として使う。「◯◯が指摘したとおり〜」
- 補強 — 同じ結論を、別の根拠から支える。「◯◯は〜を指摘した。本稿はこれを、〜の面から確かめる」
- 修正 — 大枠は認めつつ、範囲や条件を限定する。「◯◯の指摘は〜には当てはまるが、〜では成り立たない」
- 反対 — 結論そのものに異を唱える。根拠を本文から示す必要がある。最も難しい
研究史をどう書くか
集めた文献は、レポートの序論に数行から1段落にまとめて置く。これを研究史という。
- 📘 研究史:ある主題について、これまでどんな研究がなされてきたかを整理した記述のこと。自分の論がどこに置かれるのかを示すために書く。
⚡ 研究史の段落の型
- 1. 大きな流れを一文で。「この作品の語りについては、長く◯◯の観点から論じられてきた」
- 2. 代表的な研究を2〜3本、具体的に。「◯◯(20XX)は〜を指摘した」
- 3. まだ扱われていないことを示す。「しかし、〜については十分に検討されていない」
- 4. 自分の論を置く。「本稿は、〜を明らかにする」
この4文が書ければ、序論の半分ができている。
⚠️ 研究史の書き方でよくある形
- 要約を並べただけ。「Aは〜と述べた。Bは〜と述べた。Cは〜と述べた。」で終わり、自分がどこに立つのかがない。
- 全員を平等に扱う。関係の薄い研究まで並べると、焦点がぼける。自分の問いに関わるものだけでよい。
- 批判が人格に向かう。「◯◯の理解は浅い」ではなく、「◯◯は〜の箇所を扱っていない」と、範囲の話にする。
批判の作法
先行研究に反対することは、正当な研究行為である。ただし形式がある。
⚡ 批判の3段構え
- 1. まず正確に要約する。相手の主張を、相手が認める形で述べる。ここを歪めると、それだけで論が無効になる。
- 2. どこに同意するかを述べる。全否定になることはまずない。
- 3. どこが成り立たないかを、本文の根拠で示す。「〜の箇所を見ると、この説明では説明がつかない」
根拠なしの反対は、感想と同じ扱いになる。逆に、本文の1箇所だけでも確かな反例を示せれば、学部生の論でも批判として成立する。
読む時間の配分
| 段階 | 期間の目安(卒論の場合) |
|---|---|
| 集める | 2〜3週間 |
| 読んで選ぶ | 1か月 |
| 精読と記録 | 1か月 |
| 書きながら追加で読む | 最後まで続く |
「読み終えてから書く」は成立しない。書き始めると、必要な文献が新しく見えてくる。8割読んだ時点で書き始めるのが現実的な進め方になる。
1本を読んでカードにする — 実演
実際にどう書くかを、形だけ示す。中身は自分が読んだ論文で埋める。
| 項目 | 記入例 |
|---|---|
| 書誌 | ◯◯◯◯「フローベールにおける自由間接話法の分布」『◯◯大学紀要』第◯号、20XX年、45–62頁 |
| 問い | 自由間接話法は作品のどの部分に集中するか |
| 方法 | 第1部と第2部から各10章を選び、該当箇所を数えた |
| 結論 | 第2部の後半に偏る。エマの心理が破綻に近づく箇所と重なる |
| 使えるところ | p.52 の分布表。p.58 の「判定不能な文」の扱いについての記述 |
| 自分の論との関係 | 補強。同じ偏りを、語彙の面から確かめる |
⚡ カードを作るときのコツ
- 「使えるところ」はページ番号を必ず書く。あとで探す時間がなくなる。
- 「関係」は一言でよい。長く書くと、書くこと自体が負担になって続かない。
- 読んだ直後に書く。1日空けると、細部が思い出せなくなる。
読む文献の集め方 — 芋づるの手順
⚡ 1本から10本へ
- 1. 最も新しい論文を1本選ぶ。
- 2. その注と参考文献一覧を全部書き写す。
- 3. その中で、複数回引かれているものに印を付ける。
- 4. 印の付いたものを次に読む。
- 5. 同じ名前が3回以上出てきたら、それがその分野の基本文献にあたる。
- 6. 新しい名前が出なくなったら、その主題の主要文献をほぼ拾えている。
6が終了の目安になる。「あと何本読めばいいか」という問いには、この形でしか答えられない。
日本語の研究が少ないとき
| 対処 | 内容 |
|---|---|
| フランス語・英語に切り替える | 主題語(第3章)を使って検索する |
| 隣接する作品の研究を読む | 同じ作家の別作品、同時代の別作家 |
| 方法の研究を読む | 「自由間接話法」そのものについての研究。作品が違っても方法は使える |
| 主題を少し広げる | 問いはそのままで、先行研究を探す範囲だけ広げる |
⚠️ 先行研究が少ないことを、そのまま強みにしない
- 「先行研究がないので新しい」は、探し方が足りないと受け取られる。
- どこまで探したかを書く。「日本語では◯件、フランス語では◯件を確認したが、〜については見あたらない。」
- 探した範囲を示せば、それは正当な主張になる。
⚡ 第4章の通過チェック
- 先行研究を読む目的を一文で言える
- 論文から取り出す4つを言え、最も重要なものを指せる
- レポートと卒論で読む本数の目安を言える
- 論文を読む5段階を言え、どこで止めてよいかを言える
- 文献カードの6項目と、「関係」の4つの書き方を言える
- 研究史の段落の4文の型を言える
- 批判の3段構えを言える
次章へ
読む文献が決まったら、扱うテクスト自体を確定する必要がある。
次章は版と本文である。同じ『ボヴァリー夫人』でも、初版・雑誌連載・批評版で本文が違う。どの版を使うかを決め、それを明記することが、引用の前提になる。